もう二度と戻ることはない貴女の昔話をしよう
ミソギ=ゾルディックはゾルディック家の長女として19年前にその生を受けた。
次男であるミルキとは二卵性双生児で、長男イルミとは6歳差だった。
キルアが記憶する限り、彼女は自分の前では常に笑っていた。
楽しいことや面白いことがあれば人間誰でも笑うだろう。
しかし、ゾルディック家には楽しいことも面白いことも何もなかった。
特に、彼女にしてみれば。
毎日何時間も続く、訓練と称した虐待。
骨を折り、神経を焼き、腱を切り、残虐の限りを尽くされる毎日だった。
「ねえちゃん…腕、痛くない?」
『「大丈夫」「お姉ちゃんは痛みなんて感じないくらいに無敵なんだからねっ」』
「………」
嘘だった。
姉が自分たちのいないところで毎日呻きながら泣いていることを知っていた。
「なんで」「どうして」「言う通りにしてるのに」「兄さん」「痛い」「苦しいよ」「お父さん」「こっち、見てよ」「ねえお母さん」「たすけて」「僕は」「いらないの」
キルアたちはそれを駆け寄って慰めることもできず、遠くから見つめるだけだった。
姉を一番苛んでいたのは体ではなく心の傷だった。
姉は祖父と父と母、そして長兄の前では全く笑わなかった。ちょっと奇抜な「」をつけた喋り方もしなかった。まるで人形のように振る舞う姉の姿は好きになれなかった。
彼女は自分のすべてを押し殺してもいいから父らに愛されたかったのだと、成長してから気が付いた。
もちろん訓練はキルアにも課せられた。けれど姉に行なわれるものよりもはるかに軽く、きちんと段階を踏んでからレベルアップしていたし、怪我をしたら必ず執事が手当てをしてくれた。
なぜ姉と自分ではこうも待遇に差があるのかと問うても執事は強張った顔をするだけだった。
ゾルディック家の中で、姉は嫌われ者だった。
姉に好んで近づくのは弟たち、つまりミルキ、キルア、アルカ、カルトの4人だけだった。
姉は弟にはひどく優しかった。甘やかしていたといってもいい。
過剰なくらいの甘さは、殺伐としたこの一家には適量だったと思う。
キルアは姉が好きだった。家族の中で誰よりも姉が好きだった。
それは姉が決して自分に訓練を課さないことも要因の一つだったが、異常しかないゾルディックでは彼女が全く別のものに見えたからでもある。
いつ見ても包帯が巻かれた手は優しく頭を撫でてくれた。
血が足りなくて真っ白な顔には暖かい笑みが浮かんでいた。
栄養が不十分なせいで細い膝の上に乗せて子守唄を歌ってくれた。
高い高いも鬼ごっこもかくれんぼもだるまさんが転んだも、普通の遊びはすべて姉が教えてくれた。
「ねえちゃん、いっしょに寝よ」
『「ん?」「キルったらまだ1人で寝られないの?」「そんなんじゃ立派な男になれないぞー」』
「俺がりっぱな男になったら、ねえちゃんのこと守ってやるからな!」
『「本当?それはうれしいな」「楽しみにしてるよ」「アル、カル、そっち詰めて」』
「お前らもいっしょかよ!今日は俺だけだとおもったのに…」
『「いやいや3人とも毎日僕のとこにくるじゃない」「みんな自分のベッドいらないでしょ」』
「だって、」
だって、姉ちゃんのところには誰も来ないから。
キルアが自分の部屋にいると必ず兄や母が訪ねてきて聞きたくもない話を延々と聞かされるのだ。人体の急所とか効率的な殺し方とか。
それに使用人もあれやこれやと世話を焼いてくる。ゴトーとか。
そして何より、姉はいつでも寂しそうに見えたから。
そのまま風や夜や空気、あらゆるものに連れ去られてしまいそうな姉の姿は絶えずキルアたちに不安を感じさせた。
『「キル、ちゃんと一人で寝られるようになるんだよ」』
それは言外に「自分がいなくなった時のために」と告げられているようだった。
だからキルアは姉がいなくならないように、時間の許す限り姉にくっついていた。
姉に必要なのは、姉を必要とする人間だと無意識に理解していた。
キルアは姉がいれば幸せだった。
大げさかもしれないが、キルアの中にある"幸福"の記憶にはすべて姉がいたことは確かだった。
姉がいなければキルアは正の感情をほとんど知らない人間になっていただろう。
