背負って立たなければならない人間にとって、息をすることが自分のためであってはならないのだろうな、と勘右衛門は竹筒を傾けて水を飲みながら思った。
義務とか責任とか、そういった類のことが勘右衛門はあまり好きではない。自分はいつだって自分のために自分のことをしていたい。だから犠牲という言葉が嫌いだった。
例えば誰かの立場に立って物事を考えてもそれはやはり勘右衛門から見た相手のことであって、相手が本当にそう思っているのか、そう思うのかなど一生わからない。仕方がないことだった。この世にいくつもあるどうしようもないことの1つにすぎなかった。だから主の考えていることなど、勘右衛門には分かるわけがなかったし、分かろうとも思わなかった。

かつて、人に成ることが上手い友がいた。
友は誰に己の顔を曝すこともなく、6年の歳月を1番近しい者の顔で過ごした。それでも友は自分の名を持ち、誰かに成り代わることはなかった。いや、成り代わることなどできなかった。誰一人としてそれを望まなかったし、彼も、それが不可能であることを理解した上で望まなかった。

だからなのか、勘右衛門は主の研ぎ澄まされた横顔を見るたびに、この世に代わりの人間などいないのに、と少し失望に近い寂しさを抱いていた。


「忍」

「う、あ、はい!」

「降りてこい。我の相手をせよ」

「お、おれがですかっ?」

「二度は言わぬ」


鋭い眼光に射ぬかれて、勘右衛門は慌てて口布を巻くと落ちるように樹から降りた。まいったな、と眉を下げる。どうせ試し斬りか試し撃ちか、かかしにされるのがオチだろう。だから昼間の護衛はいやなのに、と頭を下げて主の命を待った。


「齢は」

「10と7つで」

「名は」

「え、」

「………」

「あの、おれ……」

「名乗る名が無くば、よい」


耳を疑った勘右衛門が顔を上げると、主に采配を向けられていた。しまった。ぶたれる。そう直感した瞬間、コン、と額を突かれた。


「忍。その名に恥じぬよう、働くがよい」


名を背負うとは、そういうことだった。
義務とか責任とか、そういった類のことが勘右衛門はあまり好きではない。自分はいつだって自分のために自分のことをしていたい。だから犠牲という言葉が嫌いだった。
勘右衛門は口布を解く。さっきまでの怠惰さは気付けばどこかに失せていた。
この主は名の重さを知っている。それぞれの立つべき場所を理解している。その上で、この世のすべては駒であると、それが生きていくことであると、知っている。故に自らの生きる道を違えることはないのだろう。


「尾浜勘右衛門。僭越ながら、お相手つかまつる」


なんだ、おれこの人結構好きかも、と思いながら、先程から能面のように表情の揺るがない顔を前に、勘右衛門はクナイを構えた。









- ナノ -