座敷を吹き抜ける風は秋に近づいてすこし涼しい。
中庭で饅頭をかじりながら足をぶらつかせていると、まだなの?と設営の終わった勘右衛門が隣に座った。商売道具の一眼レフを片手に口にガムを噛みながら、まさしく、カメラ小僧の名が似合う。
いつも大体1時間くらいかかるから、あと20分ぐらいだろうか。あいつのこだわりは師匠がどん引きするぐらいのもので、タカ丸さんも正直めんどくさいと言っていた。手持ち無沙汰もいいところで、雷蔵なんて奥座の方の襖絵に見入ったままこっちの世界に帰ってこない。

「三郎、今日はいつに増して真剣だから」
「げ、次の予定詰まってるんだけど」
「売れっ子は大変だなー」
「雷蔵ー鉢屋になんか言ってよおー」
「無理無理、余計長引くって」
「あーもー記事落としたらバイキング奢らせてやる」
「それ俺のも頼むわ」

格式高い座敷は江戸時代からのもので国か何かの重要文化財らしい。気難しそうなオーナーの説明を右から左に聞き置きながら、今日のモデルをまじまじと見ていた三郎は、青だな、青。と俺に耳打ちした。そのご用命の着物一式も組み終わって、すべてが準備万端だった。あとは俺が着付けて、勘右衛門が撮って、雷蔵が記事として編集する。

「ま、そろそろかな」
「さっさと撮ろうよー、延長したら次回からオーナーさんに話受けてもらえなくなるしー」
「へいへい」

ずずっと茶を飲み干して、風呂敷を一式抱え上げて立ち上がる。中庭の向こうの座敷は締め切ってある割に光の加減で中の様子が襖に映ってよく見える。三郎が立ったり座ったりするようになったので、きっともうメイクも終わりに近いんだろう。俺は別に部屋でタカ丸さんのヘアメイクと三郎のメイクを眺めながら饅頭を食べててもよかったけど、あの2人が真剣になっている空気の中に1時間いるのはごめんだった。
濡れ縁をぐるっと辿って部屋に行く。後ろで五月蝿い勘右衛門を襖の前で、しーっと黙らせて、できるだけ静かに戸を引く。

「あ、竹谷くん、きたきた。もう終わるよー」
「はーい。やっと俺の出番っスね」
「んーいま仕上げ。もうちょい待って」
「ふふ、今日のモデルさんの髪質すっごいよくてさあ…竹谷君、見てこれ。ねえ見て見て」
「へ、へえ…そっすか」

モデルのきれいに結われた黒髪をやわらかく撫でながら、にこにこにことタカ丸さんは意味深に微笑んでくる。心当たりはないわけではないけどモデルのそれと比べないで欲しい。それと何を、とは言わないけど。
そんな冷や汗を流す俺の横を、勘右衛門はちゃっかりすり抜けて興味津々に三郎の後ろに回った。瞬間、ぱっと顔を綻ばせる。わかりやすい奴。

「うっわっうわっ!今日も超美人なんだけど!!!」
「まぁ今日は元もいいしな」
「でしょでしょ?兵助君かわいいでしょ?」

どれどれ、と俺も横に回ってその超美人で元がよくてかわいいモデルを覗き込む。あ、確かに意味が分からないくらい美人だな、ていうか人形かなんかかな、睫毛長いな、確かに青が似合うな、と逡巡した瞬間。だった。
三郎の細長い指先が、す、とモデルの整った顔の、輪郭の、先の、顎に触れる。壊れやすいものを扱うような純度の高いその所作に、思わず全員が息を飲む。座敷に入る穏やかな初秋の日光に彩られて、それ自体が映画のワンシーンのように鮮やかだった。メイクは終わりに近いのだろう。目を細めて真剣に至近距離でモデルと向き合う三郎に見入る。パレット代わりの手の甲はほんのりピンク色で、プロの指先は爪まできれいだった。
遠慮がちにまばたきをしながら、モデルは膝の上の手に少し力を入れる。薄紅色の頬がほんのり紅潮しているように見えて、なんだかいまにも泣きそうだった。三郎もうやめてやってくれ。

「うん、きれいだ」

満足そうに低く小さく呟かれた声に、俺は人形が恋に落ちる瞬間を初めて見てしまった。
シャッター音が鳴る。









へいすけくんの性別には言及しない方向で。なお最後の一文はハチクロのパロです。




- ナノ -