見つけた正解

もしもまた顔を合わせた時に好きです≠ネんて言われたら、一体どう返すのが正解なのだろう。
ワイシャツに腕を通しながらぼんやりとそう思った。ボタンを一つ一つ閉めて、首に指定のリボンを通す。
私も言うべきなのか。好きだと。そうしたら彼が言うところのオツキアイが始まるのだろうか。

体育でせっかく温まった体は真冬の更衣室の前では無力だ。この時期の着替えって地獄だよね、と小野田さんたちが話すのが聞こえる。私もその通りだと思った。
暖房のついていない昼休みの体育館で先日、シャツの袖を綺麗に捲った五色工が全然寒そうじゃなかったことを思い出した。口いっぱいに焼きそばパンを頬張る姿も浮かんだ。同じ気持ちになって、と、切羽詰まったような声も。

……油断したらすぐこれだ。本当にずっと、ずっと彼のことを考えてしまっている。

ふとクラスメイトに目を向けた。ブレザーまでしっかり着替え終えた小野田さんが気がついて、「どうかした?」と声をかけてくれたので、少し迷ってから言葉を紡ぐ。

「小野田さん、恋したことある?」

「名字さんが恋バナ!?」と、すごい形相で振り向いたのは尾上さんだった。他の人たちからの視線も飛んできた。もしかしてあの子のこと?ついに?ついに好きになっちゃった??なんて興味津々だ。私は他の人の恋愛事情が聞きたかったのに。


「好き、なんだと思う」

多分、と付け加えたのは数人の歓声で掻き消された。
いつから?決め手は?どこが好きなの?と矢継ぎ早に質問されてしまい、目が回りながらも一つ一つ返していく。いつからからは自分でもよくわからなくて、決め手、と言われても思い当たることはない。どこが好き?には首を傾げてしまった。

「ちょっと、ほんとに好きなんだよね?」と呆れ気味な尾上さんに、私は更にクエスチョンマークを並べてしまう。
フォローを入れてくれたのは小野田さんだ。

「でも、言葉にできなくてもなんか、相手を良いなあって思うこともあるよ」
「そりゃそうか。しかもあれだけ付き纏われりゃ嫌でも意識しちゃうしね」
「ドストレートだよねあの子。私もちょっとはあんな風に言われてみたいかも」
「だめです」
「ぶっ!ねえちょっと勘弁して」

どうやら最近流行っているらしいそのワードに、いつの間にか輪に混ざっていたクラスメイトたちがお腹を抱えて笑っている。
ご丁寧にみんな目を細めて渋い顔をしながら言ってくれる。私って普段からそうなんだろうか?とトイレの鏡を凝視したこともあるけど自分ではよくわからなかった。

ハッと何かを思い出したように笑みを消したクラスメイトが、「次の授業資料運ぶの手伝えって言われてんの忘れてた!」と慌てて更衣室を出ていった。尾上さんともう一人が追うのを見送った。

そんなわけで私は小野田さんと廊下を歩いている。すっかり熱が逃げてしまった体を擦りながら、小野田さんが「次も移動だよね」と少し面倒くさそうだ。
移動が重なるとトイレも水分補給もままならないから嫌なんだ、と言うのに同意した。しかも一度階段を上って教室へ戻ったあと、授業道具を持ってまた一階の社会科教室まで下りてこなくちゃいけない。

「次またこういうことあったら教科書とか持ってきちゃおうかな」
「いいと思う。次は私もそうする」

沈黙の中、一度ちらりと私を見た小野田さんが「さっきは言いそびれちゃったんだけど」と内緒話をするように声をひそめた。


「私も、恋してる……と思う」

聞いたのは私の方なのに「えっ」と驚いた声を出してしまった。
多分、と言い足して照れくさそうに笑ってから、ぽつりぽつりと話してくれた。

小野田さんは美術部で、相手は卒業を控えた同じ部の先輩だという。
落ち着いていて優しくて、たった一つの歳の差なのにうんと年上の人みたいで、それなのに笑った顔が子どもみたいで可愛い。そんなところがいいなあ、と、思っている。誰にも言ったことがないから内緒にしてねとお願いされ、コクコク頷いた。友人と秘密を共有するのは初めてでやけにドキドキした。

赤い顔で「私の話はこれで終わり!」と手を叩いた小野田さんが「次は名字さんの話も聞かせて?」と頼んできた。の、だけど。一旦開いた口を閉ざしてしまった。

いつから、決め手は、どこが好きか。さっきの問いかけがいつまでも頭の中をぐるぐると回っていて、『ほんとに好きなんだよね?』と尾上さんの声がするとピタリと動くのをやめてしまう。
考え込む私を見兼ねて、「この間のお昼休みお弁当持ってどこか行っちゃったよね」と話題を振ってくれた。

「あの子と食べてたのかなって。違う?」

私はあの日の体育館での出来事を話した。
他愛のない会話や、貸してくれたブレザーのこと。さすがにあの階段での事は伏せたけれど、あんなに人と話すのは久しぶりだったし、自分があんなにお喋りなことも知らなかった。とても楽しい時間だった。

