花、触れる
幾日かして、執務のキリがついた故あの者の部屋を訪ねた。
「ッ、ぐ…よ、吉継さん゛…」
「…何をしておる」
障子を開ければ首を押さえて苦しそうに歪む顔をこちらに向ける女、名前。
よう見やれば手元には小さな巾着。形からして金平糖でも入っているのであろ。つまらせたか。
「ヒ、見ものよ」
「いいから水くださ…っ、」
なんと楽しきコト…思わぬ展開ぞ。
しかしあまりにも苦しそうな目で訴えてくる故水を差し出した。こやつにはあのような顔よりも琴を弾いていた時のような顔の方が良いように思える。そちらの方が惹かれる。故に救いの手を差し出したまでよ。我の行いを救いと思う者がおるなど、世も末よな。
水を渡すと奪うように受け取り躊躇いなく口に含む。
はて…先日のあの淑やかさは何処へ行ったのやら…
「花瓶に入っていた水よ」
「ぶはっ」
「……。」
化けの皮が剥がれたのだと思うことにいたそう…。
まだ吐いたものがわれにかからなかっただけマシよ…マシ。
「あ、そういえば昨日こんぺいとうを頂いたんです。吉継さんもいかがですか…?」
「否、われはよい」
「もしかしてあまり好きじゃありませんでした…?」
美味しいのに、とぽりぽり音を立てて食べる。
われは…それだけは好んで食べる。が…人前ではものは口に出来ぬ故…。
そういえば誰から金平糖をもらったのだろうか、あれは高価なもの故早々手に入れられるものではない。ますますこの者の出が気になった。
おいしい…そう言ってほころぶ顔を見ればしかし、そんなものなどどうでも良くなった。
「ん、」
「食わぬと申したであろ」
「一粒でいいので…ね…?」
「食わぬと申しておろう」
何故そうせまる。美味しいというのであれば尚更、独り占めすればよかろ。
顔を俯かせ、金平糖を口に運ぶことをやめる。
「…だって、嫌いじゃなさそうな顔をしていらしたから…」
だって…などと、童でもあるまいに。
だがそのような姿をいつまでも目にしていたくなかった、ムネを締め付けられるような…息苦しいような、そんな感覚に襲われた。
「ん、」
「っ!?」
「食べよ!」
包帯越しに突起が口元に押し付けられる感覚がして、それが名前が金平糖をわれの口元に押し付けているからと知って目を見開いた。口調はわれの真似をしているつもりであろうか、今はそんなことを気にしていられぬ。我が油断している一瞬の隙にィ…!
近いやれ近い!!!離れよ!!!
そう伝えようとするもうまく声にならず、そのまま抵抗をしようとすると顎を捕まれ、反射的にそれを叩いてしまった。
「!!」
「…っ、」
「…よ、し―――…」
「………触れるで、ない…」
目を見開いて、こちらを見る名前。
……われに、触れるでない…。
触れるな…、
触レルナ…
主に感染りやる…ウツリヤル…。
何が起きたのか未だわかっていないのか、少し動揺の色が紫紺から見てとれた。
ああ…そうか、われが主に手を上げたのであったな…。まこと、愉快な顔をしておるぞ。
主は、傷ついたであろうか。われを遠ざけるであろうか。
そんなもの、見とうない。見とうない故主に離される前にわれが主から離れよう。
なに、いつものことよ…これしき、なんともないわ…。ヒヒ…
「邪魔をした。執務が残っておる故われはこれで」
障子を閉める寸前、小さく聞こえた言葉。その声がかすかに震えている気がした。
聞かなかったことにしやる、"ごめんなさい"などと…
我は謝罪の言葉は嫌い故…
それからしばらくした日。軍議を終え、いつものように執務に取り掛かろうと文机に向かった時のことであった。
そこに、覚えのない小さな巾着があった。
薄桃色ののそれは紅い紐で蝶々結びに締められていて、はて、このようなものを頼んだ覚えはないがと振り返る。人からの貢ぎ物かなにかだとして、何故文が添えられておらぬ…?
ひとまず文机の前に輿を落ち着かせ、それをしばらく見やる。
われの元にあるということは如何様な理由があろうとわれに所有権があるということ。と巾着を開けることにした。
「……憎いことをしやる…」
じわり胸に染み渡るアタタカなもの、巾着にあったそれを口に含むと同じようにその甘さが口の中に広がった。
確かに、オイシイ。
…仕事がそう多くない日にでも、また顔を出すとしよう…。
一人そう心に決め、緩む己が頬に見て見ぬふりをした。