市販菓子の恋(クラッカー)

 お義姉様達のような、きれいなドレスを着せて貰えなくて落ち込む私に、彼はいった。

『そんなに気にすることじゃないだろう。高級菓子には高級菓子の、市販の菓子には市販の菓子の、それぞれに見合った包装がある』
『よくわかんない……』
『見た目だけ良くしたところで、中身がそれに釣り合わなければ意味がないといっている』
『……っうぅ……』
『っ、なぜ泣く?! お前は賢く、いつも身の丈に合った服を着ていると褒めたんだ!』
『うれしくないぃ……』
『あァもう……! 市販の菓子でも、きれいに包装されるときだってある! お前にも機会はあるんだから泣くな!』
『いつなの、それ……』
『いつ?! …………結婚するときとかだ!』
『結婚?』
『っそうだ。結婚するときはどの女だってきれいに着飾るものだろう? そのときばかりは、高級菓子も市販の菓子も関係ない。お前もきれいに着飾ればいい!』
『……でも、私……結婚できるかな……』
『お前……! 何をそんなに憂うことがあるんだ……。次々に不満いいやがって』
『不満じゃなくて不安なの……。だって私、きれいじゃないし……市販のお菓子だし……』
『……はァ。しかたない、ならこうしよう』
『え?』
『俺がお前と結婚してやる』
『えっ』
『お前を妻にして、きれいなドレスを着せて着飾ってやる。それでいいだろう』
『ほ……本当に?』
『あァ。だから、泣くな。いつもみたいに笑え』
『っうん! 泣かない!』
『それでいい』
『えへへ! ありがとう、クラッカーくん!』
『……フン』

 口ではきつくいいながら、私が泣き止んだことにほっとした顔で笑う彼。
 クラッカーくんを、私は大好きだった。






「初恋って甘酸っぱい……」

 そんなガラスのハートだった子ども時代を経て。どうも、アイアンハートになってしまった私です。誰に自己紹介してるの……?
 初恋の人の夢を見た私は、見慣れた天井に別れを告げてベッドから起き上がった。
 いつものメイドちゃんに叩き起こされずに起きれたなんて……自分でいうのもなんだけど、何かの前触れだろうか。それとも、実はとっくに起床時間をオーバーしていて、でも起きない私に愛想を尽かしたメイドちゃんが、ついに私を見捨てたのだろうか。あ、ありえる……!
 その考えに至って焦りながら枕元の時計を見れば、起床時間より十分も早かった。安心した。愛想を尽かされた訳じゃないらしい。
 じゃあなぜ? やっぱり何かの前触れだろうか。考えていると、十分なんてあっという間にすぎてしまう。
 起こしにきたいつものメイドちゃんが、歴戦の猛者の顔で部屋に入ってきてから、私が起きてるのを見て二度見した。いつもそんなに気合い入れて私を起こしてたんだね、マジでごめん。
 さらにメイドちゃんは私の体調の心配までしてくれて、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。ごめんね、ただ早起きしただけなんです……! 早起きは三文の徳じゃなかったの?? なんでこんな苦しい気持ちになってるの??
 何はともあれ、いつものように手伝って貰いながら身支度を整える。その最中もしきりに私の体調を気にしてくれるメイドちゃんに申し訳ないので、話題を変えようと今日見た夢の話を口にすれば、年頃の娘さんなだけあってがつがつ食いついてきた。
 でも実は。クラッカーくんについて、私が話せることはだいぶ少ない。私はクラッカーくんが、どこの国の人かさえ知らないのだ。

