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 いつかの日の自分



その日、荒北靖友は肩の検査のため東京の病院に来ていた。

自転車競技部という全く触れたことのない部活に入部して数か月。福富に言われ人の3倍の練習を積んでいる。
上半身にはあまり負荷のかからないロードレースだが念には念をということで病院を訪れたのだった。

緑間総合病院というその病院は総合という名にふさわしく広大な土地と建物で、初めてきた荒北は道に迷っていた。

病院というのは妙に人が多い。
看護師たちの内緒話や患者同士の世間話。色々な音に溢れていて不愉快だった。

「ねえ聞いた?202号室の赤司さん」
「ええ、あの子もう歩けないんですってね」
「まだ高校生なのに…」
「可哀想にね」

「(なァにが可哀想にだ。勝手に決めつけて見下してンじゃねェヨ)」

以前の自分だったらぶん殴っていたところだ、と思いつつ診察室を目指した。






「だァーめんどくせェ。何でこんな広く造ってんだよもっとコンパクトにしろってンだ」

何とか検査を終え、がりがりと短く切った黒髪をかき混ぜながら気だるげに廊下を歩いていると、人影のないところまできてしまった。また迷ってしまったらしい。
等間隔で並ぶドアを見て、ここが入院棟であることを知る。

「チッ…戻るか。ん?」

荒北の視界に鮮やかな紅が入り込む。
それは腰まで届くような長い髪だった。その髪の持ち主が荒北に背を向ける形で廊下の壁に寄りかかって蹲っている。
背格好からして、中高生くらいの少女だろう。着ているものはおそらく患者服だ。

辺りを見渡しても看護師は見当たらない。発作などであれば大変だと思い荒北は近寄って声をかけた。

「オイ、あんた大丈夫かァ?」

返事がない。
聞こえていないのか、と回り込んで顔を覗き込んだ。

瞬間、息を呑む。


顔の半分を覆う包帯。腕や足にも複数の包帯がちらつく。
どうやら病気では無く怪我での入院らしい。
しかし、荒北が息を呑んだ理由はそれではない。

瞳。

包帯の下にある右目は伺えないが、辛うじて露出している左目は髪と同じく深紅。
一切光のない、絶望を塗り固めたような色だった。

血の気のない頬と嫌に整った顔立ちのせいか大きなビスクドールのようにも見えた。

「オイ!」

がっと力の抜けた肩を掴む。
すると少女はぎこちない動きで顔を上げる。

何処を見ているのか分からない虚ろな瞳は荒北へは向かず、ただ空を見ているだけだった。

これマズいんじゃねェ?と看護師を呼ぼうと体を起こす。
すると、

手すりに引っかかているだけだった左手に力が籠ったと思えば、両手で手すりを握りしめて懸垂のように上体が浮き始めた。

『くっ…う…ぁ……ッ』
「何して…」

ずるっと右足が前に出る。しかし膝は伸びずに折れてしまう。
左足も同様。お世辞にも歩いているようには見えない。

「お前、病室どこだよ。運んでってやっから教えろ!」
『……離して』
「あァ!?」
『ぼくは…自分で、歩いて、歩かなきゃ…だめ…』

言葉がたどたどしく支離滅裂だ。
人形のような様相のまま、少女は這うように進もうとする。
リハビリの一環なのかとも思ったが様子がおかしい。その時ふと目に入った胸元の名札。

"赤司"

それは先ほど看護師がコソコソと話していた患者の名前ではないか?

