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ペールイエローのドレスを身に纏う公爵令嬢は、明るく活発な彼女の性格を表していて、今夜 夜会にいる誰よりも美しかった。
「エッペンシュタイン公爵令嬢は本当に英語が堪能ですわ。私ったらドイツ語どころかフランス語すらからっきしなのに」
「私などまだまだです。それに私のファミリーネームは難しいでしょう?気軽にクレアと呼んでください」
「まぁ、是非とも!……それにしても、グレイ伯爵家の元でホームステイなんて羨ましいわ。伯爵ったら、お忙しい方だからなかなか夜会にはいらっしゃらないでしょう?」
貴族の婚姻条件は、一に財産、二に家柄。
そのどちらも満たしていて、おまけに容姿にも恵まれているグレイ家の若き当主は、人格が破綻していることに目を瞑れば貴族の令嬢たちにとって引く手数多らしい。
名目上はドイツの公爵令嬢の歓迎会として、歳の近いロンドンのご令嬢達が交流のために集められたが……
実際、彼女たちは独身の貴族であるグレイと関係を持ちたい下心を抱いているのは、傍から見ても明白だった。
これでは、一体どちらが今夜の主役かわかったもんじゃない。
(……今時のレディ達は、あんなのが好みなのだろうか?確かに整った顔立ちをしているとは思うが、華奢で中性的で全然男らしくないではないか)
そんなことを思いながら一人、部屋の片隅で近侍として賑やかな夜会を眺めていると、レディ達に囲まれていた筈のグレイがいつの間にか隣に現れた。
『あー、つっかれたー!』
彼はソファにどかっと腰を落とし、襟元のリボンを少しだけ緩めて足を組んだ。
先程までの令嬢達の前での恭しさは微塵もない。
こんな姿を見せれば、令嬢達の百年の恋も冷めるのではないだろうか?……そういう訳にもいかないけど。
『これだから接待は嫌になっちゃうよねー、落ち落ち料理も食べられなくて』
グレイはため息交じりにそう呟くと、近くを通った使用人の運ぶワイングラスを引ったくり、性急に喉の奥に流し込んだ。
「……いいんですか?淑女達の傍にいなくて」
『なァに?もしかして妬いてるぅ?ボクはボクがいたいと思う人といるからいいんだよ』
平然と答える彼に一瞬、自分の耳を疑った。
驚いて彼の方に目をむける。
「……は?」
『だから、ボクはあんな女達よりも今はアンタといたいの。言ってる意味わかる?』
言葉に詰まった。
自然と自分の耳に熱がこもるのを感じた。
騒がしいはずの夜会の音が消えて、世界が一瞬だけ止まったような気がした。
「そういう訳にもいきませんよ……今夜の目的は、クレメンティア嬢との親睦を深めることですし」
やっとの思いで平静を装ってそう答えると、わずかな間をおいて……彼は艶やかな眼差しをこちらに向けた。
『……ねぇ、ボクは公爵令嬢よりも君のことが知りたいんだけど』
熱を帯びた銀灰色の瞳には、少したじろく自分の姿が映っていた。
一体、いつから彼はそんな目線を向けるようになったのだろうか。
"アンタ、彼に恋してんのよ"
昼間、マダムレッドに言われた言葉が頭にこだました。
(もしかして、知らず知らずのうちに私も彼に同じような視線を向けているのだろうか……)
そんな自分の姿を確認したくなくて、思わず彼の瞳から目を逸らす。
「グレイ伯爵ー!」
遠くからクレメンティア嬢に呼ばれると、彼は緩めていた表情をさっと引き締め、腰を上げてそちらに戻っていった。
その背中を見送りながら、名前は誰にも聞こえないように小さな声でつぶやいた。
「……知ったら、幻滅しますよ」
貴方のことを殺そうとしてるなんて。
***
パーティーの喧騒の中で、クレメンティア嬢は昼間の出来事を思い返した。
今日のロンドン観光はとても楽しかった。
なにしろ、想い人と一日中共に過ごせたのだ。
恋する乙女にとって、これ以上幸せなことはない。
けれど、単純に喜んでいるばかりではいられなかった。
グレイの態度はずっと丁寧ではあったが、恭しい態度を崩すことはなく、どこか業務的に扱われている気がした。
勿論、突然 押しかけたわけだからすぐに自分を受け止めてくれるなんて思ってはいなかったが、暖簾に腕押しな彼の態度に流石のクレメンティア嬢もへこまずには居られなかった。
そもそも恋なんて初めての経験だからどうしたら良いか分からないのだ。
(もしかして、他に好きな女性でもいるのかしら?)
グレイに婚約者や恋人がいないことは、事前にリサーチ済みだった。
今夜のパーティーに来ている令嬢たちの中にも、どうやらそれらしき女性はいないようだ。
(じゃあ、一体誰を……)
ふと、頭に浮かんだのはグレイの近侍である名前だった。
いつも彼のそばに付き従っている名前。
仕事はテキパキとこなすし、細やかな気配りが行き届いた優秀な近侍だった。
グレイが気に入っているのも頷ける。
けれど、それはあくまで使用人としてだ。
クレメンティア嬢はシャンパンの入ったグラスワインの縁に口をつけ、自分を囲む周りの令嬢とその後ろであくせくと働く使用人たちを一瞥した。
──この英国には階級意識が根強い。
もちろん母国のドイツにもないわけではないが、英国のそれは別格だった。
例えば英国では女性の脚部は卑猥な部位であると考えられ、家族以外にその部分を見せることはない。
しかし、令嬢たちは家族でもないメイドや使用人の前では平気でその姿を晒す。
そんなことができるのは彼らが無意識のうちに、使用人のことを同じ人間だと考えていないからだ。
いうなれば、英国貴族は使用人のことを家具だと思っているのだ。
家具の前でなら裸を見せても、着替えを手伝わせても何も恥ずかしくはない。
……そして、貴族が家具に恋をするなんてありえない。
(まさかね……)
ふと浮かんだ馬鹿げた考えを振り払うように、クレメンティア嬢は琥珀色に泡立つシャンパンを喉の奥に流し込んだ。
(それだけは絶対にあり得ないわ)
「Must'nt love the one」
(あの人を愛してはいけない)
続く??
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