教室へ入って、机の中から教科書類を取り出していると、終始うんうんと楽しそうに聞いてくれていた小野田さんが「本当に好きなんだねえ」と吐息混じりに笑った。


……好き、なんだろうか。ほんとうに。
頭の中で聞こえた声に思わず足が止まった。

「どうしたの?」ときょとんとしている彼女に何でもない、と首を振って今来た道を二人で戻る。


本当って何だろう。私は本当に′ワ色工が好きなのだろうか。彼が言うところの同じ気持ちにはなれているのだろうか。
彼の思いの強さに、見合っているのだろうか。


「あっ、名字さん良いところに」

踊り場で図書委員長に声をかけられた。
「悪いんだけどさ」という前置きの後、その口から発されたタイムリーな人物の名前にどきりと胸が音を立てる。

「一年の五色くんに返却期限過ぎてること伝えてもらえる?なるべく今日中に返してもらえると助かる」

彼のクラスや同じ学年の図書委員に頼んだ方が早いのにどうして。そんな不満混じりの疑問が言わずとも委員長には伝わったみたいだ。「いつも一緒にいるから名字さんに言った方が早いかと思ったんだけど?」と当たり前のように言われてしまった。
どうやら急いでいるらしい。私の返事も待たず、「じゃあお願い」と階段を上がっていくのを小野田さんが静かに見つめている。私の視線に気がつくと苦笑いを浮かべた。


「……今日はまだ来ないね」


正しくは今日も≠セ。





鐘の音を聞きながらシャープペンや消しゴムをしまう。
考え事をしていたら授業なんて一瞬のうちに終わっていた。しっかり書き込んだノートに目を落として、帰ったらしっかり復習しなくてはと思いつつパタンと閉じた。

一旦自分の教室に戻ってから授業道具をしまう。小野田さんからエールをもらい、私は数日姿を見せていない五色工の教室へと向かった。

ただ伝言を頼まれただけだ。それを伝えるだけ。
だから何も身構える必要はないし、どんな顔をして会ったらいいのかを真剣に悩まなくたっていい。わかってはいる。いる、けど。
目的地に近づくにつれ足取りが重くなる。どうしてこんな気まずさを感じているのかは自分でも理解できなかった。

とうとう着いてしまった教室の前で短く息を吐いた。
中を覗き込んでみると生徒がたくさんいるのに肝心の彼が見当たらない。飲み物を買いに行っているのか、お手洗いにでも行っているのだろうか。
上級生が外にいる事に気づく人がちらほらと出だしたので、また後で出直すことにした。戻りながらふと、クラスメイトに要件を伝えてもらえばそれで済む話じゃないか?と気づいてげんなりした。まさか、こんな事にまで考えが及ばないなんて。

自分に呆れつつもう一度彼のクラスまで向かう途中、後方からの大きな声が私の足を引き止めた。


「名字さんじゃん!」

そう言った男子生徒が、その隣でダンボールを抱えている五色工の肩をバシバシと叩いている。
ほんの数日顔を合わせていないだけなのに随分と会っていなかったような気分だった。五色工は目を丸くして固まっていたが、再度叩かれ我に返ったらしい。「ど、どうして」と少し吃る彼の顔がほんのりと色付いている。

「すんませんこいつ、授業中上の空だからって最近先生に目付けられて!」
「!おいっ」
「雑用頼まれたりとかで全然名字さんのとこ行けてなくて、でも決して気持ちが離れたとかそういうわけでは──」
「うるさいっ、ていうかお前が喋らなくていい!」

五色工は友人の腕の辺りにしっかり肘打ちをしてから駆け寄ってきて、「すみません」とこぼした。そして今度は少し控えめに「会いに来てくれたんですか?」と私を見つめる。
純粋でまっすぐで、嬉しそうなその瞳になぜか狼狽えてしまった。

私の事が好きなんだとひと目でわかる、優しさを帯びた眼差しだった。
こんな人に、恋してる感覚になってるだけなんじゃないか、だなんてよく言えたものだ。私なんかが本物≠ノ。


──『ほんとに好きなんだよね?』

その時やっと、腑に落ちた。
ストンとあるべき場所に戻ったように。

正解を、導き出したように。



「やめなよもう私なんか」


五色工が私を見つめたまま微動だにしなくなった。
「え?」と小さくこぼして曖昧な笑みを浮かべている。

良い子だと思う。本当に。だから思ってしまうのだ。

この子は私じゃ、もったいない。



「もっといい人がいるよ。私なんかじゃなくて」


初めての事ばかりだった。
初めてにそわそわと、ドキドキとしてしまう私だ。

もしも五色工が私を一番の友人だと言ってくれていたら、私だってそう思っていたかもしれない。
告白も、二人だけでした談笑も、ただ偶然相手がこの子だったから。偶然私を好きになったこの子だから、私もこの感情がそう≠ネんじゃないかと思い込んでいるだけだ。

そんな私とは違って、きちんと同じ気持ちになってくれる人。
本当に好きになってくれる人がきっと現れるはず。

そんな人を思って、そんな人に思われるべきだ。


返事、は元々貰うようなものでもないし待つつもりもない。踵を返して自分の教室へと向かった。
これで良かった。これが正しい判断だと心から思うのに、苦しく感じてしまうことについては考えないようにする。
大丈夫。だってこれは、一時的なものだろうから。

それなのに。

五色工はやっぱり私の手をとった。
手をとって、力強く私を見つめていた。



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