どう在っても薬に成れないただの毒である
あのあと、兄さんは仕事に向かう時間になってしまったらしく、不承不承という様子で僕を解放した。
解放で合っている。だって兄さん、筋力やら骨格やらに一切気を使わずに抱き締めるんだもの…落ちるかと思った。意識が。
廊下ですれ違ったミルに聞けば、キルはもう屋敷を出たらしい。伝言によると麓にある使用人の屋敷で僕を待っているという。
ミルは「今度は時々連絡しろよ」ってそっぽ向いて言うもんだからぽよんぽよんのお腹にダイブしてやった。ツンデレはキルだけじゃなかった。僕の弟がこんなにかわいい!
外へ続く扉を開けようとしたところで、後ろから低い声が聞こえた。
さすがは一家の大黒柱にして家長。まったく気配が読めなかった。
「…行くのか」
『「うん」「待っててねって言ってきちゃったから」』
そうじゃなければもう少しここにいるもの悪くないと思っているんだけど。
僕がそう言うと、父さんは押し黙った。
「お前にはずっと謝らなければならないと思っていた」
『「え?何を?」』
僕は首をかしげる。
だって、何も悪いことなんてしてないのに謝るなんておかしいじゃない。
本気で分からないという顔をして僕に、父さんのオーラが少し乱れた。困惑しているのかもしれない。
「お前を虐げたことをだ」
『「ああ、そんなことか」』
拍子抜けしてしまう。だって別に気にしていないもの。
弟たちに危害を加えられるほうがよっぽど嫌だね。
『「大丈夫だよ、気にしてないから」「謝るなら弟たちにしてよね」「僕が死んで、とても苦しんだのは彼らなんだから」』
僕の死を、悲しんでくれたのは彼らなんだから。
「お前も、苦しんだだろう」
『「うん、それはまあねぇ」「僕、体は人一倍脆いし、弱いから」「でも」』
にっこり微笑んで、この世界での父を見る。
『「そんなの慣れちゃえばぜーんぜん平気」』
痛いことには慣れていた。
苦しいことには慣れていた。
悲しいことには慣れていた。
辛いことには慣れていた。
嫌われることには、何より慣れていた。
「…すまなかった」
『「だから!」「僕に謝る必要なんてないのに!」』
元の世界での父は終ぞ僕を直視することすらなかった。
シルバ父さんは僕を、僕の目を見てくれるようになった。それだけで僕は十分だと思っている。
『「謝ってもらうより」』
あんまり僕を甘やかすと、調子に乗るからオススメしない。ちょっとくらいわがまま言っても許されるだろうかと思ってしまう。
『「名前を呼んでくれると…」「嬉しい…な…」』
いい年した人間が恥ずかしいけど。羞恥で目が見られなくて下を見ながら言った言葉を、父さんは丁寧に拾ってくれた。
「いつでも帰ってこい。ここはお前の家だ…ミソギ」
生まれて初めて、親という存在に名前を呼んでもらえた。
帰ってくる場所が、できた。家族ができた。
それはとても幸せなことなのに。
『「うん」「いってきます、父さん」』
どこの世界でどんなふうに生きたって、運命は僕に対して辛辣だ。
本邸をでる直前。小さな影が見送りにきてくれた。
「忘れんなよ、球磨川ぁ」
『「忘れないよ」「分かってる、大丈夫だから」』
自分は、この世界では生きていけない。
どれだけ望んでくれる人がいたとしても、自分は、球磨川ミソギという存在は
紛れもない"毒"なのだ。
『「雲仙くん、君はいつ帰るの?」』
「このあとすぐにだよ。この世界のやつらの記憶からもキレーに消える」
『「それって、僕も?」「みんなの記憶からいなくなるの?」』
「そっちのことは知らねぇよ。俺に聞くな」
『「それもそうだね」「じゃあ、ばいばい」「伝言ありがとう」』
僕が手を振ると、雲仙くんは消えた。
きっと安心院さんが元の世界に帰したんだろう。
肩掛けの黒い学生鞄にぬいぐるみと着替えを詰めただけなのに、嫌に重く感じてしまう。
罠がわんさか仕掛けてある門までの道を見て僕はため息をついた。
どう在っても薬に成れないただの毒である
(門につくまで何回死ぬんだろ…)
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