節分の豆まき(2021)




荒れ狂う新世界の海を航海中のハートの海賊団。
次の島までまだまだ日がかかるらしく、海上は大荒れのためここ数日間は潜水して過ごしている。
海底は海上よりもかなり冷え、燃料を節約するために空調も切られているため船内の気温はかなり低い。
そのため、私を含めみんなが船内でもつなぎの上にコートを着て、防寒して過ごしている。
問題は寒さだけではない。

「なんか平和すぎて体がなまったなぁ」
「確かに」

シャチの気怠そうな声に私も大きく頷いた。
言葉と共に気温が低いのを物語るかのように、白い息が吐き出される。

このぐらい気温が低いと、人間は少しでも長い時間生存する為に活動量を最小限にするのだろう。
医学的にきっとそうだ。キャプテンの部屋にあった“冬島の気候による人間の生態変化”とか言う本に書いてあった気がする。
あれ?でも、体温を上げるために体を動かした方がいいのだろうか…今度キャプテンにあの本について教えてもらおう。

そんなことを考えながら、温かいコーヒーに口をつけてとりあえずこのコーヒーで体温を上げる。

潜水して過ごしているがもちろん敵船や海軍が現れることもなく、大きな海王類に追いかけられることもない。
それぞれ洗濯や掃除当番が回ってこない限りは、こうして私やシャチのように食堂で暖かい飲み物を飲んでダラダラ過ごしているクルーがほとんどだ。

「そういえば…豆まきしねェと」
「いきなりだね。何故豆まき?」
「この前上陸した島で聞いたんだけどよ、今の時期は豆を撒いて厄を払うんだってよ」
「シャチさぁ…イベントがしたいだけで、絶対信じてないじゃん」

私がこの船に乗ってから、ここのクルーと関わるようになってもうだいぶ経つ。
特にシャチとは一緒に行動することも、こうして話すことも多いからこそ性格を理解している。

ここに居るのは根っからの海賊の心を持った人たちが多いし、そういう人達はほとんどが神やら信仰やらを真っ向から否定するのだから。きっとただ騒ぎたいだけだ。

「鬼はーそとーっつって豆を撒くらしい」
「この船にすでに鬼が居るから無理だよー」
「お、おいおい、お前命知らずだな!キャプテンのことをっ」
「ぷっ!誰もキャプテンのことなんて言ってないよー!シャチ自滅ー!」

そうは言ってももちろん私はキャプテンのことを指して言ったのだが。
シャチを指差して「キャプテンのことが鬼だってー!」と笑っていると、シャチの顔から笑みが瞬時に消えて見事な色の変化だと褒めたくなるぐらい、青くなった。
その顔色の変化に私自身もすぐに状況を理解したが、時すでに遅し。

「誰が鬼だって?」

寒くて自室から出てこなかった筈のキャプテンの低い声が私の背後から聞こえてきて、私もシャチのように瞬時に血の気が引いた。
すぐに立ち上がって振り返ると、本当に鬼に見えるような気がするぐらい不機嫌そうなキャプテン。

「きゃ、キャプテン、布団から出られたんですね!」
「部屋に来たペンギンが全員怠けまくってるって聞いたからな。てめェ、仕事しやがれ」

明らかに私だけを指して言っているが、私だってちゃんと当番の時は洗濯やら掃除やらをしている。
部屋でぬくぬくと暖をとっているキャプテンには言われたくない。

「してますよ」
「どの口が言うんだよ。グータラしてんしてんじゃねェか」
「今日は何の当番じゃないんです」

キャプテンが距離を詰めてきて、私は後ずさりたかったが背後にテーブルがあるせいでキャプテンから距離を取ることは出来ない。
片手をテーブルへ置き、自分の体を支えるともう片方の手でキャプテンと距離をあける為に逞しい胸板に置く。

キャプテンはそれでも気にせず私に近寄ると、片手で私の両頬を鷲掴みにした。

「てめェはこの船の看護師だろうが。クルーの健康管理はどうした」
「…」
「見たところ全員ダラけているようにしか見えねェ」

痛い所を指摘されて黙り込んでしまう。
キャプテンの言ってることは間違いない。
筋力の低下や体力の低下はもちろんのこと、このまま浮上した時に敵船前でいきなり動きだしたらあちこちの筋肉が悲鳴を上げる可能性がある。
それは戦闘中の弊害にもなり、結果としてキャプテンと私の仕事が増えてしまうのだろう。

「すいません…」
「潜水中で手持無沙汰になってんのはおれも同じだ。だからお前を含め、お前ら全員のやりたいことにおれも付き合ってやる」
「?はい?」

ニヤリと口角を上げたキャプテンは私から離れ、キッチンに居るクジラさんに声をかけると何やら袋を持ってきた。

「豆まき、してェんだろ?お望み通り、おれが鬼になってやる」
「キャプテンに当てたら何かいいことあるんすか?」

イルカが豆の入った袋を覗き込み、ニヤニヤしながらキャプテンに問いかけるとキャプテンはあくどい笑みを浮かべる。
手配書にあるような悪い顔だ。恐ろしい。

「一度でもおれに当てたら当てたやつの頼みを何でも聞いてやる」
「おお!!」
「金でもいい。いくらでも好きなだけ出してやる」

豆まきの趣旨が完全に変わってしまっているが、金に眩んだ仲間たちの目は本気だ。
次々と袋に手を突っ込んで豆を掴み始めている。

お金と言っても私には密かに貯めてる貯金があるし、困っていない。
しかし、キャプテンに何でも頼めるとなればこの私の望むことは一つ。

「そ、それってお金じゃなくて…キャプテン個人に頼みがあるのも聞いてくれるんですか?」
「…くく。言ったろ?ナマエ。何でもだ」

キャプテンに頼むこと、それはたった一つ。
潜水してから避けていた行為のことだ。

そろそろキャプテンがいつも通り強引に私を部屋へ連れ込むだろうと、密かにビクビクと怯えていたが。
ここでキャプテンに豆を当てれば次の島までは我慢してほしいと頼める。

