夕焼けに目を細めたのは確実に三郎で、兵助はほんのり笑う。右肩にひっかけているエコバックの中には絶対、ぜったい、豆腐が入っているに違いなかった。兵助は心の底からそう信じていた。豆腐に匂いはないけど、そんな匂いがする。三郎がスーパーから出てきた時点で100%、それはそういうものだった。
眩しそうに顔をしかめる三郎は、へーすけ、と呟くように名前を呼ぶ。その声が聞こえるか聞こえないか、というところで兵助は三郎の手を取った。静かに訪れる夏の終わりに、兵助は三郎の肌に触れた。どこか遠いところへ電車が走っていく音が、いつもよりほんの少し耳に近いぐらいの距離だった。

「晩飯なに?何買ったの」
「わかってるくせに聞くんだな」
「豆腐食べたい」
「今日は豆腐、買ってないぞ」
「え」
「家にたくさんあるから」

そう言って三郎は兵助の手を握り返して歩いていく。てのひらを一度合わせて、それから指先を絡める。浅瀬を歩くように静かな歩調で、2人の時間は昔も今も、いつも同じ速度で流れていく。空に伸びる赤い花が降ってきても、蝉の命がまたひとつ空に帰っていっても、水面に浮かぶ月のように2人の時間はあの頃と変わらない。コンクリートに伸びる影の髪の毛は短い。慰めるように繋いだ手と手から血の匂いはしない。

「三郎、豆腐食べたい」
「わかったって」

兵助はもう昔のようにうまく笑えない。こんなにたくさんの幸せは抱き締めたことがなくて、柔らかなオレンジの中でほとんど泣きそうだった。
喉が痛くなって、兵助は三郎の名前を何度か呼んだ。読んだ。三郎がちょっと鼻をすすって振り向いた。滲んだ網膜越しにお互いを見て、少し笑う。

「なんだよ」
「三郎、泣いてる」
「うそつけ。お前がだろ」

昔よりちょっと背が小さくなったような気がする三郎はきっと撫でやすいに違いない。









某方と某曲より。




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