「またあの人ですか」


鉢屋が露骨にいやな顔をするのも無理はない。小平太が絡む話は何かとややこしい。いや、小平太の行動動機はいたって単純なのだが、何せやってほしくないところでそれをしてしまう。計画とは元から疎遠もとい無縁。ややこしいというよりは、面倒くさいと言ったほうが正しいか。
唯一この猛獣を扱える男は先月から海の向こうで本という本を喰い散らかしている。3年に1度、そうして猛獣に食わせる新しい餌を集めてきてはまたひとつひとつ食わせているのだと言う。その餌付けに何の得があるのかはわからないが、しかしその本の虫に頼らなければ猛獣を御せないのもまた事実。
液晶スクリーンの向こうでは鉢屋が忙しなく部屋の壁面いっぱいのモニターと戦っていた。その後ろで、不破と久々知が何やら言い争っているのが実にシュールで、片や本を片手に、片やマシンガンを肩に、お互いかなり苛立っているようだった。どうでもいいが2人がスウェットなのはデフォルトなのか。スーツにネクタイまで締めている鉢屋が逆に滑稽だ。


『本当に無理ですって、竹谷が風邪でうちも手が足りないんです』

「なんだ、ケシ探しぐらい後ろの2人に代わってもらえ」

『いや雷蔵はいまから寝』

「ならお前か久々知が来い30分以内にな」


ぷつ、と万年筆の先で通信切断。馬鹿らしい。竹谷が風邪というのは嘘だろう、メンバーの体調不良など組織の管理不行を露呈させているようなものだ。手が足りていないのは事実なんだろうが、それにしてももう少しマシな嘘を吐け。まぁ見抜かれることを計算の上での言葉遊びなのだろうが。
希望通り、理不尽を押しつける。


「また鉢屋に当たったね」

「私の虫の居所が悪いと分かっていながらあの態度を取るアイツが悪い」

「もう少し首輪を緩めないと、いつか窒息させるよ?」

「その時は酸素を無理矢理吹き込むか、喉に舌でも突っ込んで気道を確保してやるさ」

「ふふ、愛されてるねぇ鉢屋」


嫉妬しちゃうなぁ、なんて戯れ言を口にしながら伊作は唇に薬を押しつけてくる。日課のように前歯で受け取ると、水のなみなみ注がれたグラスを渡される。それをほんの少しだけ口に含み、ごくり。かれこれ5年間ほど飲み続けている。はじめの頃、粉薬がどうしてもいやだと言ったら、それからずっとカプセルにしてくれている。いつかこの延命行為が終わることを期待する、ことさえ、最近飽きてきた。ただ、比例するように破壊願望は膨れ続ける。


「伊作、どちらかが来たら小平太と摘みに行くよう言ってくれ」

「やる気ないね、自分から引き受けたくせに」

「持ってきたのは確か尾浜だったかな」

「吐かせたとも言う」


いい具合の睡魔に手を引かれて、あくびをしながら天蓋つきのベッドに腰掛けると、首元に手が伸びる。きっちり締められたネクタイを早々に解いてシャツのボタンを外し、アルコールの匂いとともに首の脈に性格に触れる。伊作はじっとこの身体の未来を数える。ひい、ふう、みい。見上げれば、淡い色をした瞳の奥に寂寞を見つけた。


「まだ死ぬ気はないんだろ?」


問診。この世には、死人のような人間も、少なくない。自らの力で生きたいと、成すべきことを為せるのかと、その意志の、これは確認。首を振れば、その瞬間、首が折られるぐらいしたに違いない。


「当然。鉢屋に毒吐かれながら縁側で余生を楽しむのが私の夢だからな」


殺気に近い感傷とともに首から離れていくあたたかさが、生を眠らせていく。死の淵に連れていかれる。朧気になり行く意識のはしっこに、ふと、見慣れた色を見つけて咄嗟に手を伸ばす。
触れられなかったそれは、悲しみと呼ばれているものだ、と、むかし、文次郎が言っていた気がした。もう、そんな顔さえ忘れつつある。





ゴーストシップで
おやすみなさい










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