しろいきおくのかなた、きみがないている
ぱちりと目を開ければ何度も見た箱舟中学の教室が広がっていた。
そこが自分の席だと言わんばかりに我が物顔で教卓の上に座っている人物が話しかけるてきた。
言わずもがな、安心院なじみである。
「やあミソギちゃん、久しぶりだね」
『「そうだね安心院さん」「ってことは死ぬのも久しぶりってことかぁ」』
「そういうことだね。ミソギちゃんが来てくれないせいで暇すぎて暇すぎてもう少しで地球を8等分にするところだったよ」
『「僕地球救っちゃったよ」』
底辺の頂点が地球を救う!っていうノンフィクションドキュメンタリー映画が一本とれちゃうね!!10秒くらいで終わるけど。
「久しぶりの逢瀬で積もる話もあるんだけど、君はそろそろ生き返らなくちゃいけないね」
『「ん?」「ああそうか」「僕はキルアちゃんに刺されたんだっけ」』
「…キルアちゃん、ねぇ」
安心院さんの表情が変わった。
何かを憐れむようなその顔は、全てを等しく見続ける安心院さんには珍しいものだ。
「ねえミソギちゃん。混沌よりも這い寄る過負荷の球磨川ミソギちゃん」
『「なんだい?」「全知全能悪平等の安心院なじみさん」』
「ミソギちゃん。君は今幸せかい?」
突然の問いかけ。
僕は確かに不幸と絶望に好かれる体質をしている。そして過負荷のみんなと引き離されてこの前までは不幸絶頂だったが、今は…
『「まあ、不幸じゃないね」「蜘蛛の連中にも会わないし、クラピカちゃんたちと出会えたし」「僕にしてはなかなか幸運なんじゃないかな」』
「違うね」
聞いておいて否定するとは一体どういう了見だ。
安心院さんの目はガラス玉のように僕を映している。相変わらず薄っぺらい笑顔を崩さない僕が。
「君は選択肢をいくつも間違えて、絡まって、いろんな人を動けなくさせて、そして自分は空回りしている。君はそれに気づかなくちゃならない。気づくことができていない君は今、世界で一番不幸だよ」
ゲームにも漫画にも例えない。まっすぐで容赦のない言葉を紡ぐ彼女は、神のようだった。
『「どういう、」』
「さあ起きるんだミソギちゃん。そして取り戻しておいで。君の本当の"幸福"をね」
その代償にどんな"不幸"が戻ってきてもね。
無理矢理チャンネルを変えたような感覚と共に僕の見ている景色が変わった。
白い天井に清潔なベッド。どうやら生き返ったようだ。
視線を横にズラせば椅子に座って本を読んでいるクラピカちゃんがいた。
『「おはよう、クラピカちゃん」「ひょっとして試験終わっちゃった?」』
「ミソギ!!起きたか!」
『「起きたっていうか生き返ったっていうか」「まあ取りあえず今は何日の何時?」』
あの教室にいる間は時間感覚なんて役に立たない。5分くらいしかいなかったはずなのに1日経っていたり、何週間も飲まず食わずでいたのに実際はほんの数時間しか経っていなかったり。
ちなみに後者はたいてい僕と安心院さんのガチバトルという名のフルボッコタイムなんだけど。
「試験は終わった。あれからだいたい1日くらい経っている。もう体は大丈夫なのか?」
『「当たり前でしょ?僕だよ?」「1日かぁ…今回は随分死んでたなー」』
「"死"をなかったことにするまでのタイムラグはまちまちなのか?」
『「うーん」「まあそうだね」「まちまちっていうより彼女の気分次第っていうか」』
「彼女?」
『「いやいやこっちの話だよ」「ゴンちゃんの怪我はどうだい?レオリオちゃんは合格できた?」』
「ゴンはまだ寝ているが怪我は大したことはない。レオリオは合格した」
『「そう、よかった」「なら」』
いつもは僕の瞳を真っ直ぐに見る彼の視線が少しずれている。
僕なんかの目を見て話すことができる強い彼が揺らぐほどのことがあったということだろう。
言いにくいなら、こちらから聞くよ。
『「キルアちゃんは、どうしたの?」』
起きてからすぐに円を広げた。
