天高く馬肥ゆる、とは良く言ったものだな、と思う。
少なくとも今の空模様は秋晴れのそれとはほど遠くて、ボクはしとしとと降りしきる秋雨を
聞きながら、一人で数学の宿題をしていた。
「なあー」
うん、一人でしているんだ。
「なあなあー」
暢気に間延びした声を掛けてくるのはオメガしか居ない。
制服も着替えず、ボクに抱きついてくる。ワザとなのか無意識なのか(いや、恐らく彼女の場合前者だろう)
程よく大きく形の良い胸を執拗に背中に押しつけて。ああもう、心臓に悪い。
「ねえオメガ、その、もうちょっと離れてくれないかな?これが終わったらちゃんと構ってあげるから」
ボクは今だ後ろでくっつくオメガを引き剥がして言う。するとオメガが不満げに頬を膨らませた。
「前そう言ってからもう一時間くらい経ってるぞ、まだ終わらないのか、その課題とやらは」
オメガにも課題が出てる筈なんだけどなあ・・・・・・と思うが、多分言っても無駄だろう。何せ彼女は昼食時と放課後以外学校に姿を見せたことが無い。
それ以外はどうしているのか以前それとなく聞いてみたら、近所の公園を散歩しているか、ボクの家でのんびりしているらしい。
ボクは深くため息を吐いてから立ち上がる。
「イクス、構ってくれるのか?」
「違うよ、ちょっと喉が渇いただけ」
期待したようなオメガにピシャリと言い放つと、不満げな声。
ボクは台所に向かうと、お湯を沸かしてインスタントコーヒーを淹れた。
オメガが一緒に暮らすようになってから直ぐに買いそろえたお揃いのマグカップ。
ボクが蒼で、オメガが紅〈あか〉。それにコーヒーを少量淹れて、お湯を入れる。
オメガのには、ミルクと砂糖を一緒に入れて。
「はい、オメガ」
「・・・・・・なんだこれは?」
ボクが渡したマグカップの中身を凝視して、オメガが訝しげに首を傾げる。
「コーヒー。ちょっと苦いかも知れないけど、オメガのはお砂糖とミルクで、甘くしてあるから・・・・・・」
「ふむ」
尚もカップを見つめて悩んでいるらしいオメガを見て、まずボクが飲んで見せる。
ボクのはストレートなブラックコーヒーだ。昔はミルクが無いと飲めなかったが、いつの間にかこっちの方がしっくりくるようになってしまった。
ボクも少し大人になれたのかな、なんて。
暫くカップを凝視していたオメガは、ようやく意を決したのか、マグカップに口を付けて、ちび、と啜った。
「・・・・・・ふむ。少し苦いが、飲めない味じゃ無い」
「そう?良かったよ」
「・・・・・・お前のは俺と違うのか?」
「え?ああ、うん、これはブラックコーヒーだから」
どう違うんだ、と言うオメガに、砂糖とミルクが入ってないやつだよ、と説明する。するとオメガは、それも飲ませろ、と手を伸ばしてきた。
「うーん・・・・・・オメガにはこれはまだ早いんじゃ無いかなあ?」
意地悪っぽく笑って言うと、オメガは子供のように頬を膨らませて、俺でも飲める!と言ってきた。
可愛いなあ。ボクの頬は自然と緩んだ。思えば、オメガがここに住むようになってから、ボクもオメガも、喜怒哀楽が豊かになった気がする。
飲ませろ、と本人が強く所望するので、ボクは仕方なくブラックコーヒーの入った蒼いカップを渡した。
オメガが自信満々に口に含み、直ぐにうげっと呻いて小さな舌を出した。
「・・・・・・・・・苦い」
「だから言ったろ?」
ボクが言うと、オメガは苦々しげにカップをボクに返した。
「お前はこんなのが美味いのか」
「うん、ボクも昔はミルクコーヒーだったんだけど、こっちの味に慣れちゃって」
「ふうん」
オメガは暫く紅いカップを持って固まる。あれ、どうしたのかな?
そう思って声を掛けようとした。
「オメ―――!!?」
一瞬、何をされたか分からなかった。気がつくとボクは、オメガに唇を奪われていた。
「んぅ・・・・・・ふぁ・・・・・・んんん・・・・・・!!」
突然されたそれに、思考が固まる。息が上手く出来なくて、情けない声が漏れ出す。羞恥に顔が朱く染まるのを感じた。
「んんっ・・・・・・ぷはっ・・・・・・。」
ようやく解放されて、胸一杯息を吸い込む。酸素が中に入ってきて、息苦しさが無くなったはずなのに、胸はまだドキドキしていた。
「オメ・・・・・・オメガッ、急にこんなことしないで欲しいよ」
「・・・・・・だが、甘くなった」
ぽつりと呟くオメガに、ボクもなんだか口の中が甘くなった様な錯覚に囚われる。蒼いカップを見れば、確かに残っているのはブラックコーヒー。なのに
「これなら苦いコーヒーも悪くないかもな」
悪戯っぽく笑うオメガに、ああ、敵わないな、と思う。
ボクはオメガを優しく抱き寄せると、白く柔らかい頬にキスをした。
外では、秋の雨が肥えた大地に降りしきる―――