世界は君であふれている


五組にある廊下側の一番後ろが海信行の席だった。
いつからかバレー部の同期で集まってそこで弁当を食べるのが習慣になっている。昼になるとちょうど隣と前の席の奴がいなくなるらしくて、「来る?」と誘われた日からすっかり居心地が良くなってしまった。

三人で机を囲んでいつものようにバレーの話をする。
昨日ミーティングで見たDVDのスーパーレシーブ凄かったよな。あの時のブロックがさー。と弁当片手に盛り上がっていると、廊下からこちらを覗いた顔が「あっ」と声を出した。


「やっと見つけた。こんなとこにいた」
「うん?どうした?」

返事をした黒尾からもう一度その子に目を向ける。二組の子なんだろう。弁当をつつきながら二人の会話に耳を傾ける。

「さっき聞いたんだけど、代わりにノート持ってってくれたんだってね。ありがとう」
「いーえ。ってかもしかしてわざわざそれ言うために探してくれた?」
「うん」

マジかよ、と驚いたのが顔に出てしまった気がする。そんな全然大したことない雑用のお礼を言うためにクラスメイトを探し回ったっていうのか。
「そんなん後でいいのに」と黒尾が言うのには心の中で頷いた。貴重な休み時間を割くなんて勿体無い。ましてや相手はこいつなわけだし。

「お礼ってすぐしないとなんか気持ち悪くってさ」
「はーん、なんだよいい子ちゃんかよ〜」
「いや〜その通りなんですよ〜」

彼女はへらっと笑うと、持っていた巾着から個包装のチョコレートを一つ取り出して黒尾に手渡していた。マメな子なんだなあとその様子を眺めていると目が合った。
もう一度巾着をあさった手が今度はこっちにまで伸びてきたもんだから、思わずドキッとしてしまった。

「よかったらいる?」
「あ、あー、ありがとう」

そんなに物欲しそうな目をしてたか?
吃ってしまったせいか少し熱を感じる顔を俯かせて、ありがたくそれを受け取った。視界の端では海にも同じようにチョコレートを渡しながら黒尾と言葉を交わす姿がある。
気がつけば、ヒラヒラと手を振った彼女が教室から出て行くまでをしっかりと目で追っていた。


「感じのいい子だったな」
「な。隣の席なんだけど楽しい奴だよ。面白いし」

ふうん、見たまんまの子なんだなあ。
雰囲気がなんというかふわっとして、ゆるい感じ。
手の中に残る可愛らしい包みの、いかにも女子が好きそうなそれを眺める。
妙な視線を感じて顔を上げると、やけににんまりとした二人がいて思わず体を強ばらせた。

「なんだよ」

わざとらしく顔を見合せた海と黒尾が「別にぃ?」と弁当を食べ始めた。
言いたいことがあるんならはっきり言えばいいのに。
二人はいつまでもニヤニヤ(海はどちらかと言えばニコニコ)するばかりで、仕方なく俺も残りのおかずを口に放った。





あ、と目が止まる。
部活帰りにバレー部でコンビニに立ち寄って、ふらりと覗いてみた棚に並んでいた小さな箱。見覚えのある包み紙のデザイン。
いくつかしか入っていなさそうなそれを、あの子はこの間わざわざ俺にも分けてくれた。

あの日のチョコレートはどうももったいなくて、家に帰ってから一人で食べた。
いつもなら噛み砕くような小さなそれをゆっくりと口の中で溶かした。チョコとは違う丸いものが舌に残って、そっと奥歯で噛んでみるとそれがキャラメルだとわかった。

なんてことないその甘さに、何故だかやたらとドキドキした。


「珍しいですね夜久さん!今日は甘いのッスか?」
「っ、お、おー」

慌てて商品を棚に戻す俺を見て、山本が「あれ?やめるんすか?」と聞いてくる。
「やっぱおにぎりにすっかなー」なんて、さりげなさを装って売り場を離れる俺の心臓はまるで、悪事がバレたみたいに騒いでいる。何をこんなに動揺してるんだか。山本はそんなことには全く気づいていないようでこっそりと息を吐き出した。



