「痛み止め、持ってきたよ」

「なん、だ…雷蔵じゃないのか」

「ごめんな、お前にとっての1番の薬じゃなくって」


鉢屋は腹に穴を空けて、その身体で足を折った八左ヱ門を背負って帰ってきた。鉢屋の血で血まみれの八左ヱ門はもう2度と見られないんじゃないかってくらい珍しくぼろぼろ泣きながら、ごめん、ごめんな三郎、と手当てされながらうわごとのようにずっと口にしていた。
当の鉢屋はと言えば、これが学級委員長の仕事だ、とか、謝る前に足を治せ、とか、怪我なんて嘘のようにいつも通りの憎たらしい言い方で、泣きじゃくる八左ヱ門に笑いかけるほどだった。が、それも先生に、あまりに重傷すぎると療養用の離れに連れていかれると、ぷつり、糸が切れたように意識を失ってしまった。

それで冒頭だった。夜半、鉢屋は月明かりの中で苦しそうなくせに余裕たっぷりに笑おうとする。雷蔵じゃなくてごめん。なんて、おれも精一杯の皮肉を吐く。
先生に傷を縫ってもらって、痛み止めを飲んで、あとは傷がふさがるのを待つしかなかった。雷蔵や兵助と代わる代わる2人を見舞うたびに、鉢屋は苦しそうにこっちを睨んでおれたちに言い聞かせる。
八左ヱ門には絶対に言うな、私は元気だから、なんともないから。
くどいくらいにそれを繰り返すので、八左ヱ門に会うたびにおれたちは嘘をつくはめになった。八左ヱ門はもちろん、三郎はどうだ、と心配そうに聞いてくる。おれたちは居心地の悪い罪悪感に苛まれながら、暇そうに布団でごろごろしてる、だの、この機会に学園の本を読破するとか言ってる、だの、鉢屋が懸命に貫こうとしている鉢屋三郎を手伝った。


「ぁ、……くっ…う、」

「うわ、ほら早く飲めって。飲めるか?」

「っはぁ…ぁ……っ、」

「鉢屋…」

「……勘、右衛も…」


鉢屋は息もうまくできないくらい唇を強く噛んで、必死に痛みを堪えていた。ひどくいじらしい。本当は叫ぶように悲鳴を上げてしまいたいに違いない。でもそれをしないのは、やっぱり少し離れたところで誰よりも鉢屋のことを心配している八左ヱ門のことを、誰よりも気遣っているからだろう。たまにろ組の絆は疎ましいくらいに羨ましい。おれだってこんなに苛立つくらいの愛情を注いでいるのに。

夜中に飲まなければいけないんだ、とても苦いんだけど、と申し訳なさそうに雷蔵からこの薬を手渡されたとき、おれは初めて雷蔵が最近寝不足だった理由を知った。鉢屋の世話は専ら雷蔵がしていたけど、今夜は遠方の遣いでどうしても帰って来られないようだった。
ついでに言えば、鉢屋が普段、人よりも多くこなしているその雑多な遣いは、やはり実力なら鉢屋と学年1、2を争う兵助にほとんど割り振られていた。今日なんてあの優等生が授業中に居眠りをしているのを初めて拝んだ。朝帰りも少なくなくて、つい昨日もおれが起きる頃に帰ってきて、始業時間になったら起こしてという遺言を残して、朝飯も食わずに即行おれの布団にぶっ倒れた。
学級委員長委員会の仕事はまぁもともと事務的なことは全部おれがやっていたようなものだったからいいとして、八左ヱ門のいない生物委員会の手伝いはおれがやっていた。しかもこれがまた費やされる体力が半端なくて、今日なんて裏裏山まで駆けずり回って探した蛇が、結局学園にいた。正直、もう勘弁してほしい。
そんなこんなで、今回は5年生が2人も抜けるということがどういうことなのか、みんなが身を持って知るいい機会になったと思う。

さて、問題は痛み止めだった。鉢屋はどうやら起き上がって自分で飲むなんてできそうになかったし、雷蔵はいつもどうやって飲ませていたんだろうか。苦しそうに目頭に涙さえ浮かべる鉢屋には不謹慎ながら加虐心がぞくぞくする。
と、虚ろ気に手が小さく伸びてきた。飲めるのか、と思って薬を差し出すとふるふると小さく首を振る。じゃあどうしようか。ひとまずその手を握ってやるとぎゅうと強く握り返された。稚児みたいなその仕草に不覚にもときめかされると、ぐいと手を引っ張られて、おれはさらに驚いた。


「くち、うつし」

「へ、…え?は?」

「…くすり…すま、ない…」


中在家先輩並みの小さな声で、鉢屋は荒い吐息と一緒におれの耳元で呟いた。つまり、そういうことだった。
ああそうか、雷蔵が少し申し訳なさそうだったのは、そう。苦いんだけど、って、なるほど。
いやむしろ、ありがとう雷蔵。


「わかった」


おれはなるべく真面目そうにうなずくと、割といっぱいいっぱいな心臓を抑えて竹筒に入っているどろっとした薬を口に含んだ。これが本気で苦い。苦いというか、生理的に受け付けない味と舌触りだった。
思わず吐きそうになるのを堪えながら、布団を手が白くなるほど握り締めている鉢屋のそばに寄る。開き気味の唇から、勘右衛門、と甘い声に名前を呼ばれたら堪らない。鉢屋はきっとおれの理性を試しているに違いない。
いろいろ耐えられなくなったおれはついにぐい、と鉢屋の顎を掴んで、一思いに口付けた。いや、口移しを決行した。これは人工呼吸と同じぐらい最良の人命救助方法であって、でも、口付けと同じぐらいちゃっかり下心を孕んでいたりする。

薄く目を開けて鉢屋を見れば、眉間に眉を寄せながら必死に薬をおれから受け取っている。というか雷蔵と毎晩こんなことをしてるのかと思うと、思わず畳を引っ掻いてばたばたしたくなった。鉢屋が雷蔵の顔をしているから、なおさら、今すぐひどいことをしてやりたくもなる。
そんなことを考えてる間に、おれの口の中を占領していた体積が鉢屋の口にどろりどろりと流れていく。


「、…ん、………っ…う」


薬の味と酸素不足に鉢屋がひどく苦しそうにする。
おれだってもういろいろとしんどい。
おれは雷蔵のようにそこまでできた人間じゃないから、優しさひとつにも対価がほしい。真夜中、弱った身体、口付けだけで済ませられるような愛ならよかったのに。


「…なぁ鉢屋、理性って案外あっけないもんだよなぁ」

「、はぁ…?」


ぜぇぜぇと胸を上下させて、びっくりしたように瞬きをする鉢屋の手を取ってそっと握る。勘右衛門?とあの鉢屋三郎が不思議そうに名前を呼んでおれを計りかねている。
人間と動物の違いが理性の有無だとするなら、人間らしさなんて、そもそも語るだけ無駄なんだろう。なぁ。いま痛み止め飲んだだろう。


「…鉢屋、」







100424かんぱち
pretend to keep a sense
(人間らしくないとか)


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