これの続き





『次に帰るのお盆だと思うよ』


鉢屋がわざわざこの、駅員が休みを取ったら無人になるレベル(それもかなり不定期に休む)のこじんまりとした単線の駅まで来て公衆電話を使うのにはちょっとした理由がある。というのは久々知もなんとなく察していたが、実際のところどんな理由なのかは本人が言わない限り知りようがなかった。


「鉢屋はぁー、イトコがだいっっっ好きでさ」

「イトコって、いま電話してる人?」

「うん。ライゾーってんの」


出入り自由な改札を入ったホームのベンチで尾浜と久々知はチューペットを食べて鉢屋を待っていた。
線路をじりじりと照らす梅雨の合間に見せた夏間近の日差しとホームの影のコントラストは目に悪い。ただ、日影を吹き抜ける首筋を冷ましてくれる風が、久々知が小さい頃から見るでもなく眺めてきたアニメやドラマの中で見ていた世界よりもよっぽどきれいで涼しくて暑かった。反対側のホームの向こうの水平線から、遥か向こうの異国と赤道を駈けてきた風が髪に触れる。
兵助が来たとこらへんにいるんだって、と尾浜は公衆電話の上にたくさん10円玉を乗せて電話にふける鉢屋にちらりと目配せしながら笑う。


「たまに鉢屋に会いに来るんだよ。ヤックルに乗って」

「は?ヤックル?ってあの、」

「うん、ここ走ってる電車の名前。おれと鉢屋が名付けたんだけど、ぽっぽやさんもヤックルって呼ぶし」

「電車に、名前って」

「あとあの公衆電話はカオナシ」

「…ジブリ好きなのな」

「ここ、まともに見られるアニメってジブリぐらいだし」


尾浜はチューペットの口を咥えて上を向いた。最後の一口までちゅううう、と吸って、ぷくうっと膨らませて、またべこりと中の空気を吸う。久々知は半分くらい食べていたが、だんだんと味が薄くなってきてもう食べる気の失せた色の薄いチューペットを片手に持て余していた。
かれこれ20分はホームに3人しかいなかった。久々知は秒刻みで人と人とがすれ違っていくあの忙しない空気を思い返しながらぼうっとする。鉢屋の電話の向こうでは、きっと調整された室温の中で環境について人々が声を上げている。駅では無賃乗車や痴漢撲滅に目を光らせる駅員が何人もいて、名もない電車が行き交っている。1分遅れただけで何百人もの怒りを買い、止まる場所を間違えれば新聞沙汰。
ただ行き場をなくした視線をなんとなく鉢屋に向ければ、まるで恋する女子中学生のように、だって、や、でも、で駄々をこねている。かわいいを通り越してもはや気持ち悪い。


「…鉢屋はさぁ、そのイトコがいる都会に行きたいとか思わないのかな」

「んーさぁ。イトコには会いたいと思ってるだろうけど、都会は別に行きたくないんじゃない」

「なんで?」

「この地味ィーな駅に、イトコが来てくれてイトコ迎えんのがいいんだって。まぁ癪なんだろ、あっちがイトコを変えちゃって」


その時、ガチャン、と大きな受話器が元の位置に戻されて、ただでさえ静かな駅に大きく響き渡った。それに真っ先に気付いた尾浜は、兵助、ティッシュ、と肘で突いた。


「…うっ……あ、ぁう……らいぞ、が……」

「はいはい泣かないのー、一回振られただけで泣ーかーなーいーのー」

「お盆ま、で、こないって…」

「いいじゃん!お盆に帰って来るなら!」

「夏休みっしゅく、だいいっしょ!やる…って、去年っ……っぐ、……う、…ぁあああああ」

「っとにねちっこいんだよああもう!」


言われるままに革の通学カバンから取り出したポケットティッシュを片手にぽかんとしていた久々知からティッシュを取って、尾浜は情けなく泣き崩れた鉢屋の鼻をかませてやる。中学生にもなって、駅のホームで両手首で涙を拭わなければならないくらい鉢屋は泣きじゃくる。


「かわいい、ってか、哀れ…?」


いまはまだ傍観者を決め込んでいる久々知にとって、2人のようにたくさんの感情を持つことは怖いことだった。手元のチューペットは、もうすでに溶け切ってただの色水になっている。





ほら飲み込めない









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