花、焦がれる
珍しく仕事がないという名前がわれの部屋に来た。大概は琴を弾いたり賢人殿の仕事を手伝ったりするのだが、ほんに珍しいこともあるものだ。しかし追い払う気にもなれぬ、早々にこれらを終わらせねば。
と、名前が手伝うと言って手元を覗き込んで来よった。
…やれ近いぞ
一通り目を通すと一人頷き、われに何かを聞くことなく淡々とそれらを片付けていく。
おのれ…やることが間違っていないところを見ると余計腹が立つわ。一瞬書き上げたものに墨でもかけようかと思ったがそういえばこれはわれの仕事であったとやめておいた。
そうしているとすぐにキリがついた。お茶にしましょうといって素早くそれを用意する。ほんにできた女よ…。こやつと茶を嗜むことはそう珍しくない、むしろ日常化しておる。その際色々話をする、情報交換でもするかのように互いの知っていることを相手に伝えていく。
名前は異国との貿易も任されているようでよくその話を聞かせてくれる。異国はこの日の元よりもはるかに発達しているようだが、別段羨ましいとは思わぬ。理解しがたい、否、理解したくない世界がこの大海原のむこうに広がっておるという…
対してわれはこの城のことをよく話す。誰れ其れはよく寝る、天君という馬がおる。時として他国の武将のことも話すが、何よりもわれが話題に上げるのが三成である。ただ単にあやつが目に余ることをようしやるというだけであるが。
「真っ直ぐなのは悪いことではないがあやつの場合は問題よ」
「問題ですか?」
名前はどのような話にも興味津々に耳を傾ける。相手が誰であろうとよ。話す側からすれば心地よいことではあるのだが…
「少し不器用な方なのですね」
くすくすと笑う。心なしかいつもよりも優しげな目をしておる。
われは、それが気に入らぬ。
名前は三成の話となるといつもと違う表情を見せる。他では一度も見せたことのない、ヤサシイそれを。
「自分に素直に、ただひたすらまっすぐにってなかなか出来ないものだと思いますよ」
愛しげに、そう口にする。
われはそれが気に入らぬ…気に、いらぬ…。
「吉継さんもそう思いませんか…?」
そういえばこやつは、たまに三成を目で追うことがある。三成と名前には全くと言ってもいいほど接点がない。縁側を歩いてる途中に鍛錬する姿を目にする程度でよ。言葉を交わしてる様子を見たためしなし。
「ぬしは、三成を好いておるのか?」
不意に問うてしもうた。口にした後にしまったと思ったが口から出たものが戻ることはない、そのまま返事を待つことにした。
「わかりやすいですか…?」
「隠しておるつもりだったのか」
「いいえ」
また笑う。
何故か此度は全く惹かれなんだ。苛つきだけが膨張する。
「何故言い寄るような真似をせぬ」
「だって面倒でしょう?」
お互いに。
目を伏せると静かに茶を口にしてそれを置く。名前がそれをする時は話を聞かせてくれる相図であり、それを見ればわれは聞く体制に入る。
「形容しにくい気持ちを無理に言葉という形にしてまで押し付けたところで伝わるものでもなし、押し付けられた側も迷惑というものです」
「しかしそれをしとうなるのが"好く"ということではないのか?」
「…知ってほしいと強く思う瞬間もありますよ」
わけのわからぬ…
そのような面倒な響きのすることをせずとも一度話しかけるなどすれば良いものを。賢人殿の妹君ということ知ればそれだけであの男はこちらから手を伸ばすこともない内に届く距離に寄り添うてくれるであろうに。
ひどく、不快ではあるが…事実。
「それが嫌なんですよ」
「……われは何も言うておらぬ」
「目は口ほどにものを言います」
名前が笑うたび降り積もる負の感情。
「あの人は月なのです」
……こやつはいつも唐突にわけのわからぬことを発する。
またか…呆れるも、その話は面白く感じることが多い。われにはない考え方、何故そのような思考に至るのかとんとわからぬような、不思議で可笑しくも惹かれ、共感できる話。
黙って耳を傾けることにした。
「秀吉公が太陽だとして、三成さんは月、兄上は海なのです」
太陽の光を反射して輝く三成は月、それらを映し出す海が賢人殿らしい。
儚く、恐ろしく思うほどに美しく、他の星も見えぬほどの闇の中でもただ一つ太陽の光を反射し続ける月。太陽が居らねば存在を確認することも叶わぬ、月。
精神はそう強くもないのにただひたすら太閤殿のためだけにそこに真っ直ぐ在り続ける三成に、確かに見えなくもない。今の三成があるのは太閤殿あってこそ、と…
ただ孤独に在り続ける太陽と月を、己を見失わせぬとしているかのようにその姿を映し出す海。広く、深く、静かなそれは賢人殿の人柄を表しているようにも思える。時に竜巻やら嵐、津波を起こす様もの。あれは荒らぶった際の賢人殿そのものよ。
そしてそれらを生み出した、全ての始まりであり、何と並ぶでもなくひとり遥か高みより君臨し続ける、いわば神のような存在。
ヒヒ…まさに賢人殿と三成にとっての太閤殿ではないか。聞けばどこまでもそうとしか見えなくなってくるわ、不思議よなァ…
「して、それがなんであるという」
「そうだった場合、私は湖なのです」
「湖とな…?」
「はい。…目に止まらぬほどの小さな存在。仮に止まったとして、湖自身が望まれることはないのです」
ただ海と重なる部分を感じるだけで、湖を通して海に焦がれるだけなのです。
「兄上の影を私に見るだけだというのなら、要りません」
…なんとも、言い知れぬ強さを感じた。こやつも、三成と負けず劣らず、馬鹿なほどにまっすぐよ…
愚かよな、まったくもって損する生き方よ…
「してわれはなんぞ」
そんな名前に、さらに強く惹かれる自分がいるなど教えてやるものか。
少し困らせるつもりで問うた。冗談半分、残り半分は…さて何であろうな…?
「んー………」
「……」
……蝶ですね、
熟考の後そう答えた。
「やれ随分と小さき存在よなァ…」
先ほどの大規模な話はどこへやら。われは蝶らしい。よもやこの兜の先の物を見てそう思うたなどとは言わぬであろうな。なれば呪い殺す。
湖よりもはるかに月やら太陽の目に止まらぬ存在ではないか。こやつ何気に失礼ぞ。
「海に影を落とし、月を背負い、太陽の光をその身に浴びて美しく舞うその姿は枯れゆく湖を癒すんですよ」
「……やれぬしは詩も嗜んでおったか、それは知らなんだ」
歯が浮くような台詞をよくぞこうもすらすらと紡げたものよ…
背を向けて菓子を口にする。これもここ最近するようになった、口にする瞬間を見られなければよいのだと。此度のこれはテレカクシなどという馬鹿なことではないわ。
名前の笑う気配を背にしばらくそうしておれば少しずつ落ち着きを取り戻した。怒りに似た苛つきも、頭の中をぐちゃぐちゃにする体の火照りもようやっと静まった。そして気づいた。
蝶は月よりも遥か湖の近くにいるということ。
「………此度は、それで許しやろ…」
「ん?何か言いましたか…?」
「はて、空耳であろ」
月のことなど見えぬほどに舞ってやろ、主の視界いっぱいにいてやろ、
われは蝶なのであろ…?なればこのハネで主の目を惹き、鱗粉を塗してわれに酔わせてやろ…
蝶の鱗粉には催眠効果と、中毒性とがあるという。
われがひとつ、ぬしで試してやろ…