キルアは兄が嫌いだった。
ミルキではない。イルミのことだ。
イルミはいつもキルアに言い聞かせた。
「アレに近寄るな」
「アレは人間じゃない」
「アレは家族じゃない」
「アレは気持ちが悪い」
「アレは」
「存在してはいけないモノだ」
キルアは兄に反抗した。どれだけ訓練が厳しかろうと文句を言わなかったキルアだが、姉を否定する言葉だけは享受できなかった。
姉には不思議な力があった。
昔の姉はどんな怪我をしてもすぐに治った。
髪が燃えてもあっという間に伸びたし、服が破れても綺麗に直った。
キルアの傷も、アルカの壊れた玩具も彼女にかかれば何でもなおる。
けれど姉はなおしてくれた後に必ず『「僕は何でも"なかったこと"にできるけれど」「だからといって進んで怪我をしちゃいけないよ」「物を乱雑に扱ってはいけないよ」「その痛みや記憶は大切にしなくちゃいけないんだよ」』と言い聞かせた。
キルアはそれを見て「すげーなぁ」と思っていたけれど、イルミたちは違った。彼女の特異を嫌悪した。
彼女はいつしかそのチカラを使わなくなっていた。
それからの彼女は痛々しく、キルアはいつも気を使いながら彼女に触れた。
彼女の最期を、キルアは酷く鮮明に覚えている。
いつもよりも過酷な訓練で、姉の体はボロボロだった。
赤黒く腫れた腕、血が溢れる足、痙攣する瞼。
姉の体からみるみる生命力が失われていく。
彼女の瞳から零れた涙の一筋を、キルアは決して忘れない。
「…そのまま死んだと思ってたんだ」
静まり返った部屋の中に、キルアの声だけが広がる。
「さすがに、生き返るなんて姉ちゃんでも無理だろうって思ってた」
けれど、違った。
姉は生き返っていたのだ。
人知れず息を吹き返し、たった一人で生きていた。
「ど、どうしてミソギは何も言わないの?なんでキルアと初対面みたいな…」
「…そうか」
考え込んでいたクラピカが納得したように頷いた。
「記憶を"なかったこと"にしたんだな」
「…たぶんね」
「あ…」
だからキルアは聞いたのだ。
なかったことをなかったことにはできないのか、と。
そして知った。
姉の中の自分は、もう二度と戻らないのだと。
知って尚、彼女との約束を守ろうとした。
「何で言わねぇんだよ!!自分はテメェの弟なんだって、何でこいつに…」
「言えるかよ…ッ」
ダンっとキルアの拳が床を叩き、勢いよく立ち上がった。
「言えるかよ!なんて言うんだよ!?あんたは忘れてるけど俺はあんたの弟で、あんたは実の兄貴に殺されたんだって!あんたは親父たちに一度でいいから愛されたかったって言い残して死んだんだって!言えんのか!?」
キルアが咆哮した。
その通りだ。
自分が弟だと告げるということは、父や兄のことも話さなければならない。
ミソギは疑問に思っているはずだ。
自分が純粋な記憶喪失ではなく、自らの意志でなかったことにしたのならば、なぜそんなことをしたのかと。
なかったことにしたいほど悲惨な記憶だったのかと。
そんな記憶を取り戻させてしまうのなら。
『ぅ…んんー…』
ごろん、と寝返りをうったミソギの口から声が漏れる。
キルアはパッと口を押さえ、少しずれてしまった学ランをミソギの肩にかけ直した。
そんな彼を見て、クラピカとゴンは言う。
「このままずっと隠し続けるのか?」
「キルアは、それでいいの?」
2人の問いかけに、キルアはよどみなく答える。
「絶対に隠し通す。俺は、」
「姉ちゃんが幸せならそれでいい」
一同はキルアの瞳に押し殺せない切なさが浮かんでいたことに気が付いたが、誰も口にはできなかった。
もう二度と戻ることはない貴女の昔話をしよう
(思い出さないことが、貴女の幸福なら)
(俺は"弟"じゃなくてもいい)
…………………………………
なんか…キャラ違うなぁ…?
キルア…こんな子じゃないよな…?デレしかねーじゃん。
ミソギちゃんだってキャラ違うけどそこはお姉ちゃんとして頑張っていたということで一つ許してください。
昔のミソギちゃんの扱いはアルカより酷いイメージ。
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