儀式みたいなもので、風呂に入るのは兵助が先で三郎が後だった。この家には風呂にはゆっくり入るというルールがある。そして兵助が泡風呂を作ったり薔薇をむしって浮かべてみたり突飛な色の入浴剤を溶かしたりしている間に、三郎はちゃっちゃと夕食を作ってしまう。三郎は基本的に自分で作っても食べない。作りながら食べているのだと言っているが、兵助は味見程度の試食だろうと思っている。
三郎と兵助は一緒に住んでいても、風呂と夕食は絶対にばらばらだった。それは一緒に住むことになったとき三郎が決めたルールで、三郎に胃袋から財布から身体から何から何まで掴まれている兵助はそれに、うん、と頷くしかできなかった。


「アボガドと海老の豆腐サラダ。ドレッシングかけたかったらこれな。どうせお前はいらないだろうけど。あとコンソメベースのトマトスープとサーモンのクリームチーズ煮込み。ライスでよかっただろ?」

「うん」


風呂上がりの兵助は髪をがしがし乾かしながらカウンターキッチンのカウンター側に腰掛ける。キッチン側からライスがちょうどいい量に盛られて出される。
三郎は兵助にとって、恋人であり兄弟であり親だ。なんでもできて優しくてかっこいいけど少し怖がりな。だからどこかにルールがないと、兵助にひどいことのひとつもできない。


「髪、ちゃんと乾かせよ」

「ん」

「ほら、また私がマネージャーに叱られる」


甲斐甲斐しくぐるりと兵助の後ろに回って、半乾きの髪をわしわしと掻き混ぜる三郎は、いまは兵助の親だった。


「で、今日は何風呂?」

「奄美大島の椿の湯」

「へぇお肌つるつるの予感」

「つるつるなのだ」


三郎と兵助は、兵助がモデルを始めた頃にスタイリストを介して知り合った。三郎はフリーのデザイナーで、実力と人脈をフル活用して自由気ままにいろんな仕事に手を出していた。きっかけは思い出せてもこうして一緒に住むに至った経過はいまいち2人ともわからなかった。似た者同士だったからか、生活のリズムもなんとなく合ったからか、兵助が甘えたで三郎が世話焼きだったからか、成り行きという言葉がまさしく相応しい。そもそも付き合ってもいなかった。三郎がなんとなく発した、うちに住んだら、という一言に兵助がただ頷いただけだった。
食事の内一品は必ず豆腐を入れること、が、兵助が三郎にねだった唯一のルールだった。そんなこんなで、壊滅的だった兵助の食生活は改善され、いまではナイフとフォークもずいぶん器用に使えるようになった。
ちなみに三郎が風呂にゆっくり入っている間に兵助は食事を済ませるというのもルールのひとつだった。ただ実際のところ、三郎が頭を洗っているうちに兵助はぺろりと平らげてしまうのでルールにするほど縛られていない。それと風呂から上がった三郎にごちそうさまを言うのは、兵助の習慣だった。


「三郎、ごちそうさま」

「はいはいお粗末さまー」

「お風呂つるつるした?」

「うんつるつる。奄美大島様様だな」

「お水?」

「あ、ちょうだい。兵助のやつ、あとでちょっとでいいから」


レモンを浮かべた水をボトルからグラスに注ぐ。この作業は兵助の方が得意だった。風呂上がりの三郎がいつも必ずする儀式の準備のひとつで、その間に三郎はベッドサイドの薬瓶を開けてころりと1錠手のひらに取り出す。


「明日は何時?」

「7時半に勘ちゃんが来る」

「げっ6時起きか」

「三郎は寝てていいよ」

「いってらっしゃいのちゅうはいらないわけ?」

「や、勝手にしてくからいいけど」


兵助が水の入ったグラスを持ってダブルベッドのはしっこに腰掛けると、三郎は兵助の前に立って愛しげに指先を顎にかける。人工的に色を抜いてくるくるにしている割にあまり痛んでいないアッシュブラウンの髪は水分を含んでいて艶やかだった。兵助の生まれつき墨を塗りこんだような芯の強くて長い黒髪とは似ても似付かない。


「はい、お薬」

「うん」


わずかに顔を上に向かされて、その唇に一粒、避妊のための錠剤をあてがわれる。でも兵助はこれらすべてのルールが破棄される日を夢見ている。求めているわけではないが、期待している。
三郎はきっとそんなこと知らないんだろうな、と思いながら、でも知られなくていいと思いながら、ほのかに酸味の香る水で今日も一緒にいるために全部のルールをごくりと飲み込んだ。





貧欲マリオネット









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