 クラッカーくんは、大きな船で私の国来た。静養目的だといっていた気がする。妾の子とはいえ、私は仮にも王女の一人だ。その私と会うことが許されていたのだから、クラッカーくんはたぶん、どこかの国の王子様か貴族の子どもだったのだろう。
 けど、きっとクラッカーくんの国は優しい国じゃない。どこかの国と戦争とかしてたんだと思う。なぜなら、クラッカーくんの顔の右側には大きな傷があったからだ。
 失明は免れたというその傷はとても痛そうで、まだ治りかけなんだとクラッカーくんはいつも包帯を巻いていた。確か、お風呂上がりで薬を塗る前のクラッカーくんに偶然会って知ったんだと思う。
 普通じゃまずつかないような深いその傷のことを、彼の兄弟は特に気にしていないようだった。よく覚えてないけどお兄さん達は、クラッカーが未熟だからああなったんだ、とまでいっていた気がする。子ども心に、なんて冷たいことをいうのだろう、心配じゃないのかと憤慨したものだ。
 クラッカーくんがお兄さん達の言葉を気にした様子はなかったけど、たまに一人で傷の痛みに耐えていた。いつもはみんなと王宮の庭を駆けて遊んでいるのに、そういうときは誰も来ないようなすみっこで、顔を押さえて蹲っているのだ。それを見ると、私もとても痛い気持ちになった。
 私はそんなクラッカーくんを見つける度に、出来る限り彼のそばにいた。晴れの日も、曇りの日も、雨の日も、朝も、昼も。夜だって、痛みに呻くクラッカーくんの手を握って、痛み止めが効くまでそばにいた。そのまま一緒のベッドで寝たこともある。あのときは、そうやって手を繋いでいたら、痛いのがなくならないかと本気で思ったのだ。
 妾の子だってバカにしないで遊んでくれたクラッカーくん。お前はしかたないなっていって、手を引いてくれたクラッカーくん。手を叩けば美味しいビスケットが出せる、まるで魔法使いのようなクラッカーくん。普段は全然へこたれないくせに、お義兄様やお義姉様に嫌味をいわれて落ち込んで、一人で泣いてた私の手を握って、隣にいてくれたクラッカーくん。
 大好きで、嫌いなとこなんてちっともなかったクラッカーくんが、ちょっとでも楽になればいいのにって真剣に考えてた。
 そんなクラッカーくんは一年近く私の国にいたけど、結局、大きな船で海へ行ってしまった。たぶん、自分の国に帰ったんだと思う。夢で見たのは、確かクラッカーくんがいなくなるほんの少し前の頃だ。
 別れのとき、向かい合って両手を繋いだまま、私もクラッカーくんもずっと俯いてた。
 私は涙をぽろぽろ零していたけど、クラッカーくんは目に涙を溜めたまま、泣かなかった。でも私にいつもいってた、泣くな、もいわなかった。
 ただ、私の名前を呼んでくれた。

『オンナ』
『っひ、……く、……ぅん』
『オンナ』
『んんっ……ぅ、ん』
『……オンナ』
『く、ぁ、っかぁ、ぐん』

 泣きながら私は、うんうんって頷いた。クラッカーくん、クラッカーくんと心の中でも呼びながら頷いて、手をぎゅうっと握った。それが通じたのかクラッカーくんも、ぎゅうっと手を握り返してくれた。
 もうそろそろ出るぞ、と。口元をストールで隠したお兄さんにそういわれて、頭を撫でられるまで手を握ってくれてたクラッカーくんは、俯いてた顔を上げて私にいった。

『オンナ』
『っうん』
『俺は必ず約束を守る。だからお前は、俺を待ってろ。いいな?』
『ぅん、うんっ』
『お前は、俺の妻になる女だ。たくさん勉強して、たくさん女を磨け。俺もたくさん強くなるし、たくさん男を磨く』
『っわか、った。ぅ、たくさん、勉強する、し、きれいな女の人になるのも、頑張る、から』
『あァ。……それと、たくさん笑え』
『ぇ?』
『俺もたくさん笑う。離れてる間も互いを思って笑えば、お前も寂しくないだろう』
『っわかっ、わかった! たくさん、たくさん笑うから!』
『……よし!』

 顔を上げて精一杯の笑顔を見せた私に、クラッカーくんも精一杯の笑顔で返してくれた。私の頬を伝う涙は止まってないし、クラッカーくんも半泣きだったけど、それでも二人で笑ったんだ。
 出航するぞ! 船に戻れ! 大人達が声を上げる中、クラッカーくんは最後に私の腕を引っ張って、頬に一つキスするとそのまま抱き締めてくれた。