僕はオーラ絶対量こそ少ないもののコントロールは良い方なので単純な円だけならば数百メートルまで広げることができる。
最低限の武器だけで戦ってきた僕だからこその特技だ。
ゴンちゃんはベッドにいるが既に起きていて、一次試験官さんと話をしている。
レオリオちゃんや他の受験生たちは一カ所の広い部屋に集められている。数人の試験官と会長さんも一緒だ。
しかし、キルアちゃんの気配が感じられない。
どこにもない。欠片も感じられないから今ちょっとだけ席を外しているのだとも考えにくい。
『「あれから」「キルアちゃんはどうしたの?」』
僕を殺してから、さ。
そう問えばクラピカちゃんは苦虫を噛み潰したような表情をした。実際に苦虫を噛み潰した顔なんて見たことないけど。
「キルアは…不合格になった」
『「ああ、殺したら失格っていうルールだもんね」「生き返ったからノーカンにならないのかな」』
「…ミソギを刺したあと、すぐに会場を出て行ってしまったんだ。行方はわからない」
『「んーお家に帰ったんじゃないかな?」「イルミちゃんはまだいるんだろうしー」「なら彼が家を出る理由は薄いんじゃないかなって」』
ガタンッとクラピカちゃんが椅子から立ち上がった。
何か言いたげに唇が震えるが、言葉はでない。
…僕、また何か変なこと言ったかな。
「ミソギ、俺は」
ん?クラピカちゃん口調が違うね。
「俺は、大切な人を失うと言うことがどれほど苦痛かよく知っている」
『「うん、そうだね」「僕も知ってるよ」』
「失うことは身を裂かれるほど苦しくつらく悲しい。」
『「うん、そうだね」「知ってるよ」』
「でもそれは、俺が失った場合だ」
『「ん?」』
「大切な人の中から"自分"が失われていたとしたら、それは死よりも恐ろしいことなのではないかと…最近考えるんだ」
…そうだね。恐ろしいよ、とても。
大切な人、仲が良かった人に忘れられることほどつらいことはないよね。
でも僕は忘れた方がその人の為になると言うのならそうするよ。
元の世界でいろんな学校を転々として須木奈佐木さんをはじめとするたくさんの人と関わってきたけれど、彼女たちは僕のことを覚えていない。
正確には僕が、僕自身に関する記憶をなかったことにしたんだ。
だってこんな僕の記憶が残っていることで、こんな僕と出遭ってしまったことで彼女たちの人生が狂ってしまったら…あんまりでしょう?
『「それは」「記憶喪失みたいなことを言ってるの?」』
「ああ、二度と元には戻らない記憶喪失だとしたら、ミソギはどうする?」
『「僕?」』
「ミソギはその大切な人にどう接する?」
僕は一瞬固まって、そしてすぐに口を開いた。
『「え、えーとね」「記憶はなくても性格とか思考はその人のままなんだよね?」』
例えば僕を忘れちゃっためだかちゃん。例えば僕を忘れちゃった蛾々丸ちゃん。例えば僕を忘れちゃった飛沫ちゃん。例えば僕を忘れちゃった怒江ちゃん。例えば僕を忘れちゃった善吉ちゃん、瞳先生、赤さん、太刀洗さん、財部ちゃん、それから
高貴ちゃん。
そんなの、想像するだけでつらくて心が折れそうになるけれど。
『「だったら僕は、守るかな」』
君が君のままであるならば、
『「その人とその人の世界を守りたいな」「例えその世界に僕がいなくても」「僕にとってその人が大切であることには何ら変わりはないんだから」』
僕の唯一で無二であるならば、僕はこんなちっぽけな力を精いっぱい揮って君を助けたい。守りたいよ。
こんな過負荷が今更何をと思われても、ね。
それを聞いたクラピカちゃんはそうか、といって顔を上げた。
ベッドから立ち上がる僕に手を貸してくれる彼はやっぱりイケメンだ。見た目も中身もイケメンだぞくっそー悔しくなってきた。
先だってドアを開けてくれているクラピカちゃんの前を通ってドアをくぐった一瞬でちらりと耳に入った言葉、
「…やはり姉弟だな。」
その意味を理解するまで、あと何分だったろうか。
