簡易コンロの火力を一番小さいものにして、核となる粒を放り込む。炒るように鍋を斜めに回して砂糖水をかけていけば、次第にぽこぽこと角が出来始めた。ざらざらという音がするまで回して、そろそろかなと思ったら砂糖水を追加して。この辺は勘だし、時間を計ったりして、勘以外でやるなと祖父に教えられた。
これを作るのに一番重要なのは、相手への愛だ。食べてくれたその口が、柔らかく笑むのを想像しろ。頬を染めて、美味しいという顔を想像しろ。そうなるくらい、美味いものを食わせたいと思え。
そういった祖父は、自分の作った金平糖を、祖母にしか食べさせなかった。
「……イイ匂いだなァ」
「起こした?」
「いや。自然に目が覚めた」
寄りかかっていたベッドの上から話しかけられて振り向けば、さっきまで閉じていたピンク色の目が俺を映していた。
シーツに乱れた、紫色の飴のような髪が艶かしい。情事を色濃く残した肌を晒しているのも、美しさに磨きをかけている。
俺の愛人は、とんでもなく美しい。きれい、とはまたちょっと違うけど、色気があって美人だ。右目の辺りに大きな傷があるのも、美しさを損なってない。むしろ、色気に拍車をかけたような気さえした。
その美しい愛人が、気だるげに俺を見ているものだから、ちょっとムラッとしてしまうのはしかたないことだ。
鍋をひっくり返さないように気をつけながら、額に唇を落とす。フ、と笑った愛人が唇にお返しをくれたので、俺からも深く合わせた。
ちゅ、と音をたてて離れると、珍しくぼんやりしている目が見えて、笑いかける。
「もう少しかかるから、待っててね」
「…………眠い」
「うん。寝てな、クラッカー」
「俺のために作ってるんだろう?」
「そうだけど、わざわざ見てなくてもいいんだよ?」
「ナマエが、俺のために何かしてるなら、ぜんぶ見たいよ」
甘え上手な俺の愛人、クラッカーはそういって、俺の頭に自分の頭をこつんとあてた。間に甘くて香ばしい、ビスケットの香りがいっぱいに広がって、愛しさに埋もれそうだ。
クラッカーはいつだってビスケットの香りがする。仕事か何かでビスケットを作っているのかと聞けば、まァそんなモンだと返された。たまにくれるクラッカーのビスケットは、とんでもなく美味しい。たぶん、万国でも店を出せるほどだと思う。むしろ、クラッカーはどこかのビスケット専門店のオーナーなんじゃないかな。
そういう、クラッカーが普段何をしているのかを、俺は知らない。
「寝てていいからね?」
「あァ」
もう一度額に唇を落として、鍋に視線を戻した。目を離した隙に少し冷めてしまったみたいだけど、許容範囲内だ。火にあててゆっくり温めていく。
クラッカーと出会ったのは、俺の行きつけのバーだ。その日、恋人にフラれて悲しんでいた俺を慰めてくれたのがクラッカーで、そのままお持ち帰りされた。帰った先は俺の家だけど、持ち帰ったのはクラッカーだといい切れるくらい、誘惑されてしまった。
失恋には新しい恋だろ、なんて笑ったクラッカーは、お世辞にも一途そうには見えなかったけど。でろっでろに溶かされるから嫌なんだと、歴代の元恋人達に大不評だった俺の甘すぎるセックスを気に入ってくれて、ピロートークどころか朝まで一緒にいてくれて、俺の好きにさせてくれた。
夢だった、好きな人と寝た次の日の朝に、俺の作った金平糖を食べさせるのも。大きな口を開けて、もういっこ、と強請り食べてくれた。
そんなクラッカーに、俺が惚れないはずもなく。たった一日で骨抜きにされてしまって途方に暮れる俺に、愛人にしてやってもいい、とクラッカーはいった。
恋人じゃなくて愛人だから、クラッカーを束縛する権利はなくて、俺の他にも恋人や愛人を作り放題だけど、でもそれでもいいと、悲壮な覚悟を決めて俺は愛人になった。
