もう何年前になるんだろうか。
この紅梅が美しい季節に僕たちはさよならをした。

い組の文次郎の手が震えていたのが見えていたけど僕は言わなかった。最後の日ぐらい、留三郎と仲良くしていてほしかったから。
仙蔵が卒業するみんなを代表して答辞を読んだ。正直、仙蔵が書いたとは思えないくらいまっすぐな言葉ばかりで、僕は泣いてしまった。感動したんじゃなくて悲しかった。僕は仙蔵のことを友達として見れていなかった。こんなに脆くて優しい友人だったのに、才色兼備の秀才をどこか強くて違う世界の人だと感じていた。仙蔵、ごめんね。僕たち、もっと肩を叩いて笑い合えばよかったね。喧嘩したらよかったね。


「私たちはこれから離ればなれになります。明日から、会える理由がなくなってしまうことに、会う理由を作らなくてはいけないことにぞっとします。この中には、あまり話せなかった人もいます。もっと話したかった人もいます。今はそれを少し後悔しています」


みんなで庭で最後に合唱をした。
ろ組の小平太の声は誰よりも力強くて涙声だった。そっちを見たら長次が背中を撫でていた。小平太はきっと長次の分も歌っていた。ううん。歌ったら泣いてしまいそうなみんなの分も、腹の底から歌ってくれていた。


「みんなが選んだ道が、僕に出会ってくれる道でよかった」

「伊作のばーか」

「ひどいなぁ、ここまで運ばれた命に失礼だよ。ほんと生まれてくれてありがとう」

「……やめろよ、泣かせんな」


柔らかそうな桃色の花と後輩からの文を抱えて、留三郎はついに鼻を赤くした。見なかったことにした。
何度も読み返したこの教科書ももういらない。しまう場所もない。あふれ返る残像も、全部つれていくのは無理そうだ。


「…書物を捨てるならあっちだ」

「私たちはもう捨ててきたぞ!」

「あ、うん」


長次と小平太はもう支度が済んだようで僕たちの部屋に覗きに来た。全然支度の進まない留三郎の教科書も預かって、生ぬるい風の廊下に出た。卒業するみんなの汚い本が山のようになっている一角に自分の一層汚いそれと、留三郎のそれを積んだ。
隣で同じように文次郎が捨てていた。自然と目が合ってもしばらく無言になった。


「なんか、怖いな」

「うん、なんか、わかるよ」

「会えなかったかもしれないって思うと、やっぱり怖い」


捨ててしまったものにいまさら手は届かない。お互いに少し笑って、一緒に長屋に戻った。留三郎はもう全然泣き止んでいて、笑いながら小平太と小突き合っていた。


「おい、みんなで書き寄せをしよう」


もう私服の仙蔵が筆と硯と、高かっただろう和紙を持ってやってきた。仙蔵らしくないというか、それが仙蔵らしい。つまり僕たちとしては彼が仙蔵だったらなんでもいい。それに5人で笑い返す。
ふざけあって何枚も書いたはずなのに、おかしい。僕はもう一枚も持っていない。

すぐ鼻の先にある紅梅を見上げて、僕はそんな優しい過去を独り占めにする。もう泣いたり寂しかったりはしないけど、いつもこの花の季節には甘くて愛しい何かがこの心臓を満たす。





梅と心臓、目蓋の裏







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