大空が呆れる日
一言で言うと、がっかり。
二言目は、もうどうでもいいや。
放課後、体験入部が始まる時間になった。正直部活には入る気がないが、全国一だというテニス部もとい兄の姿を見るのもいいだろうと思ったんだけど。
目の前のコートで繰り広げられる茶番に俺はため息を吐いた。
あーあ、ごっそり幸せ持ってかれちゃったよ。
茶色のツインテールが目立つ橘美世さんという人。
兄さんと同学年で、このテニス部の敏腕マネージャー。
って聞いてたんだけど?嘘かな?
あの人、さっきから動いてないよ?
スコアらしきボードを持ってはいるけど書いてないし、そもそも水仕事なんてしてなさそうな綺麗な手とネイルだ。
ちらりと部室の方を向けば…おいおい。
後輩の平部員と思しき男子が数人係でドリンクやタオルを用意している。
確かに橘美世さんは可愛いと思う。
けれどその人に構ってばかりでテニスを疎かにするような兄さんだったろうか。
13年、人生の大半を兄さんと共に過ごしたけれどあんな姿は見たことがない。
恋は盲目なんてよく言ったものだね。
本当に兄さんは何も見えてないよ、橘さんの悪いところとか部員たちの視線とかね。
「幸村くーんっ!」
「仁王くん頑張ってぇー!!」
「丸井くんこっち向いてーっ!」
フェンスに張りついて応援している彼女たちが気の毒になるくらい、テニス部は…というかレギュラーは橘さんに夢中だ。
彼女が仕事をしていなくても分からないふり、見逃している。
彼女が掃除下手でも何も言わない。おそらくその目に角の埃なんて映らない。
彼女が洗濯できなくても何も言わない。汗をかくほどの練習をしていないから。
王者立海。聞いて呆れる。
負ければ彼女が悲しむからそれなりに練習はしているが…それにしても筋トレや走り込みの時間がほとんどないように思えるのは気のせいだろうか。
彼女に自慢の技を見せて楽しませたいだけ?褒めてもらいたいだけ?
あぁもう…言葉も出ない。
ぎゅっとフェンスを握った。黄色い声と平部員の声出しを見ていると視線を感じた。
…分かりにくいけど柳さんから感じる。あの目でもしっかり前が見えてるらしい。
あの人が言っていた意味がよく分かった。俺は彼に向ってゆっくりと首を2回振り、コートを後にした。
人生最大の厄日、もとい翌日。
俺はホームルームのあと兄に俵担ぎにされて運ばれたと思いきやついた先は昨日も来たコート。
兄さんの号令で集められた部員の前に立たされたかと思うと、
「今日からマネージャーをやってもらう幸村市華だよ。俺の妹だから、よろしくね」
『…………』
あんまりだ。
俺に拒否権がない。
入部届けを書いた覚えはないのに…。
兄さんは本当に厄介だ。
「精市の妹!?すっごい可愛い!」
「ふふっ、美世の方が可愛いよ」
おいおい仮にも妹に何てこというのさ。
っていうかつい1年前まで俺を溺愛して離さなかったのは誰だよ。
『……はぁ』
俺はため息を吐いてテニスコートに背を向けた。
もちろんサボるでもなく辞めるでもない。自分で言うのもなんだけど俺は基本的に真面目だから。
仕方なく掃除してやるし仕方なくドリンクを作ってやるし仕方なく洗濯してタオルを拵えてやるよ。
『練習、やってればいいけどね…』
またため息一つ。
俺の幸せは大半が兄さんの所為で消えていくのか…嫌だなぁ
そう思った入学初日の昼下がり。
今日一日は異様に長い。
本来ならばわくわくと胸躍る日常であればと思っていたのに鉛色どころかどす黒い暗雲が垂れ込めたそんな日になった。
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