「泥だらけじゃないか」
「わぷ、」

ちょうどふらふらと長屋に帰ろうとしたときだった。断りは一言だけで、濡れた手ぬぐいで勝手に顔を拭かれていく。七松先輩、じゃない。無垢としか言えない大きな瞳だとか節張った男らしい掌だとか、大雑把に結われた髪はまさしく七松先輩だったが、七松先輩はこんなに上手く人を気遣えない。ましてや泥だらけの私を見て、きれいにしてやろうなどと思うはずがなかった。
そもそもが馬鹿だった。特に戦場にいるときなんて本能の塊だった。お粗末すぎる理性は敵味方さえ分別できずに、ただ目の前の動を捕らえて静に還すだけだった。さっきだって、中在家先輩がこなければ、一体どうなっていたことかわからない。
それはさておき、顔を解すかのように器用に指先が泥を拭い切って、やっとまともに目の前の人の顔が見られた。ああ本当に、にっこりと笑う顔すら七松先輩だけど。

「…うし、きれいになったな」
「…あ、あの…」
「んん」
「鉢屋先輩、でしょうか」
「ああそうだけど」

やっぱり。

(だって、あの人は、わたしがきれいだろうが醜かろうが、)

「…あの、なんで」
「いやなに、平はきれいな方がいいから」
「そうですかまぁそれは最もですが」
「平。ご苦労様。ちゃんと後輩庇って偉かったなぁ」

そう言って確かに先輩が同じ目線で鮮やかに笑う。
ああどうして。笑っているのは鉢屋先輩だとわかっているのに、なんで心は騙されてしまうんだろう。こんちくしょう。ああ悔しい。

「はは、せっかくきれいにしてやったのになぁ」
「…先輩、わざとでしょう…」
「まぁバレてるか」







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