二組とは体育も移動教室も一緒にならないし、今までほとんど接点がなかった。
もちろんそれは今でも変わらないはずなのに、不思議なことに俺はあれから何度もあの子を見かけている。

教室にいても廊下を歩いてても購買でと、ふと気がつくとあの子の声がする。
なんかみょうじさんてどこにでもいるよなー。何の気なしに言ったそんな台詞が、朝練を終えて着替えの最中だった黒尾と海の動きを止めた。

「……なんだって?」
「何?」
「いやそれ、ど、どういう意味で言ってんの?」

意味も何も、そのままだけど。やけに上ずった声の黒尾が「それはもうアイツがどうこうとかじゃなくて……」と続けるのを海がやんわり止めている。
「こういうのは周りがとやかく言うことじゃないよ」って、何の話だ。

「ちなみに俺は全然見かけてないな、みょうじさん」
「え、そうなの?一回ぐるっと見渡してみ?いるよ?」
「その言い方だとまるで妖怪──」
「そうは言ってねえよ」

そういうさ、不気味、みたいなんじゃなくて。視界に入れたらなんか、じわーっていうか。あー今日も今日とて変わらず今日だわ、みたいな感じ。わかんねえかなあ。





昼休み。弁当を置きに五組に顔を出してから飲み物を買いに購買へと向かう。
すでにそこはたくさんの生徒がいて、げんなりしながらもなんとなくできている列の後ろに並んだ。
少し首を動かせば、な?ほらみろ。頭の中の二人にそう言ってやる。

あの子は少し離れたところから列を眺めていた。
友だちを待っていたようで合流するなりニコッと笑って玄関の方へ歩いていく。普段から外で食べてんのかな。天気も良いし気持ちいいだろうな。

「何にする?」

購買のおばちゃんに話しかけられて我に返った。
慌てて指さした商品を受け取って小銭を手渡した。
四階まで階段を上がって五組のいつもの席に座ると、黒尾が「おかえりー」と間延びした声で俺を向かえた。そして「あれ?」と首を傾げた。

「ずいぶん珍しいの買ってきたじゃん」

手に持っていた青いパッケージのそれはさっきあの子が抱えていたのと同じもの。
今まで一度たりとも選択肢にあがったことのなかったパックのミルクティー。

パックの。ミルクティー。


待て。待って。いくら何でも、っていうか無意識なのが尚更キツい。
そういう気分だったんだよ、とかなんとか適当に返して椅子に座った。弁当箱を開けてとりあえずウィンナーを口に入れたところでなんっの味もしない。そんでもって顔から火が出そうなほど熱い。

とは言え。とは言えだ。飲まないってのも勿体ない。
ストローを取り出してパックに差し込んだ。異様なほど緊張しながらも吸い込めば、口いっぱいに広がる甘さ。めちゃくちゃ甘い。弁当には合わないだろ全然、とかなんとか恨めしく脳内のあの子に言ってやる。

浮かんでくるのは友だちに見せていたような楽しそうな笑い顔。
ごきゅ、と喉から変な音がした。





(……あ)

ミルクティー事件から数日。
朝練を終えて教室へ向かう途中だった。階段の窓から見えたのは自転車置き場から慌ただしく走るあの子の姿。
あの慌てっぷりは寝坊かな。急げばギリギリ間に合いそうだけど四階までダッシュってのもなかなかにしんどい。
女子の体力的にも厳しいんじゃないだろうか。チラッと見えたあの子はもうすでに満身創痍っぽかった。

まあ人間誰しもそういう日くらいある。
ホームルームに間に合わなかったくらいで人生終わったりはしない。大丈夫大丈夫。
そう思うのに、急いで階段を下りては荷物を代わりに持ってやろうとする自分を想像して苦笑いがこぼれた。

