いやいや、ないない!

「名字さん、おはようございます!す……すきですっ!」


持っていた上履きがころりと転がる。
部活の練習着を着た五色工が待ち構えていたかのように行く手を遮り、とんでもないことを言い放った。

同じように登校してきたばかりの同級生たちがジロリジロリ、と無遠慮な視線を送りながら通り過ぎて行く。今日も今日とて最悪である。


この気持ちが一時的じゃないということを証明してみせる、とかなんとか、声を大にして言っていたのが昨日のこと。
なるほど、と納得しながら転がった上履きに足を通す。
これから彼はきっとこうやって、時間をかけて証明≠キるつもりなんだろう。はあ。参った。

少し間を置いてから五色工を見つめると、緊張した面持ちの彼がより体を強ばらせたのがわかった。



「だめです」
「ええっ!?!」

「っぶふ!」


すぐ隣から吹き出すのが聞こえてつられて見やれば、クラスメイトが口を覆いながら「ごめん、ほんと、ごめんなさい」と謝罪を繰り返しながら足早に去っていった。


「だ、だめって、何がだめなんですか!」
「こうやって毎回毎回好きって言いに来るつもりなんでしょう。迷惑」
「迷惑……!!」


雷に打たれたような顔をしてよろけた五色工が頭を抱えている。
こんな所で足止めをくらってはホームルームに間に合わなくなってしまう。悪いけどもう行くから、と断りを入れて彼の横を通り過ぎた直後、さっさと置いていってしまえばいいのにふと足を止めてしまった。


「ねえ」

振り向けばなぜか少し嬉しそうな五色工。



「私のことよく知りもしないのに、どうして好きだって言えるの?」

「えっ?」
「私のどこを好きなの?」

キョトンとした顔が段々難しいものになって、しまいには顎に手まで添えられてしまった。
それ見たことか、と肩を竦める。やっぱり私を好きだと思い込んでいるだけなんだ。

「まあ、別にどうだっていいけれど」


別に答えが欲しかったわけじゃない。いい加減時間も時間だし、ここらでさっさと失礼してしまおうと思った、の、だけど。

パシッと腕を掴まれてもう一度振り向かされた。
私よりもずっと背の高い五色工に、すぐそばで見下ろされる。


「気づいたら俺、あの日からずっと名字さんのことばかり考えてるんです」
「……は」
「頭の中が名字さんのことでいっぱいなんです。ここもめちゃくちゃドキドキしてるし」

ここ、と五色工は胸の辺りをぎゅうと掴んだ。



「こうなるのは、俺が、名字さんのことを好きだからですよね?」



呼吸の仕方がわからなくなって変な息が漏れた。

五色工にただ、見つめられているだけなのに、何かに圧迫されたように胸が苦しくなって、思わず目を伏せる。


「し……知りません」
「ええっ!」

「それじゃ」

彼の手からするりと抜け出して無我夢中で階段を駆け上った。
教室に飛び込んだところでホームルームの開始を告げるチャイムが鳴った。担任の先生が物珍しいものを見るように「セ、セーフ」と両手を伸ばした。

自分の席につき息を吐いても心臓が落ち着く様子はない。


何だ、あの男は。
対象の人物のことばかりを考えてしまうのが恋?
だからそれはキスをしてしまったからでしょう?

どこが好きなのかすらも答えられないというのに、好き?


こんなにも狼狽えてしまうのは、先ほど見上げた五色工の顔が、目が、真剣そのものなことに気がついてしまったからだ。
掴まれた手から鼓動が伝わってくるような錯覚に陥って、むず痒くて、居ても立ってもいられなくなった。

アレごときに取り乱すなんて自分が信じられない。
静かに息を吐いて平常心を取り戻そうとする私の隣で、躊躇いがちな声がする。


「名字さん大丈夫?顔真っ赤だよ?」
「はっ!?」


私の声は教室中に響き、クラスメイトからは信じられないものを見る目を向けられた。
調子が悪いのかと先生に心配され、大丈夫だと返しながら更に熱が集まってくるのを自覚する。

「あの鉄仮面が」「まさか」「人間だったんだ」
どこからともなく聞こえてくる囁きなんて気にもならなかった。

ドクドクとやかましい心臓を気にしないようにすることで今はもう、手一杯だ。

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