海底を模した美しい水槽に水は入っていなかった。三郎はその冷たいガラスに内側から指先で触れる。三郎が声帯を取られてかれこれ200年、日本の言葉を覚えて100年、水槽に入って2週間だった。 「三郎、おいで」 久々知兵助は先日14歳になった。誕生日プレゼントにねだった三郎は、財界の二世たちが集うパーティーの一興で、水槽に飾られていたのを兵助が一目惚れしたものだった。お陰で特注のクルーザーをやめて部屋の壁面いっぱいに大型水槽を設置することになったので、兵助の父親はとある子会社と契約を結ぶ羽目になった。お世辞の歓談の輪から頭の離れていた兵助は、水槽の中で唇から泡玉を溢してじっと水の中で揺れている三郎をひたすら見つめていた。それが見つめ足らず、こうなった。 兵助の言葉に頷いた三郎は、手を水槽の縁に伸ばす。水が張ってあれば水槽から出るのは容易い。だが、それでは部屋がびしょ濡れになって、また先日と同じく怒られてしまう。 両手に真っ白なタオルを広げて、兵助は三郎を待った。 「三郎」 ぺたり、ぺたり、と三郎は水槽をよじ登って水槽のテリトリーから顔を覗かせた。ガラス越しでなく、ぱちり、ぱちりと2人の視線が生身のままぶつかる。星も生まれなければ涙も零れなかった。重力に従って三郎がずるりと落ちてくるのを、兵助はペンより重いものを持ったことがない腕で受けとめる。 水性人間が降ってきた |