『自分で…足で…だめだ……こんなの、じゃ…全然…ぼくは…ッ!』

1mと進まないうちにガクンッと体が落ちた。
反射的に胴体に腕を回して支えるが、子供のように体をひねって逃れようとする。

「大人しくしろヨ!無理すんじゃねェ!」
『だめ、離して…』

離して、と言っているが彼女の体にはほとんど力が入っていない。
荒北の腕に伝わるのは人一人分の体重だ。
本当にその辺に放りだすぞ!とキレかけた荒北が次の瞬間再び硬直する。

『バスケ、が…』

ぽつりと漏れた言葉。


『バスケ、できなく…なる…』


無表情だった顔がくしゃりと歪む。
泣き出す寸前の、不安げな迷子のようなその顔から何故か目が離せなかった。

『勝たなくちゃ…バスケをしなくちゃ…バスケで勝てないぼくに、』

深紅から透き通る雫が溢れだした。



『ぼくに、価値はない…っ』



ブチっと今度こそ荒北の米神から音がした。


「なッッッにフザけたこと言ってンだバァカが!!!!」
『!?』
「バスケができなきゃ価値がねェだァ?寝言は寝て言え怪我人がッ!!」
『あ、なたに何がっ』
「分からねェな分かりたくもねぇ!テメェの価値をバスケなんて球遊び1つに置いちまってるバカの気持ちなんてなァ!!」

初めて深紅に荒北の姿が映った。
揺れる瞳から絶望が薄れたことに安堵しつつ、激情に任せた言葉を吐き捨てる。


「テメェの価値がンなことしかねぇわきゃねーだろがッ!!!」


呆気にとられたような顔。
片方の瞳がぱちぱちと瞬いている。
その表情に満足した荒北はゆるりと口角を上げて笑う。

「オラ、病室どこだよ」
『え、と…あっち…』
「あン?何だお前病室に向かってたんじゃなくて出てったのかよ…」

数メートル戻ったドアを指さされ、荒北は呆れたようにため息をついた。
胴体に腕を回した形で引っ張ろうとするが、彼女がほんの少し顔を歪めたので慌てて力を緩める。
思った以上に広範囲に怪我があるらしい。

「しゃーねえなァ」
『えっ、わ、ちょっ!』
「軽すぎンじゃねェのお前…」

肩と膝裏に腕を通して持ち上げると、拍子抜けするくらい軽々と収まった。
俗にいうお姫様抱っこだが、もちろん荒北にそんな経験はないため重さの違いは分からない。しかし人の体重としては軽いと思った。

「もう勝手に抜け出すんじゃねェぞ。面倒だからなァ」
『あ、ありがとうございました…』
「っせ俺が勝手にやったことだろ。礼とか言うんじゃねェ」

なるべく衝撃を与えないようにゆっくりと彼女を下ろした。
礼を言われたことがむずかゆく、視線を逸らして頭を掻く。

「…バスケができなくたって、お前にできることはあンだろ」
『え?』
「諦めなけりゃなんでもできるなんて馬鹿なコトは言わねェけどヨ。諦めたら終わりだろ。前見て、ちゃんと歩けよ」

自分もずっと下を向いていた。けれど福富に言われて気づいたのだ。
進まなければ何も変わらないのだと。






シン、と静まり返った病室。
名前も知らない青年が去ったあと、征蘭はぼんやりとドアを見つめていた。

『(ぼくに…そんなことを言う人間なんていなかった)』

何故なら彼女は"赤司"だからだ。
テストを受ければ全て満点、スポーツをすれば全戦全勝。教師からも生徒からも信頼される赤司征蘭に、前を見ろなんて説教じみたことを言う強者はいなかった。

きっと、彼は"登場人物"ではないのだろうな。

そんなことを考えながらふっと視線を下げると、地面にきらりと光を反射する小さなものがあった。

『ん…っ!』

ベッドの上から目一杯手を伸ばし、指先がそれに軽く触れた。
ちょっとずつ突いて手繰り寄せ、数分かけて手の中に収めて見れば、それは校章だった。
先ほどの青年はブレザー姿だった。つまりは彼のものだろう。

『函、学?』

六角形の中央に掘られたそれを読み上げる。
そうか、彼はこの学校にいるのか…


征蘭はスポーツ推薦で洛山に入学していた。よってこれ以上バスケ部に貢献できないのであれば退学するのが道理だろう。

『…ここに、しようかな』

ぎゅっと小さな銀の固まりを握りしめた。



いつかの日の自分
(前へ続く道が見えた気がした)

………………………………
箱学ではなく函学になっているのは確か校章の漢字は後者だったと記憶しているからです

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