「おれは能力を使わねェし、お前ら全員で作戦を立てておれを追い込むのもいい」

キャプテンのその言葉に全員が嬉しそうに騒いだが、私は逆に不安になった。
何しろキャプテンの顔から余裕の表情が消えないし、キャプテンは自分の勝てないような提案をしてこない。つまり、キャプテンの中には何か勝算があるとしか思えない。

私の不安を他所にキャプテンはスタスタと食堂の出入り口であるドアの方に向かって歩き出した。

「おれがこの部屋を出たら30秒後に追いかけてきていい。時間はクジラが昼飯を作り終えるまでだ」
「クジラ!どんくらいで昼飯出来る?!」
「あー…たぶん1時間ってとこだな」

一時間もあればこの人数で船内を充分回ることが出来るだろう。
キャプテンの体的に狭いところに隠れるなんて考えられない。
恐らく船長室か医務室か…。

キャプテンが部屋を後にした途端に全員でカウントをしながら、それぞれが準備運動を始める。
どうやら協力はする気がないらしく、作戦を立てようとしている人は見当たらない。
むしろ全員、我先にぶつけに行く気らしい。

手の中にある豆を握りしめて、私も鬼退治に本気で臨むことにした。







「あり得ない…」

私は他のみんなと同じ様に呼吸を乱しながら必死に廊下を走る。
カウントダウンが始まって全員が真っ先に目指したのはやはり船長室か医務室。
30秒以内で動ける範囲を考えてはみたものの、キャプテンが本気で走ったとしたら結構な速度だし、能力なしでも30秒でも考えられる逃走範囲は広い。
だが、いくら逃走範囲が広くともこの船内のどこにも見当たらないのはどういうことなのか。

「ナマエ!お前キャプテンと逢引きするような秘密の場所ねェの?!」
「そんな場所あればとっくに向かってるわよ!」

そう考えていたのはシャチだけでなく、恐らく他の仲間も思っていたのだろう。
あらかた探し終えるとなぜか私の後をついてくる仲間が増えていったのはそういうこととしか考えられない。

潜水中の船内にカンカンっと金属のぶつかる音が鳴り響く。
これはクジラさんがご飯が出来たことを知らせる合図だ。
どうやら時間切れらしい。

「はぁ、はぁ…にしても…マジで体力落ちたね…」
「だな…はぁ…久しぶりにこんな走った…」

他のみんなも息を切らしながら食堂へ向かい、途中でキャプテンと合流するかと思えば全く姿を見ることもなく食堂へ辿り着いた。

「?キャプテン見た?」
「いや?お前らは?」
「こっちには居なかったよ?」

反対側の通路から来た仲間たちに声をかけたが誰もキャプテンの姿を見ていない。
とりあえず食堂で待つかと私がドアを開けた。

「…?!キャプテン?!」
「おれの勝ちみてェだな」

食堂にみんなの驚愕の声が響き渡る。
カウンター席で優雅にコーヒーを飲んでいるキャプテンは呼吸一つ乱さず、涼しい顔をしてそこに座っていた。
私はすぐにキャプテンに詰め寄り、逃走場所を問いかける。

「どこに居たんですか?!」
「どこにも行ってねェよ」
「嘘ですよ!ずっと探し…」

そこでハッとなった。
私たちはキャプテンはすぐに走って逃走したと思い込んでいたが…もしかして…。

「…ずっと食堂に居ました?」
「いや?一回は出たところ、お前らも見てんだろ。全員が食堂から飛び出た時に、ドアの後ろに隠れて食堂に戻ってきた」

思わずガクッと項垂れた。
それは全く考えていなかったし、まさかそんな大胆な行動にキャプテンが出るとは思わなかった。何しろ見つかってしまえば一気に袋叩きだ。

「冷静に考えて観察し、行動してれば見つかってたかもしれねェが…目先の欲に眩んで冷静さを欠いたのがお前らの敗因だ」

言い返す言葉も見つからない。ぐうの音も出ないというのはまさにこのことだろう。
最早豆まきではなく鬼ごっこのように思えたが、とりあえず豆の掃除はしなくて済みそうだ。

私たちは疲れた体を休ませるためにそれぞれがテーブルに着こうとしたら、キャプテンが立ち上がった。

「何休んでやがる」
「へ?」
「まさかおれだけがリスク背負ってこのゲームをしたわけじゃねェよなァ?」

全員の顔が凍りついた。
ゴクリと喉を鳴らして心臓をバクバクとさせているのは私だけではないだろう。

「全員いつもの筋トレメニュー50セット追加だ」
「どえええー!!無理ですよキャプテン!!キャプテン探すのにどんだけ走り回ったか!」

みんなで船内を隈なく走り、もう充分運動不足は実感させられた。
明日から頑張ろうとか、皆んなで話していたのだが。この船の船長は明日からとか甘い事は考えてくれないらしい。

みんなが騒ぎ立てているところ、キャプテンはクジラさんに一声かけた後に私の肩に片手を乗せて耳元で囁く。

「安心しろ。てめェには今夜の特別メニューを考えてある」
「お、鬼…」
「お望み通り、鬼になってやったんだ。ありがたく思え」

最早、豆まきを一切していないが船長命令が下された私たちは泣く泣く過酷な筋トレメニューをこなす事になった。




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