花、垂るる
兜をつけたまま場内を歩くことがなくなった。
初めのうちは兵や女中、三成や賢人殿らから鬱陶しい目線と同じような反応をもらっていたがそれもそろそろ落ち着いてきやった。視線にはもういい加減慣れが訪れた。何の支障もなく今日も今日とてわれはこの大阪城にて息をしておる。
「なんか、吉継さん人気が上がりましたね」
「………何を言うておる」
「あ、ほらちょっと視線が増えた感じが」
「何、嫉妬よ嫉妬。われと主が仲睦まじいゆえになァ」
「本当にね」
その日も執務の合間を縫って散歩をした。此度は輿を使うておる。そういう気分だったのよ。何気ない話をしている時に聞こえた声、今となっては珍しくないそれにゆるりと緩慢な動きでそちらに目を向ける。
「賢人殿、」
「ああ、楽にして構わないよ」
「兄上も一緒に散歩でもどうですか?」
「ありがたいお誘いだけど、君たちの邪魔をするわけにはいかないからね」
「け、賢人殿っ!!!」
はっはっはと爽やかな笑みで手を振りながら去る賢人殿の背中、も…よく目にはする光景となったが、未だ…慣れぬ。
動揺したわれを笑いながら"相変わらず照れ屋さんなんですねー"という名前の言葉に聞かぬふりをすることも然り。
名前は季節を楽しむ。怪談が苦手だというに聞きたがり、潮風に耐えられぬ身体だというに海に行きたいと言い出す。現に今とて紅葉が見たいとわれと散歩を称した紅葉刈りをしようとしている。
賢人殿は…妹君を甘やかしている節があるようで名前が斯様なことを言うと困惑するもなんとかならないかと頭を巡らせる。戦を仕掛ける作戦をたてる際に垣間見る以上の様子でなァ…何故そこまでするのかと聞いたことがあったが…曰く、あまりそういうことは言わなかったからそうだ。
確かに名前はあまりそういうのを言うようなタチには見えぬ。しかし斯様なところも愛らしく思えるゆえわれとしては何の問題もない。
「ッ、けほっけほ、ゴホ…ッ」
「!!名前!!!!」
べちゃ…ッ、
耳につく嫌な水音。それと共に吐き出された紅。
突然やってきてしばらく続いた咳は、まるでその紅が苦しげな咳の原因だったとでも言うかのように、それを吐き出したきり止まる咳。
「…ああ……、また出ちゃった…」
隠し事がバレた童のような表情で口元を拭う。縁側だというのに気にした風もなく膝を折る名前を抱き上げる。
斯様なことが増えてきた…。故にわれは、いすぐるまなど使う気になれないでおる。あれに乗った状態では名前を、抱えてやれぬ。
"すみません"と苦笑しながらいう名前は言うが謝るくらいなら斯様なことをせねばならぬようなことを引き起こすでないと言いとうなった。されど言わぬ。言ってしまえばそんなことは出来ぬと判断した名前がわれと距離を置くやもしれぬゆえ、
「なんであなたがそんな顔をしているんですか」
部屋につき、いつでも横になれるよう敷いておいたのだろう布団に下ろす。布団に入り、座ったままこちらを見た名前が言う。しばらくはこの状態よ、また咳き込んだ時に横になっていては息が出来ぬと、以前口にしておった。
気にした風もなく普段通りに笑おうとする名前をきつく抱きしめる。
"血がつきますよ"などと言うが数多の敵味方のそれを幾度となくこの身に浴びたわれからすれば名前の血はひどく綺麗なものであった。
「あまり、…無理をするでない」
「してませんよ」
不可抗力なのだと分かってはいても言わずにはおられなんだ。いつ、届かぬところにいってしまうのかと何時だって気が気ではない。
「しっかりしやれ。何度も倒れておってはその度われに触れられることになるぞ」
「いいじゃないですか」
「業が感染りやると言うておろう」
「もしかしたら触れて欲しくてこうなっているのかもしれませんよ?」
「冗談も程々にいたせ」
いい加減横にさせる。いつまでも座っていては体に負担がかかるゆえ。その際は必ず、名前が寝付くまでその部屋におる。寝付くと部屋を出、起きた頃にまた足を運ぶ。
執務の量は以前と変わらぬゆえ疲れがたまってそのまま名前の部屋でうたた寝してしまうこともしばしば。それは起きた時に複雑な気分になる。ゆえにわれはそうならぬように細心の注意を払っておるのよ。わかるであろ?
その日も同じように寝付いたら出ようとした。
「…!」
手を、掴まれた。
表情は穏やかに、先程までひどく咳き込んでいたのが嘘のようであった。しかしわれの手に込められた力が離さぬとでも言うようにあって、名前も、こわい…のであろうと、らしくもないことを思って名前が寝たあともしばらくその場に留まった。