花、儚し
時間が空いた。
散歩をする程度のものだが、十分よ。三成がいつも今日のように真面目に机と向き合ってくれればわれは苦労せぬというに…
名前の部屋に向こうておるが…如何せん先日あのような別れ方をしたのだ。どう接すればいいのやら…
しかし金平糖をわれに贈るくらいには構わないということなのだ…ろう。そうなのだろう。何食わぬ顔で礼だけ言いに来たとでも言えばいいのか…
ああでもない、こうでもないと考えを巡らせる。と、名前の部屋の周りに見慣れぬ存在があった。城の者である事はわかるが…今までこやつらがここにいた事はなかった。
「吉継様、これより先はお引き取りくださいませ」
「…何故、」
「お引き取りくださいませ…」
「何故と聞いておる」
強めに言うとて頑として口を開かぬ。われ以上の権力者がここ一帯に人払いをしておるのか。
名前がそのようには見えぬが…いやわからぬ…ワカラヌ…
引き返す他手がないか…
思わず舌打ちをする。いらいら、というのであったか…?ひどく不快な気分に苛まれる。
焦っておらぬ…われは何も焦っておらぬ。だというに何故こうもココロが落ち着かぬのか。今まででも何度も思い通りにならなかったことはあったというに、何故それと同じようにアキラメルことができぬのか…。
「退け、」
「ッぐぁ…っ、」
見張りの者に数珠をぶつける。反逆行為として罰せられるやもしれぬ。が事情を話さぬあちらが悪い、このようなひ弱な者しか見張りに立てなかったあちらが悪い、ワルイ。
「名前、」
「……………よし、つぐさん…?」
小さく、弱く、今までと比べ物にならないほどの…儚げという言葉では生易しいほどの…そんな声が障子の向こうからした。
「ッ、名前!!」
不安に駆られ勢いよく障子を開ける。
それに驚いたのかびくっと肩を震わせてこちらを見る名前が居った。
しかしそれもすぐ微笑に変わり、そんなに慌ててどうしたんですかといつもの調子で問うてくる。否、弱々しいその様子では"いつものように"というわけでもなかったか…
落ち着いて目をやると夜着一枚でいたことに気づき慌てて目をそらす。先程まで横になっていたのであろう、布団の中に下半身を入れたままそこに座っていた。
「このような格好ですみませんね…」
「い…いや、われが押しかけたゆえ…」
苦笑いをしているのだろう、しかしその姿を見られること自体にはなんとも思っているらしい。それもどうかと思うた。
一向に動く気配がないゆえ、なるべく見ないように向き合うことにした。
「体調でも崩しておるのか…」
「ええ…。しかしよく通してもらえましたね…」
「はて、なんのことやら」
われは居眠りしておるものしか見なかったわ、
そういえば名前は笑うた。それを目にして、やはりいつもと変わりがないではないかと安堵する。何やら不調らしいが風邪か何かであろうか、移さぬように人払いをしていたのであろう。
いつもと変わらぬ、花が綻んだような、そんな笑顔。それを目にすればわれらしくないと思うても落ち着くものは落ち着く。致し方なかろ?
「礼を言いに参った」
「え……少し不吉な響きが…」
「それほどまでに不幸の星がその身に降りかかることを望むか」
数珠を投げつける素振りをすれば冗談ですよとまた笑う。調子を狂わされる、まったくもって不思議な女子よ。
礼などして欲しくないということか、他の者であればこぞってあれが欲しいこれが欲しいと礼の品と称して強請るであろうに…。
「そういえば…先日は申し訳ございませんでした…」
布団から出、正座をすると三つ指を付き、背筋を伸ばしたまま深く礼をとる。
「誰しもして欲しくないことはある。分かっていながら己の行動に対してそのような危惧を一切せず、大変不快な思いをさせてしまったこと、深くお詫び申し上げます」
先程までの儚げなさまはどこへやら…凛とした声でそう言いおった。
それ以上何か紡ぐことはなかったが、われの反応を待っているらしく一向に頭を上げる気配がない。
しかし…
「…そうではない」
「………」
「触れられることが、不快なわけではない…」
何を言うておるのか、われは…。
人に触れられること、人と携わること、必要以上に言葉を交わすこと。それら全てが嫌になったではないか。
目の前にいるこの女も、同じよ…オナジ。われの味わったこの苦悩をその生にて一切味わったことはなく、何も知らぬというに全てを知っているかのようにギゼンを振りまく。
「われは…業を患っているのだ…」
オナジ。……オナジだというに、何故…
「ぬしに、感染るやもしれぬ…」
触れれば、この忌まわしい業が感染りやる…
何故、こんなにも震えているのか…。
業など人に感染ってしまえばよい…われのこの苦しみを知り、己が過去を、何も知らぬ者を呪うがよい…
われと同じ身の上に、なるがよいわ…
そう思っているはずであるのに、名前がそうなるのは、
「どうぞ、感染してくださいませ」
面を上げ、開口一番にそう言った。
我は耳を疑った。が名前は確かにそう言った。
「それで住む世界が狭くなってしまうのなら、私にそれを置いていってください」
「…何を、言うておる…」
立ち上がり、多少覚束無い足取りながらも移動する。向かった先はわれが入った方向とは逆の障子。出る寸前に一度こちらを振り向きついてくる様視線をもらった故後を追った。
向かった先は高欄。ちょうど、自主的な鍛錬をする兵を見渡せる状態であった。その中に、不自然に距離を開けられた一箇所があり、その中心には三成。あやつは加減というものを知らぬ故、周りに被害が及ばぬように配慮などせぬであろうなァ…否、できたとしてよけれぬものが悪いと構いもしなさそうではあるが。
名前を見やれば視線の先には我と同じく三成の姿があった。
「あのように思いっきり汗をかいてみたいものでしょう…?」
「気持ち悪いであろうがなァ…」
「却って清々しさを感じると思いますよ」
「それもそうよな」
この時に気づくべきだったのだ。いくつも、いくつも違和感を感じるべき点があったというに、
「今度一緒に鬼ごとでもしましょうか」
「やれ名前、寝言は寝ていうものぞ」
何気なく行うようになったこの談笑が、いかなる代償の上に成り立っていたのかを。