「黙れ!いちいち煩いなお前は少しは長次を見習えこのクマ野郎!」

そう吐き捨てて部屋を飛び出したのはもう何度目のことか。月に一度、そうしてどうしようもなく文次郎がこの上なく憎たらしくなった。あの馬鹿っぽい顔や不意に男らしくなる仕種やひとつも飾らない言葉や煮え切らない優しさを正面切って見せ付けられると、自分ではどうにも、膨れ上がる苛立ちが押さえられなくなるのだった。
物に当たるのは悪い癖だと怪我をしたときは伊作によく諭されたが、その度にお前が言えた義理か、と鼻で笑い飛ばした。まぁ伊作も大概自制がきかなくなる質だった。
昼夜問わずいきなり黙って部屋に押し入る私に、長次も小平太も、いつも特に気に障った風もなく適当にあしらってくれた。今日も今日とて我ながらむすっとしたしかめ面で戸を開け放った私に、二人とも、お、という態度で視線を寄越しただけで、そのまま私が長次の背中にかじりついて顔を伏せてしまうと、小平太が楽しげにまた文次郎と喧嘩かぁ、と笑った。

「あははいいなぁ、じゃあ私も文次郎と喧嘩してくる!」
「ああ、ぎたぎたのぼこぼこのぐちゃぐちゃにしてやってくれ。原型がなくなるくらい」
「うっしゃあ!久々にトリプルシュートでもしよっかな!」
「…殺すなよ」
「おうがんばる!」

脱兎の如く、小平太の走り去る音がすれば途端に部屋は静まり返る。
そして何も話さない長次がすきだった。楽だった、と言えば都合がいいように誤解を生むが、ありふれた言葉で言えば、傍にいて安心した。言葉が要らなかった。人間が美しくない理由は言葉を持っているからだと思う。だから失望もするし、後悔もするし、汚れ、卑しく、無様に着飾ろうとする。罵り、見下し、おだて、敬い、そうして点と点を結ぶことでしか、いつしか繋がれなくなっていた。哀れな生き物だと思う。私も、あいつも。

「人間たちがお前のように言葉を紡がずにこの世を傍観できたらよかったのに」

私が馬鹿みたいな言葉を吐いても、大きな背中は何も言わない。わかっている。ああわかっている。そんなこと言ってみたって私もあいつも世界に介入するのは止められないし、例えば声が出なくたって結局はこうして意地をぶつけ合いをしてしまうのだろう。
長次はすべてを知っていて何も言わなかった。それは涙のようにきれいで、息のように深く、心臓のように優しかった。言葉にしなくても、それは伝わるはずだった。
見えないものを信じられなくなったのはいつからだった?
損得勘定で見返りばかり求めるようになったのはなぜ?
言ってくれなきゃわからない、ようになったのはどちら?
あの頃の私たちはどうやって無邪気に笑えていた?

「ああそうだな、それができないから私はこうして問うているんだろうよ」
「……」
「長次だけだな。この世で美しいのは」

この世にその答えがないことを、答えても意味がないことを、その答えを求めていないことを、その美しい沈黙はずっと昔から知っていたのだろう。文字の世界に溺れた先にあったのは、果たして言葉無き理屈だっただろうか。私には到底理解に及ばないのだろうが。
文次郎にはそんな心理など永遠に知る由もないので、とりあえず今日は半分くらい小平太に殴り殺されればいいと思った。









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