鉢屋の右耳が聞こえなくなったのは4年生のときだった。手違いで不破の隣にいた生徒が、火薬に下手に触れてしまった。40月にもなれば、教師も適度に目を外し、生徒も適度に自由を得る。たとえ細心の注意を払っていようが脳内で何十回と復習をしていようが手慣れた作業であろうが、事故は、起こるときは起こるものである。きっかけなどどこにでもあって、どこにもない。
鉢屋は学級委員の名に相応しく、周りをよく見ていた。見えてしまっていた。特に不破のことは誰よりも気に掛けていた。よく、見え、見すぎていた。

不破を庇った鉢屋の傍で暴発したそれは、鉢屋から音を奪うには十分だった。鉢屋が最後に立体的に聞いた声は、とっさに突き飛ばした不破が叫んだ自分の名前だった。


「馬鹿だな。私がそんな下手をするわけないだろ」


尾浜の追及を鉢屋は笑って躱す。5年生になってすぐのことだった。
文机に肘をついて、誰もが声をそろえて鉢屋三郎と呼ぶ、鋭さと厭らしさにあふれた笑みを浮かべる。


「だってこの前の実習で、矢羽音、落としてたじゃん」

「わざとに決まってるだろ。組む相手が万能だとみんな傲慢になる」

「ふうん?いっつもわざわざおれの右側に座ってるの、気付かないとでも思った?」

「自意識過剰だろ。たまたま」

「『たまたま』、いま、こうしておれは鉢屋の右側に座ったわけだけどさ、」


じゃあさっき、おれが座りながら耳元で言った言葉、聞いてたなら言ってみろよ。
尾浜はわざわざ近い距離になりながら上目遣いで、にこにこ、という表現が似合うように優しく笑ってみせる。
鉢屋は口を一直線に結んだ。
片耳ぐらい聞こえなくとも、不便こそすれ日常生活に支障はない。授業なら学級委員の名を濫用して不都合は割合避けられる。否、避けずとも鉢屋の才にとってはその程度、枷にもならない。もとより、鉢屋は耳より目のほうがよかった。見えないものまで見えてしまうほどには。
近距離の急所攻撃に、鉢屋は顔色を消して尾浜の目の色を見極める。はっきりしすぎている色に、ほんの少し惑わされてぽつりと息が漏れる。たとえ見えすぎていても、見えるものが、真実であるとは限らない。


「……聞こえなかったよ」


不貞腐れたように鉢屋は言い捨てる。尾浜はにっこりと笑う。


「へへ、そりゃ言わなかったからねー」


からかい気味の口調とは裏腹に、夕日を慈しむように目を細めた尾浜の真意を見抜けない鉢屋ではなかった。何を言わせようとしているのかぐらい、目に見えて明らかだった。どう転んでも、仕掛けられたときから負けは決まっていたのだ。
こんな目、なかったらよかったのに、と外方を向く振りをして、赤くなった耳を塞いだ。









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