幸せになってほしい。

「光秀、何をお願いしたの?」
「…言ったら、叶わなくなってしまうのですよ」
「叶えたいことをお祈りしたの?」

まるで、それは不思議なことである、とでも言うかのように、帰蝶の瞳が真っ直ぐに訊ねてくる。自分は何か間違っているのか。こうして人々は神に祈るものは己が欲望であるものだと思っていた。違うのだろうか。おかしいのだろうか。彼女の目を見ていると、どうにも自分を見失ってしまう。いつも。
合わせていた手と目の、どちらともを竦めて、さあ、と返すと、彼女は不意に高下駄を鳴らす。簪が揺れる。

「そう、光秀には叶えたいことが、あるのね」
「あなたにはないのですか」
「…ないわ」

その華奢な背を追って、神に背を向ける。これは冒涜ではなくて、一種の忠誠。
明日、尾張の魔王の元へと嫁いでいく蝮の姫が、幸せになりたいの、と微笑んだあの頃を思い出す。

「もうないのよ、光秀」

今、華やかに笑って振り向くのは、すべてを手に入れたからだとは、とても思えない。





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