『必ず、お前を迎えにくる』
『うん!』
『俺が大人になって、お前を迎えに来たら。そうしたらオンナ、結婚するぞ』
『うん! ちゃんと、待ってるからね、クラッカーくん!』

 そういって離れた私達を、たくさんの大人達が微笑ましく見守っていた。
 船に乗ってからも、身を乗り出して手を振ってくれたクラッカーくんを、お兄さん達が落ちないようにずっと支えてくれていた。
 私もずっと、船を追いかけて行けるところまで走って、船が見えなくなるまで手を振った。
 クラッカーくんも、私も、笑顔で手を振った。
 我慢した涙は、船が見えなくなった途端に爆発して、泣きすぎて気絶するように寝るまで、ずっと止まらなかったけど。次の日から、私は泣きすぎて腫れた目でちゃんと笑った。
 約束したもの。クラッカーくんと。きっと彼も、同じように笑ってるから。
 それ以来、クラッカーくんとは会ってない。

 そこまで話し終えると、メイドちゃんはほうっと息をついた。まるで絵本の物語のようですねって、うん、私もそう思うよ。
 だからオンナ王女は婚約者を決めてないんですね、と続いた言葉には苦笑したけど。それはちょっと関係ない、かな。 妾の子を嫁がせるのに、ちょうどいい相手がいないだけだろう。
 まあ婚約者をあてられたところで、クラッカーくん以外の妻になる気はない。全力で抵抗させて貰うけど。
 お義兄様やお義姉様達はどこで知ったのか、クラッカーくんの約束を聞きつけて、私をさんざんバカにして笑った。王族の婚姻は、そのほとんどが本人の意思じゃないところで成立する。私がいくら夢を見ようと、クラッカーくんとの結婚なんてありえないのだといって、笑った。
 そもそも、うちと交流があるどこの国を調べても、王族にも貴族にもクラッカーくんらしい子はいなかった。パーティーを開いても来ない。本当は彼は、私達に会えるような身分の者じゃなかったんだ。そういって。
 クラッカーくんと離れた寂しさに泣く日々にそんなことをいわれまくったら……そりゃ今のような私にもなる。
 私はもう、クラッカーくんに会う前のような弱い私でもないし、クラッカーくんに慰められてた泣いててだけの私じゃない。クラッカーくんは私と結婚してくれるといったし、妻にしてくれるといったのだ。それは私にとって、どんな嫌味も跳ね除ける自信となった。
 そして、どんな嫌味も約束通り笑っていれば、クラッカーくんがそばにいてくれるみたいで、負けるな、強くなれといってくれてるみたいで、俄然勇気が湧いて来たのだ。
 お義姉様達はステキな恋をしたことがないのですね、お可哀相に、なんて。初めていい返したときのお義姉様達の唖然とした顔は、私が勇気を出せたことへのご褒美だと思う。
 そんなお義姉様達を見てからというもの、私はどんな嫌味も通じないアイアンハートを手に入れた。何をいわれても、私にはクラッカーくんがいると思えば、傷つくこともなかった。何故かわからないけど、クラッカーくんは絶対に私を迎えに来てくれると、盲目なまでに根拠のない自信で満ち溢れていた。
 それは、少女だった頃を終えて大人の女になった今でも変わらない。
 私は今でも、いつかクラッカーくんが私を迎えに来てくれると信じている。誰に何をいわれようと、私はクラッカーくんを信じているのだ。
 そういえば、メイドちゃんは感動の超大作を見たときのような目で私を見て、うっとりと呟いた。オンナ王女は、素晴らしい恋をしてるのですね。その言葉に、満面の笑みを返す。

「ええ。今も、素晴らしい恋をしているわ」

 クラッカーくんが市販のお菓子でしかない私を、高級菓子のようにきれいに着飾ってやるといってくれた日より、たぶんもっと前から。
 私はずっと、クラッカーくんが大好きなのだ。






end
(クラッカーの兄貴は毎日よく笑ってるよな)
(兄貴ー、何がそんなに楽しいの?)
(別に、特別楽しくはないよ。だが俺が笑えば、あいつが寂しくないから笑っている)
(?)
(誰?)
(あァ……笑った顔だけは悪くなかった、俺の妻になる女の話だ)







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