グレイに背を向け横になっていると、後ろから腕を回され、彼の長い指先が名前のお腹をおもむろになぞる。
身体の奥にはまだ彼がいるかのような感触が残っていた。
『これだけ出したら子供、できちゃうかなァ?』
その口調はどこか楽しそうで、いまいち冗談か本気か分からない。だけど、彼がいつになく上機嫌なことは明白だった。
「……貴方は子供が好きそうにはみえませんが」
背中を向けたまま冷たくそう返すと、グレイはフッと口元を緩めた。
『まぁね。でも、君がボクの子を育ててるのを見るのも悪くないかなぁって』
……笑えない冗談だ。
そんなことになれば社交界の醜聞の的、家名に泥を塗る行為に等しい。
こんな戯言をいうなんて彼らしくない。
「……どうかしたんですか?」
『どうかしてるのは君の方でしょ』
低い声色に驚いて振り返ると、彼の鋭い視線とぶつかりハッと息を呑む。
ガラス玉の様な灰色の瞳は何もかも見透かしてしまいそうな程透き通っていた。
『こんなこと許すなんて、一体何を考えてるの?』
眉を寄せて、釈然としないといった様子で顔を覗き込まれる。
(三日間、離さなかったのは彼自身な訳だけれども……)
どうやら彼を受け入れたことに納得がいっていないらしい。
訝しむ様に問いかけるグレイに名前は天を仰ぎ、一度目を閉じる。
「……私はきっと初めて会ったときから、ずっと貴方に惹かれていたんですよ」
そう嘯くと、グレイは呆れた様に口を曲げた。
『ウソくさ〜……』
「ふふっ、嘘じゃありません」
(あの日、私の父を薔薇色に染め、月明かりに照らされた貴方をみたあの日からずっと……)
──貴方のことを考えなかったときなんてないもの。
『ま、何企んでたっていーけどね。君を逃すつもりないし』
「……」
観念したように息を吐くと、グレイは寝返りを打ってピローケースに頭を沈めた。
(一体、どこへ逃げるというのだろうか。行く当てなんてどこにもないというのに……)
もしかして、妊娠でもさせて彼の元に繋ぎ止めておく魂胆なのだろうか。
先ほどの戯言は、あながち冗談でもないのかもしれない。
物騒なことを言ってのけたあと、グレイは名前の髪を指で弄んでいた。
やがてそれに飽きると彼女の頬に手を回し、自分の唇に引き寄せ口付けた。
身体を重ねてわかったことだが、彼は自分は触れるくせに、他人から触れられるのはあまり好まないようだ。
主導権を握りたいようなので、そのまま身を任せることにした。
この三日間でもう何度唇を重ねたか分からない。
甘い言葉などなくても彼の視線が、触れ方が、一心に彼女を好きだと言っていた。
『ずっと、こうしていたいな……』
独り言のように放たれたその言葉は、一国の女王の執事の発言としては少々頂けないのかもしれない。
「……」
『なーんてね、冗談だよ』
本人もそれに気付いたのか否か、自身の言葉を掻き消すようにおどけてみせた。
『療養を終えたら、ロンドンに戻って仕事の続きをしなきゃだしね』
「そうですね……」
名前は横たえていた身体を起こすと、ベッドサイドにあるグラスセットに手を伸ばす。
(……このグラスを用意した使用人たちは当主と近侍が三日も部屋から出てこないことをどう思っているのだろうか)
当の本人は何も気にしていないようだけれど……
きっと階下では噂話で持ちきりに違いない。
いずれにせよ、このまま何食わぬ顔でここで働き続けるのは難しそうだ。
寝転んでいる主に水を注いだグラスを差し出すと、彼はそれを受け取り躊躇いなく飲み干した。
「そろそろ時間ですね」
そろそろ、この甘い夢から醒めなければ。
***
今日でアズーロとの約束の期日だ。
グレイの寝息が聞こえたのを見届けると、彼を起こしてしまわないように、そっと腕の下をすり抜ける。
床に散らかった下着を拾い、シャツに袖を通す。きちんと服を着るのは三日ぶりだった。名前はボタンを留めながら、まだベッドの中にいる男を一瞥した。
少しの物音で目を覚ます普段の彼ならあり得ない程、深い眠りについていた。
それもそのはず。アズーロに貰った睡眠薬を彼のグラスに注ぎ、ようやくその効果が発揮されていたのだから。
常人なら、あと8時間は目を覚まさない。
一体この瞬間を得るためだけにどれ程の犠牲を払ってきただろうか。
無防備な眠りにつく当主の寝顔を眺めながら感慨深く思う。
「キレイな寝顔……」
名前はベッドの傍らに跪いて、珍しいグレイの寝姿をまじまじと堪能した。
いつもは毒を吐く唇も今は閉じられ、黙っていればまだあどけなさの残る可愛らしい顔立ちをした青年だった。
誰にも邪魔されず2人だけの空間で、強力な眠りについており、おまけに片腕は負傷している。
こんなに隙だらけの彼は滅多にないし、これ以上のチャンスはもう二度とないだろう。
名前は隠し持っていた短刀を取り出すと、震える手で先程まで身体を重ね合っていた男の白い胸元に刃先を向ける。
彼を殺す時は父と同じ方法で殺すと決めていた。
毒殺なんかではなく、刃物で心臓を一突きだ。
(ようやく、この時が……)
そして、短刀を握るその腕を勢いよく振り上げる。
──でも、できなかった。
その腕から刃物がこぼれ落ち、カラカラと金属が床に響く音が虚しくこだました。
抑えきれない想いが頬をつたり、顔を覆ってその場で泣き崩れる。
(できない。出来るはずがない……)
だって、彼を愛してしまったもの。
唯一の肉親を奪った、殺したいほど憎いはずの彼を……
気まぐれで、我儘で、冷酷で。
だけど時折触れるその指先は優しくて……
笑った時は、無邪気な少年のように微笑む。
(そんな彼を、愛してしまったもの)
「Drown in me」
次回で最終話
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