辛くても悲しくても、でも愛人に、クラッカーにとって通りすがりの誰かじゃない、何かになれるならそれでいいと思うくらい、クラッカーを好きになってしまった。
まァそんな覚悟がムダになるくらい、クラッカーは俺を贔屓にしてくれるんだけど。
愛人になって、クラッカーが訪ねてくれるのを待つ日々を迎えた俺に、次にクラッカーが会いに来てくれたのは、三日後という驚異的な短さの別離の後だ。
渡していた合鍵を使って家で待っててくれたクラッカーを見たときの衝撃は、もう、言葉にならない。思わず泣いてしまった俺を、クラッカーはそれはそれは楽しそうに慰めてくれた。それからも、俺が申し訳なくなるくらい頻繁に通ってくれている。
本人から聞いたことなのだが、驚くことに、クラッカーは既婚者らしい。政略結婚みたいなものなので愛はないというが、既婚者が男を愛人にするのは不味くないかと身をひきかけた俺に、そういうのは俺を嫌いになってからにしろよ、とクラッカーは不機嫌そうにいった。
いや、俺との関係がバレたら困るのはクラッカーじゃ……。離婚とかになった場合、立場が悪くなるのはクラッカーじゃ……といっても、別にいい、の一点張りだ。挙句、俺が嫌いになったならそういえ、と拗ねられてしまえば俺にはもう、好きだ、愛してる以外いえる言葉がない。
しかし、せめてもの節度というか、迷惑にならないように、あまり俺からはクラッカーのことを聞かないようにしている。もちろん知りたくないわけじゃないけど、既婚者だってこともあっさり口にしたクラッカーが何かを聞かれて困るのも想像できないけど、でもあれこれ聞かれても困るんじゃないかと思うんだ。その分、俺のことは包み隠さず話してるし、それで十分だと思う。
それに、今日来てくれただけで、十分愛されてる自信がある。
「……いつもより手がこんでるな」
「当たり前だよ。誕生日プレゼントなんだから」
いつもならもうとっくに引き上げてる金平糖は、まだ鍋の中でころころ転がっている。鍋を覗いたクラッカーは、いつもより金平糖が大きいことにも気づいたのだろう。もしかしたら、敏感なクラッカーは匂いから、いつもより良質な砂糖を使ってるのにも気づいたかもしれない。
この日のために準備してたものだから、気づいてくれたほうがうれしくて、俺は頬を緩める。
今日はクラッカーの誕生日だ。
奥さんだって家族だって、この日を一緒に祝いたかったに決まってる。でもクラッカーは、住んでる万国から半日かけて俺に会いに来てくれた。この幸せな日に、俺と過ごすことを選んでくれた。
うれしくて、クラッカーに誕生日プレゼントは何がいいと聞けば、いつものように金平糖を作れ、といわれた。そんなのいつものことじゃないか、もっと他に何かないのかといえば、それがいいんだ、と譲らない。誕生日ケーキや菓子は家族に散々食わされるから、金平糖だけでいいと。
なら、物か何かと思ったけど、いらないというクラッカーの迷惑になりそうな気がしたので、俺からのプレゼントはいつもの金平糖に決まった。とはいえ、少しは良い物をあげたかったから、いつもより値の張る砂糖を手に入れたりしたんだけど。
万が一のために、いつもので作った金平糖も用意してあったから、それをクラッカーに片手で差し出して、もう少し待っててね、と二度目の言葉を口にする。クラッカーはそれを受け取って、でも食べずに持ったまま、寝そべって俺を見ていた。
俺やクラッカーみたいな、3mを越える大男が激しく動いても壊れない丈夫なベッドは、背中を預ければ肩くらいの高さになるので、クラッカーの顔は、俺よりちょっと下くらいにある。視線を落とせば、腕に顔を押しつけたクラッカーが俺を見上げていた。
「クラッカー。視線が痛い」
「見てたいっていったろ」
「何かしてるならってね。見たいのはしてることじゃなくて、俺なの?」
「ナマエ以外ないよ」
「上目遣い可愛い」
「お前は目がおかしいな」