クラピカちゃんに案内されながら試験官と受験生が集められている会場についた。円で見たから場所分かってただろとか言ってはいけない。だって僕が場所を知っていたら怪しまれるでしょ。
会場は大学の講義室のような構造になっていた。
みんな面白いくらいにバラバラに座っているので僕はなんとなくクラピカちゃんのすぐ隣に腰を下ろした。
途端にイルミちゃんから練が飛んできた。なに?僕に恨みでもあるのかイルミちゃんよ。死んだせいで有耶無耶になってるけどあの拉致監禁発言についていずれ問い詰めなきゃならないんだけど。
クラピカちゃんが念にあてられて冷や汗をかいている。これはマズいと思い、バッと2人の間に割り込むようにクラピカちゃんの前に身を乗り出した。
ぶっちゃけ僕の念でイルミちゃんを相手できるかと言われたら絶対無理だけど、これくらい距離が開いていて飛ばされているのが発ではなく練であるなら盾くらいにはなるだろう。
「…ミソギ、その、」
『「なあにクラピカちゃん」「今、空前絶後のにらめっこ大会中だから集中したいんだけど」』
「いや…ちょっと、この体制は…」
『「あっそうだねごめんごめん」「僕なんかにパーソナルスペース侵されたら不快だよね」』
「そういう…わけでは…」
イルミちゃんとの間に割り込むっていうのは立っている状態だったら問題ないけど今は固定された椅子に座った状態だ。体が前後にずれにくいため僕の背中とクラピカちゃんの胸あたりがくっついている。
気持ち悪かったね!ごめん!だから怒らないでよ!
離れたらイルミちゃんの念が止まった。何だったんだろうね。
しばらくすると僕らにナンバープレートを配ってくれた豆っぽい人が出てきた。
どうやらこれから行われるのはプロハンターとライセンスについての講習会らしい。
何だかずいぶん便利そうな代物だけど、そんなもの持ってたって使いやしないしさっさと売り払っちゃった方がいいと思うんだよね…
と思いきや何だか会話が不穏な雰囲気になってきたぞ。
どうやらクラピカちゃんとレオリオちゃんが、キルアちゃんの不合格に不満があるらしい。
いかにも興味ないですという風に肘をついてぼーっとしていると、ネテロ会長がこっちを向いた。
「ミソギはキルアの不合格について不服申し立てはしなくて良いのか?」
『「ないね」「っていうか無駄だし」』
「無駄とは?」
『「不合格を取り消す気なんてさらさらないでしょ」「どんな理由があっても不合格は不合格、ってことじゃないの?」「白々しいね」』
そもそも念能力者とそうでないものには以下略。もう同じこと言いすぎて飽きた。
イルミちゃん普通に練使ってたし。キルアちゃん何か仕込まれてるみたいだし。
あの試験は端からフェアなんて言葉とは程遠いものだった。
僕は足早に向かってくる気配に気が付いた。吐きそうになったため息をそっと飲み込む。
『「…ゴンちゃんがくるね」「一波乱ありそうだ」』
予想通り。
ゴンちゃんはよりにもよってイルミちゃんに喧嘩を売り始めた。ああもう無知って怖いな!!僕みたいなにわかでも念使いならイルミちゃんがどれだけすごいっていうかヤバい能力者なのか分かる。ゴンちゃんはまるっきり分かってない。頭を抱えたくなるような現状だぜ!
「友達になるのだって資格なんていらない!!」
『「ゴンちゃん!」「青春チックなセリフは後にして」「君は怪我人なんだからこんなところで無駄に喧嘩を売るなよ、死ぬぜ?」』
今日の僕は、っていうか最近の僕は他人をかばいすぎだと思う。僕の背中ほど頼りないものなんて存在しないくらいだってのに。
『「イルミちゃん」「ゴンちゃんを殺したら」「君の存在をなかったことにするぜ」』
「いいよ。すれば」
けろりと返されてしまう。別にイルミちゃんを消すことはどうでもいいんだ、できるよ、普通に。不通にね。
でもゴンちゃんたちの前でそれをやるのは憚られる。…何故かって?
