例えばのこと。あの男があと2m小さくて息をしていなければ二酸化炭素の排出量の削減に貢献できて、地球温暖化も僅かながら緩和できたにちがいない。まぁほんの0.001度にも満たないけれど。
でもそのお陰でこの世界が沈むのがほんの少しでも遅くなるのならば、きっとその方がいい。


「さっさと寝違えて首を折ってしまえばいいのに。ねぇリクくん。世界平和への第一歩だと思うでしょう?」

「仮にも神職にそんなこと俺はとてもじゃないけど言えません」

「言っちゃいなさいな。楽になれるわよ」

「そうですね、きっと苦痛とか幸せとか感じなくなる世界に行けるんでしょうね」


あはははは、とポットをゆるゆると揺らしながら、遠い笑みがちらりと背後を気に掛ける。
愛娘のような幼女と戯れる男はさながら老木のようだった。老木は感情の浮き出ない視線をずっと愛娘に注いでいる。それが慈悲に満ちた視線だとわかるのは、昔、その双眸をまっすぐ受け止めてしまったことがあったから。忘れてもいいなら、いますぐ忘れたいあの頃。
自称有能な彼はタイミングを見計らって私のティーカップを引き寄せる。その絶妙な間が小賢しい。そして、何気なさを装って切り出す。


「マリアさんは」

「なぁに?」

「……シスターに何か恨みがあるんですか?」

「う、ふふ。あら、なにそれ」


柔らかい甘味がふんわりと漂う。
彼が淹れる紅茶は確かに胸をあたためてくれる。この温度は1人では絶対に気付けない。知り得ない。


「もうリクくんたら。あの変態が私の感情の一部に居座るなんてこと、不愉快以外の何でもないじゃない?」

「でっすよねー…俺ったら野暮なこと聞いちゃって……すみません」

「ほんとに、そろそろ人類辞めたら?」

「はい。早めに金星人になれるよう努力してみます」


ミルクを少し多めに入れる彼は心底大人なのだろう。

例えばのこと。あの男があと2m小さくて息をしていなければ二酸化炭素の排出量の削減に貢献できて、地球温暖化も僅かながら緩和できたにちがいない。まぁほんの0.001度にも満たないけれど。
でもそのお陰でこの世界が沈むのがほんの少しでも遅くなるのならば、ほんの少しでも長くこの幸せに浸っていられるのなら、きっとそのときは、その最後の0.001秒は、その男のことを思ってやってもいい。





シスター
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