喉で笑うクラッカーはいつも以上に気だるげで、無理させちゃったな、とちょっと反省する。誕生日を愛し合いながら祝えるのがうれしくて、顔中に唇を落としながら何度もおめでとうといったのは、正直自分でもウザかっただろうにと思う。
わかった、わかったからもう止めろ、別の言葉が聞きたい、といってくれたクラッカーは、ウザいなんて一言もいわない優しい人だ。ピロートークだって、いつもより何倍も甘いことをいってた自覚はあるけど、でもクスクス笑いながら相槌を打ってくれた。
クラッカーは終始ご機嫌で、今も、寝て起きてからもご機嫌だから良かった。
「出来た。あとは冷ましたら食べれるよ」
作り終えた鍋や簡易コンロをキッチンに片付けて、金平糖の熱を取るために和紙の上に広げておく。
そうして少しばかりベッドから離れて戻れば、俺をずっと目で追っていたクラッカーが、ぽつりと呟いた。
「ナマエ、少し腹が減った」
「なんか作る?」
「これが食いたい」
片手に持った金平糖を俺に差し出して、だから食わせろ、とクラッカーが口を開ける。餌を貰えるのを待つ雛鳥のようなそれに、俺は込み上げる笑みを抑えきれずに笑った。
甘え上手なクラッカーから金平糖を受け取って、さっきと同じところに座って、大きな口に金平糖を放り込めば、すぐにぱくんと閉じた。
舌先で味わうように転がした金平糖に、クラッカーが目を細めて口元を緩める。
「うまい」
その一言が、愛してるよりもうれしい。
俺の愛情をたくさん込めて作った金平糖を、何よりも愛してる人に、美味しいって食べて貰うのが夢だったんだ。
すぐになくなった金平糖の味を追ってまた口を開けたクラッカーに、今度はあげずにいれば、何だよ、と口を尖らせる。その唇を割って差し込めば、こいつ、と指を食べられた。指先についていたらしい砂糖の甘みを、クラッカーが舌先で舐めとる。
「クラッカー可愛い」
「だから、目がおかしいって」
「おかしくないよ。クラッカー可愛い。好き」
「俺もナマエが好きだよ」
意外に好きや愛してるの言葉をくれるクラッカーは、俺の愛情の塊を食べながら、ご機嫌に足先を揺らした。それが尻尾を揺らす小動物のようで、すごく可愛いんだってことは、きっとクラッカーは知らないんだろう。怒っちゃいそうだから、俺からいったことないしね。
金平糖を待つ口に俺のを重ねれば、笑ったクラッカーが舌を絡めてくれる。大きなクラッカーの舌は、金平糖のだけじゃない甘さで、俺の舌をしびれさせた。
「……愛って、とんでもなく甘いんだなァ」
「ハハハッ確かにな!」
思ったことをしみじみ呟けば、クラッカーが笑う。俺が摘んだ金平糖を掠めるように取って、指先に唇を落として、満足そうにいった。
「ナマエの愛情は、最高に甘い」
「甘すぎない?」
「いや? 俺にはちょうどいい」
「なら良かった」
頭を擦り寄せて笑えば、クラッカーが腕を上げて髪を撫でてくれる。甘い甘い時間に、目眩さえしそうだ。
「もっと甘くなったらどうする?」
「どうもしないよ。それも俺好みなんだろ?」
「そう思う?」
「ナマエが俺を愛する甘さなら、俺好みじゃないわけがない」
まるで当たり前のように、クラッカーは俺に愛されてくれるから。あの日クラッカーに会えて、本当に良かったと心の底から思った。
「クラッカー。お願いだから、もう一回だけいわせて」
「フフッ」
「クラッカーが生まれて来てくれて、今日を俺と過ごしてくれて、本当にうれしいよ」
「あァ」
「まだまだ、クラッカーを愛させてね」
「いいよ」
この美しくて優しい、甘い人を愛せることが、本当にうれしくて、幸せだ。
「誕生日おめでとう、クラッカー」
願わくば、これから先の君も幸せでありますように。
end
クラッカーくんお誕生日おめでとう!
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