日課(飼育動物の散歩)を日の暮れる前に済ませて長屋に帰ってくると、ふわりと浮いた黒髪が目に留まった。庭で兵助と三郎が殴り合っている。文字通り殴り合いだ。武器は一切使わずに互いの拳と拳が、ばきっ、どすっ、と鈍い音を繰り出していた。溜め息。 喧嘩の理由なんて大体の予想はつく。が、便宜上、なにしてんだ?と縁側で傍観している勘右衛門と雷蔵に聞けば、雷蔵の取り合い、と勘右衛門が笑った。 「違う違う、勘右衛門の取り合いだろ」 「あーはいはい、いつものな」 「そうそう」 いつもの、と楽しそうに笑う勘右衛門と、いつもの、と無関係を装ってお茶を啜る雷蔵。本当にこの2人には勝てない。 その隣にしゃーなく俺もどっこいせ、と腰を下ろした。しかしまぁ寒い。もう日暮れだ。さっき汗をかいてきたのも相まって、思わず身震いした。 「…俺も交ざろっかな…」 「え、不毛じゃない?」 「うん、不毛ですね」 「飽きないよなぁ、2人とも」 「あれで案外楽しんでるし、邪魔できないんだよね」 「まぁ、なぁ…」 そういう勘右衛門と雷蔵も十分楽しんでいる。秀才と天才のやり合いは確かに見応えがある。まばたきがもったいないと思えるくらいには。 ああ兵助、また傷作ってら。 「っの野郎ちょろちょろ逃げやがって狐!つーか金輪際勘右衛門に近付くな変態!雷蔵に嫌われろ!いい加減顔曝しやがれ半目!」 「お前こそせこい攻撃ばっかすんなバーカ!大体勘にべたべたしてんのはお前の方だろーが!毎回毎回委員会の邪魔しやがって…!この豆腐小僧!悪霊退散!」 「はんっ!俺の豆腐と仲間に対する思いがそんな陳腐な願懸けで破れるのだろうか?いや無理だ!とうっ!」 「ほんと片腹痛いわお前!」 「わっ」 と、三郎が突っ込んできた兵助の腕をいなすように掴んだ。折るなよ、と気を揉んだ瞬間、隣に座っていた2人が見計らったように立ち上がる。 え?と思う間もなく、左右に跳ぶ2人。 「そんなだから私に勝てたことないんだろうがぁあああっ!!」 「え、ちょ、鉢屋さんなんでこっち…!」 三郎が上手く兵助の勢いを利用して背負い投げを決める。ただし地面に叩きつけずに、兵助は俺の方に吹っ飛んできた。 この真っ正面からまっすぐ突っ込んでくるシチュエーション、うわなにこれ奇跡ですか。なんて考えてる暇もなく、眼前には兵助の大きな目がさらに大きく。ガンッと骨と骨がぶつかる。暗転。 「ちょっ三郎、やりすぎだろー」 「犬と豆腐でちゅーでもしてろ」 「それじゃ八が可哀想じゃない」 「ハッ!お近付きになれてよかったんじゃねーの!」 だって1年の頃から、まで言って、三郎はあからさまに黙った。 いやぁわかりやすい。実にわかりやすい言動をありがとう鉢屋さん。マジで死ね。 「え!あ、それって八が兵助好きってこと?」 「いやいやいや、兵助がはっちゃん好きなんだろ?」 「……」 「え?え?」 「なぁ?なぁ?」 俺は今すぐ勘右衛門と雷蔵を気絶させて三郎を5回ぐらい殴らないと気が済みそうにない。勘右衛門と雷蔵が三郎にきらっきらした目で詰め寄りながらこっちをちらちら見る。わーいさっさと記憶飛ばしてやりてー。 とりあえず俺の上から動きそうにない兵助を揺する。事故とはいえ顔面がぶつかったのは間違いない。あんまりよくわかんなかったけど、とりあえず鼻が痛い。 おい、大丈夫か?と顔を上げさせようとすると、ふと、兵助が耳まで真っ赤なのに気付いた。 え?? 「なぁ三郎!どっちなんだよ!教えろよ!」 「誰にも言わないって!おれと雷蔵だけの秘密にするからさ!」 「ふーん、じゃあ2人が私の嫁になるなら考えてもいいけど」 「「調子乗んな」」 「あらやだぞくぞくする」 三郎が偉そうに、んじゃあ2人には飯食いながら詳しく聞かせてやろう!と高らかに叫んで言ったのを遠く聞いた。 もう無理だ。顔が熱すぎて死にたい。もう殺せよ。いっそ殺してくれよ。 「…ねぇ、はっちゃん、」 「はっはい?!」 「俺を殺してくれ」 それは兵助も一緒だったらしい。 |