タンタンタンタン、とキッチンの軽いリズムを目蓋の向こうで聞きながら枕元に積み重ねている本の中から適当にハードカバーの一冊を選んで遠慮なく引き抜く。そっと引き抜こうがずばっと引き抜こうがどうせ10冊以上積んでいた本は倒れて床にべちゃっとなる。絶対何冊かめくれて折れ曲がった。紙の弛む音。どうせ全部鉢屋のだから気にしない。
これが雷蔵や勘ちゃんだったらそうはいかない。音がした瞬間、フローリングを蹴って、兵助ェエエエ!!このものぐさァアアア!!とみぞおちに踵を放ったに違いない。雷蔵は本の虫というか命だし、勘ちゃんは本は買ったらすぐ売る派だった。ちなみに竹谷は読まない派。読んでも古本屋でマンガ。
鉢屋と俺は本に遠慮しない。本からしたらそんな御無体な!派だ。すぐその辺に積むし、カバーはしないし、折れても落としても帯が破れても気にしない。初版だの、古本だの、そんなことはどうでもよくて、ただ字を追うのが好きだった。これは俺の場合だけど、たぶん鉢屋も、そう。じゃないと枕元に本なんて置かない。

鍋が開く音と、ぐつぐつと何かを煮込んでいる音がする。俺は読み慣れた活字をゆっくり追うだけ。この本は何十回読んだか知れない。ただ、夏に無性に読みたくなる。なぞりたくなる光景がこの中にある。


「へーすけ、飯」

「はーい」

「はーいじゃなくて起きろって」

「うーん」

「蹴るぞこの野郎」


その瞬間、夏の日差しにまみれた森の景色が瞬く間に消えて、ひょい、と目前に鉢屋がひっくり返って現れた。
ああ、鉢屋だ。と思っていると、飯だっつの、と本を片手に抱えたエプロン姿の鉢屋に口にりんごをつっこまれる。ばさばさに落とした本を拾うでもなくまたキッチンに戻っていく鉢屋を逆さに見て、きっと俺好みにしてくれただろうカレーのにおいに誘われてのろのろと起き上がる。だらだらしすぎて上がった前髪を直しながら、踵と5本の指を今日初めて床に触れさせる。
なんだ、もう夕方か。





いま俺は、この世界の全部を文字にできそうだ。
そんな感覚の中にいる。










本は海辺のカフカでした。朝ちがう件。




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