『ふーん、こう?』

「?!」








突然の講師のセリフに固まっていると、乱暴にグイッと腰を引き寄せられグレイの香りがフワッと一気に押し寄せた。








(ドクン、ドクン、ドクン)




……眩暈がしそうだ。




こんな密着は仕えてから初めてのこと。
これは暗殺のまたとないチャンス。




否、それよりも何故さっきから心臓の音が五月蝿い。






(ドクン、ドクン、ドクン)










もうロドキン夫人のバイオリンのメロディーも頭に入らない。

……この距離じゃこの音が彼に聞こえてしまいそうだ。













無理やり繋がれた彼の左手は、手袋ごしにその温もりが伝わった。









──この美しい手で、私の父を……











瞬間、鮮血が月明かりに照らされたあの日の光景がフラッシュバックした。








──私ハ、今”ダレ”ト手ヲ重ネテイルノ?








「いやっ!!!」







パシッ!!








込み上げてくる吐き気に、思わずグレイの手を払いのけていた。










突然の悲鳴に驚いて、ロドキン夫人はバイオリンの演奏をやめる。





手を叩かれたグレイも大きな瞳に当惑の色を浮かべていた。











「どうなさったのミス名前?」





すぐに沈黙を破ったのはロドキン夫人の方だった。


夫人は思いがけない出来事に、おそるおそる問いかけた。







「あ……その、ごめんなさい」









上手な言い訳が見つからず、しどろもどろに答えるしかなかった。








『……キミ、すごい汗だよ。ちょっと休憩にしたら?』









使用人が主人の手を叩いたら、普通はクビになってもおかしくない。

しかし、彼は何も咎めなかった。



それどころか私の異常を察して、助け舟まで出されてしまった。そういった優しさは時に痛みさえ感じてしまう。




「あら、ホントだわ。少し休憩にしましょうか」





ロドキン夫人は部屋の置き時計の針を一瞥すると、グレイの指摘に賛同した。






「ミス名前、緊張するのは分かるけれど、殿方と手をつなぐことにそんなに力を入れてしまってはダメよ。もっとリラックスして優しくね」


「はい、申し訳ありません……」









途切れ途切れの息で返事をすると、ロドキン夫人はニヤリと笑ってウィンクを向けた。






「貴女にはリズムセンスが全くないようだしね。これからはスパルタ指導ですからね」











そう言って夫人とグレイが部屋を出て行った後も、先ほどまで重なりあっていた右手には彼の温もりがまだ残っていた。













***






その日、グレイ伯爵家に20年以上勤める台所女中(キッチンメイド)メアリ・アンダーソンは信じられない光景を目の当たりにした。











台所女中は屋敷の朝餉の支度のため、執事長の次に早く起きる。


今朝も定刻通りに起床し、エプロンを身に付ける。

彼女はここ最近、憂鬱な気持ちだったが、それは冬が始まる朝の寒さのせいではない。









悩みの種はこの頃 屋敷に雇われた下男、マイケルだった。









彼には早朝起きて、朝食作りの手伝いを言い渡しているのに雇われてからその約束がきちんと履行されたことは一度もない。




不真面目な下っ端のおかげで、毎朝一人で朝食支度をする羽目になっていたのだった。









(昨日はイモ洗いを言い渡しているが、どうせまたやっていないのだろう)



マイケルがクビになるのは時間の問題。


それまでの辛抱と思い、深いため息を吐きながら厨房のドアノブを引いた。









すると、そこには予想だにしなかった光景が広がっていた。






「!?」






目に飛び込んできたのは綺麗に水で濯がれ、皮が剥かれた芋の山だった。



いや、それだけではない。厨房がすべて磨かれ綺麗に掃除されている。




(これは、一体……)








「おはようございます」








部屋の死角になった場所で、マイケルが残りの芋の皮を不器用な手付きで剥いていた。




それどころか、いま彼はなんと?

ロクに口を聞かなかった子どもが朝の挨拶をしたではないか。







「ま、マイケル!!貴方これは……どういう風の吹き回しなの?!」





少年はその質問には応えず、むくりと起き上がるといま剥き終えたばかりの芋を台所女中の目の前に差し出した。







「こんなカンジでイイですか?初めて剥くから分からなくて」









そこには皮を厚く剥きすぎて、スレスレになった芋の芯が残っていた。







言葉遣いも芋の皮の剥き方も、まだまだ不完全なところだらけだが、確実に彼は変わろうとしている。






メアリ・アンダーソンは幼い彼の瞳にそんな意思を感じた。













一体、何が彼をここまで変えたというのだろうか。














「貴方の温もりを感じました」
続く??







ロドキン夫人は原作には名前だけ登場しております…!
もちろんダンス講師として(笑)



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