…うん、なんでだろうね。
「…お前ならいいよ、殺されても」
急いでゴンちゃんをイルミちゃんから離すことに夢中だった僕は、イルミちゃんが呟いた言葉を聞くことができなかった。
無事にハンターライセンスを受け取れてほっと一息。
つく間もなく彼らはキルアちゃんの居場所を探すことに必死だ。そりゃあ僕だって心配だけどさ。
「そう言えば会場にこれが残されていたんだが…」
「あっキルアのリュック!」
「調べようぜ。何か手がかりがあるかもしれねぇ!」
『「えー勝手に見ていいの?」「プライバシーの侵害ってヤツじゃん」』
「うっせ!いいのかよキルアが見つかんなくても!!」
『「良くないけどさぁ…」』
「クラピカ、それ見せて!」
「ああ。っゴン!気をつけろ!」
ゴンちゃんが片手で受け取ることに失敗してリュックを取り落した。
ぽて、と可愛らしい音と共に小さなリュックから出てきたのはピンク色のかたまりだった。
僕の呼吸が、止まる。
「…ぬいぐるみ?」
「うさぎのぬいぐるみのようだな。ボロボロだ」
「なんでキルアがこんなもん…」
3人の言葉が上手く耳に入ってこない。
頭の中でガンガン鳴り響く耳障りなノイズが神経を蝕んでゆく。
なんだ、これ。
薄汚れたうさぎのぬいぐるみ。
片方の目には眼帯があって、手にも足にも補強用の包帯が巻かれていて、縫い目がめちゃくちゃな服を着ていて、体は継ぎ接ぎで、そして、
あらゆるところに涙の跡があった。
「姉ちゃん、たんじょーびおめでとう!」
「姉貴、こういうの好きだろ?この間ネットで見てたヤツと似てるの探したんだ」
「ぼくっ!ぼくがみつけたの!」
「あたしがお洋服つくったのー!」
「買ってきたの俺だからな!!!」
平衡感覚が根こそぎ吹っ飛んだ。
体が傾いたことを認識すらできず崩れるように倒れ伏した。
『ぁ…』
「ミソギ!?」
体を揺さぶられる。声からしてクラピカちゃんかな。
その後ろで怒鳴って医者を呼んでいるのはレオリオちゃんな気がする。
『あたま…われそ…っ』
けれど僕はその声に答えることも茶化すこともできなかった。
僕の中にある大嘘憑き(オールフィクション)が音を立てて瓦解する。
もっともそれはほんの一部でスキル本体には何の影響もない程度のものだったけれど、僕にとっては違った。
この試験中に何度も浮かんだ疑問。背筋を走った悪寒。
その全てが記憶の糸でつながっていく。一度失ったものを、捨ててしまったものを修復する。
おかしいなあ、僕の大嘘憑きは劣化していたあの頃と違って負完全なものなのに。
そう言えば昔、怒江ちゃんに言われたんだっけ…
"なかったことにできないものも存在する"
僕はコレをなかったことにできなかった。否、心の奥底ではなかったことになどしたくないと思っていたんだ。
ぼやける視界の向こうにピンク色の塊。
のろのろと腕を伸ばして包帯が巻かれた柔らかいそれを握る。
ああ、そうだ。
これは僕の宝物だ。
ミルキが調べてカルトが見つけてキルアが買ってアルカが可愛くしてくれた、僕のたった1人のお友達。
僕が泣いたときには誰よりもそばにいて、僕が嬉しかったときには抱きしめた。
ねぇ、そうだったよね、キル。
ごめんね、悲しい思いをたくさんさせたね。
まだ間に合うかな。許してくれるかな。
こんな僕でも、君たちはまだ愛してくれる?
しろいきおくのかなた、きみがないている
(泣かないでって)
(頭を撫でてあげなくちゃ)
だって僕は、君のお姉ちゃんだから
……………………………
ミソギはポジティブにネガティブなだけで天然ではない。
発言が典型的逆ハーヒロインみたいに思える不思議。
難産すぎた上に長すぎる…
[back]