「夜久?どったの?」

俺を真似して外を覗く黒尾に「なんでも」と首を振って、馬鹿みたいな考えを追い払う。
そもそも行ってどうすんだよ。誰ですかって話だろ。
冷静に考えてみればわかる。あっちは俺の事なんて認識しちゃいないだろうに。

……自分の言葉に思いの外、抉られている自分がいる。


みょうじさん。下の名前はなまえさん。

別に調べたりとかそういうんじゃない。周りの子がそう呼ぶのを聞いた。チョコレートが好きで、ミルクティーも好き。まじめで優しい。知ってるのはそれくらい。話したのも一度きり。
そう、たったそんだけなのに何を知った気になってんだか。

『一回ぐるっと見渡してみ?いるよ?』

数日前の自分に文句を言ってやりたいような気分になっている。結局放課後を迎えてもその日はどこからも声は聞こえてきやしなかった。
せめてもう少し仲が良ければ二組を覗いて『今朝大丈夫だった?』なんてことも気軽に話せたかもしれないのに。

……え、俺、話したいの?
話してどうすんだよと思いつつも、ミルクティーの文句を伝えてやりたいような気もしている。
あの子はどんな反応をしてくれるだろう。
もうここんとこずっと、あの子の事ばっかりだ。


(お、あったあった)

机の横に掛けっぱなしにしてあった弁当袋を手に取った。前に一度忘れて帰ったら母さんにすげーどやされたのをよく覚えている。過ちを繰り返してはならない。
正門で待つ黒尾と海の元へ急いで向かおうとした時だった。

二組の前を通り過ぎようとした瞬間、反射的に壁に背中を貼りつけていた。
ポツンとあったあの後ろ姿は絶対、間違いない。
何で隠れたのかは自分でもさっぱりだった。大騒ぎの心臓を落ち着かせつつもう一度中を覗いてみる。

ペンを持ちながら机に向かっているけど一向に進む気配はなさそうだ。そして何やら唸り声まで聞こえてきて、見るからに困っている。
声、かけたらキモいかな。そんな考えがほんの一瞬過ぎったものの、気づいたら口を開いていた。
このまま見なかったフリをするって選択肢はどこにも無かった。


「何してんの?居残り?」

平静を装って近づくと驚いた顔がこちらを向く。
目が合った途端、心臓が信じられないくらい大きく騒ぎ出す。あの子の顔が一気に歪んだ。

「ねえっ、数学得意だったりしない?」

……すうがく。
瞬きをしてから「まあ人並みには」なんて曖昧に答えると、彼女は更に表情を崩した。

「ちょっとだけ助けてもらえないかな!?」

一応辺りを見回してから、手招きされるがまま教室に足を踏み入れる。
手元を覗くと数学のプリントが置かれていた。よく見れば中学数学のまとめ≠ニ題されたそれは空欄が目立っている。

「苦手なんだ?」
「そうなの。ねえ、手助けついでに少し話聞いてくれたりする?あ、部活行かなきゃだったり?」
「いや部活は休みだけど……なんか深刻な話?」

それは俺が聞いても大丈夫なやつか?とゴクリ、唾を飲み込む。
険しい顔をした彼女の口から紡がれたのは怒濤の一日のあらすじだった。

「……宿題の存在を忘れてたの」
「う、うん」
「夜中に急に思い出して飛び起きてね、やったの。全っ然意味わかんなくて、それでもどうにか机に向かってたはずなのに気づいたら朝んなってて。しかもスマホの充電切れててアラームも鳴らなくて」
「うわ……」


気の毒なほどについてない日だったようだ。

慌てて朝ごはんをかきこんで家を出て、自転車を飛ばしていたら窪みにハマってそのまま転倒。(スカートを捲ってご丁寧に大きな絆創膏を見せてくれた。痛々しいのはそうだけど、それ以上に突然の生脚に変な声が出そうになった。)
ギリギリ学校に着いたものの階段で反対の膝を強打。(大きな青あざも見せてくれた。これは酷い。)

ホームルームにはあと一歩のところで間に合わずクラスメイトに笑われ、いざ数学の時間を迎えるも肝心のプリントが見当たらず、その日指名された問題さえも答えられなかった彼女には呆れた教科担任からこれを与えられ、今に至ると。


