花、惑わす
「髪が随分伸びましたね」
「やれ、そうか…?」
「はい、もう肩を二寸ほど過ぎております」
特に気にしたことはなかった。これまでは気分でそれらを切ったり放ったり。短い方が兜をつけやすい故短い方を好んでおるが…長いかそうかと半分上の空のまま、髪をいじる名前の指の感覚をひとり静かに楽しむ。
こやつはほんに物好きよ。
今のようにこうしてわれの髪に触れることはしばしばある。曰く心地いいという。われも悪い気はせぬ故放ってはおるが……それもどうなのだろうかと最近は思うようになった。
「われの髪を触れたがるものなど、ぬしだけよなァ…」
「そうですか?」
「今のところわれの髪に触れておるのはぬしだけよ」
「何か特別な感じがしていいですね」
…特別よ…ぬしはわれの、トクベツ…。
などとは言わぬ。言えぬ。
嬉々としてどこから持ってきたのか知れぬ鋏を片手に我の背後へと回る。不思議と初めの内からこやつに背後を取られるのは特に居心地は悪くなかった。理由はしれぬが…おそらく、こやつは無害だと本能で感じたのであろうか…分からぬ。
そうしてわれが返事もせぬうちに切りますねーと髪に指を絡める。われの返事などこやつからしてみればそう重要なことでもないのであろ。元々返事を分かっていてものを口にしておるように見える。
「あ、」
「如何した」
一定間隔聞こえてくる金属が擦れる音。髪を切る手に迷いはないがたまにその感触を楽しむように意味もなく指で遊ぶ。くすぐったい。
くすぐったいは居心地は悪くない、ゆえ、眠気を誘うのよ…
「私しか吉継さんの髪に触れる者がいないって言いましたよね…?」
「ん…それがどうしやった」
うつらうつら…
やめよ…髪を梳くでない…いな、やめてはならぬ…
「ということは吉継さんの髪を切るのも私の特権ですね」
「…………そういうことになるであろうな」
名前は唐突にものを言う。突拍子もないこと、思いつかないようなこと、気恥ずかしいこと。それをいつもと変わらぬ様で口にするものだからなおさらタチが悪い。ワルイ。おかげで眠気が飛んだわ。
またある日の朝、いつの日かと同じように目が覚めると目の前に名前が居た。
はてこれで何度目になるのやら…名前は楽しそうにしておるが、われの心情を察する気はないのであろうか、察したところでそれもそれでわれは困るゆえ中々に複雑なところではあるが。
同じように共に朝餉を済まし、今日は軍議もないゆえ部屋から出る必要がないと思い返した今、寝巻きのまま執務をこなしてもいいかと怠惰に走る。何よりもこやつの居る前で着替えとうない。われにも羞恥心はある。否、名前にないだけであってわれにはきちんとある。
羞恥心はあってもこやつがしだす事にいちいち驚かなくなった。言うことに対しても同じよ。斯様なことをしていては身が持たぬと悟った。
「包帯を変えましょうか」
「ぶふッ!!?!?!?」
口にしたお茶をふいた。それをなんとも思っていないのか淡々と拭きにかかる。ついでにわれの口元をも。ヤレ近い。
さすがのわれも今の発言には驚いた。何を言い出すのか、こやつは。
「……馬鹿を言うでない」
「言ってませんよ」
「業が感染るとわからぬのか」
「だから感染せばいいって言ってるじゃないですか」
「ぬかせ」
こういったやりとりも、何度目になるか。こやつも懲りぬ女よ…
ただでさえ不治の病を患ってる身、我より早く死ぬであろうにもっと早くに彼岸へ逝きたいらしい。分からぬなァ…分かりたくもない。
曰く、同じ病にかかれば同じものを背負えるやら分かち合えるやらと綺麗事を抜かしやる。
「でも綺麗事も言えないようなら現実は何一つとして動きませんよ?」
「やれそうか?」
「おそらく」
そうしていつも、こやつと話してるうちに迷子になる。どう言えばいいのか、われもはっきりとは分からぬが…迷子になる。
ただ、こやつの"綺麗事"は不思議と聞いていたくなるもの。われは…相当こやつに毒されおるらしい…可笑しき話よ。我がこやつを鱗粉で惑わすはずが、触れ合えば触れ合うほど嵌ってゆく…。
まるで麻薬のような女よ。