「……なんか長編映画でも見た気分なんだけど」
「この物語はノンフィクションです」
「いつもこうなの?」
「いつもこうなわけないよね??」

多分今日が人生最大の厄日……と肩を落とす彼女には悪いけど、こちらはジワジワと笑いが込み上げてきて思わず吹き出してしまった。

「ごめんっ、ちょっと我慢できなかった」
「いいよいいよ笑ってやって。多分これが私史上最大の持ちネタになる予定だから」
「あとここ公式間違ってる」
「えっ」
「こっちと同じだよ。これは合ってるじゃん。できるできる」

えっえっ、と言われるがままに直していく様子がロボットみたいでまた笑ってしまう。

「こういうこと?」
「違うね」
「えっ」
「ははっ。あーっとごめん。ちょっと待ってて」

大事なことを忘れていた。鞄から携帯を取り出して、宛先のところに今も玄関で待ってるであろう二人分の名前を選ぶ。
『悪い、先帰ってて』と送信。返事はすぐに来て『なんかあったん?』とメッセージが表示された。

「もしかして誰か待たせてたりする?」
「あーいいよ黒尾だから」
「……ごめんなんか、引き止めちゃって」

急にしおらしくなるもんだからびっくりした。
そもそも声かけたのはこっちの方だし、寧ろ居たくて居るわけだし何も気にすることないのに。

「人類誰でも友だち〜みたいな感じかと思えば案外気にしいなとこあるよね」
「ええ?そう?」
「そーそー。こっちだってさすがに人生最大の厄日迎えてる人放って帰れないって。ほら続きやろ」

黒尾に短く返事を送る。ちょっと、勉強、教えてから、帰る、っと。またすぐに携帯が光ってメールを開く。てっきり了解≠ンたいな内容かと思ってたら『もしや数学???』と書かれていた。何でわかったんだ?
とりあえず返信は後回しにして携帯をポケットにしまった。

「どこからだっけ、あ、公式間違いか」
「もう一回解き直してみたんだけど合ってる?」
「おっ、合ってる合ってる!これができれば次とかもう楽勝じゃん、ほら、これもさ」

数式を指差しても反応がない。顔を上げると、じーっと見つめられていることに気がついた。何かついてんのかな。ドギマギしているところにぽつりと言葉が降ってくる。

「…………夜久くんて優しいんだねえ」


不意打ちだった。

きゅ、と胸の当たりが苦しくなる。優しい痛みと真っ直ぐな眼差しに困惑している。

女子に、しかも面と向かってそんな風に言われた経験なんてなくて、気恥しさに襲われながらも「名前言ったっけ?」と返していた。認識されていて嬉しいのはわかるけど、もっとマシな返事は無かったのかとすぐに後悔した。

「言われてないけどわかるよ。いつも黒尾と一緒にいるじゃん」
「そ、そっか」
「うん。あ、私はね」
「知ってる。みょうじさんでしょ?」

負けじと食い気味に言ってしまった。きょとんと丸くなった目が柔らかく細められて、「はい、あたりー」と呑気な声が返ってくる。心臓を一捻りされたかと思った。


ずっと見てきた。いつ見ても笑ってて、見慣れたはずのその顔が今、自分に向けられている。
それだけ。ただ、それだけ。

「夜久くん?」
「……夜久でいいよ」
「じゃあ私もみょうじで」
「うん。じゃあ、みょうじ」
「ふふふ。何でしょう」
「とりあえず問題解こうな」
「よろこんでえ……っ!」

……こんなのもう、自覚しないって方が無理だろ。

「え、何で笑ってるの?」

多分、君がチョコレートをくれたあの時から。
違うか。初めて目が合った時、いや、君が初めて視界に飛び込んできたその時からきっと、ずっと。


「……間違えてる」
「えっ」


俺の世界は全部、君で。


end.

『夜久が恋に落ちたきっかけ』でした。

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