キミしか見えない

それはそれはもう、散々だった。
周りからの盛大な歓声と拍手を浴びながら微笑み合う私たちの後ろで、まるで地獄の閻魔様のような低音を響かせたのは二年の学年主任だった。
他学年エリアで何をしているんだとまず私に雷を落とし、そろそろ始まるんだからさっさと中に入れと周囲の生徒たちにも追撃。そして私の手を握る五色工に気がつくと顔色を変えた。

よりによって口うるさいのに捕まってしまった。
「授業が終わったら職員室に来なさい」と人生初の呼び出しをくらってトボトボと自分の教室に戻る途中に本鈴が鳴り、死に物狂いで駆け出したものの間に合わず。しかもよりによって次の授業が政経で、「俺の授業に遅れるとは一体どういう了見だぁ?」とヤクザのような台詞を浴びて頭が真っ白になった。

授業終わりには手招きされ、「いくら成績がいいからって」等と小言を言われてしまったし、急いで職員室に向かえば生徒指導の教師には「廊下を走るな」と注意され、学年主任には、もうすでに到着し情けない顔をしていた五色工の前で「遅い!」と吐き捨てられた。

高校生たるもの、とかなんとか説教を受けたが、色々な事がいっぺんに起こりすぎて結局その『たるもの』の部分しか頭に入ってこず、何でこんなに叱られているんだっけ……とぼんやり思う。突然降ってきた「おい聞いているのか?」に我に返れば、「すみません!!」と隣から大きな返事が聞こえたので、背中をポンポンと叩いてあげたい気分だった。

職員室を出ると壁の向こうから覗く顔を数個見つけて、五色工が小さく「げっ」とこぼした。クラスメイトのようだ。
そして、「五色!婚約おめでとう!」と彼らが取り囲んでくるものだから私も彼も絶句した。
一つ下の世代では思いが通じ合うことを婚約と呼ぶのだろうか。それとも気持ちに応えるという事は必然的に婚約を受けるという事になるのか。よくよく考えれば一時的でないということは、一生添い遂げるという意味で、それ即ち、夫婦になるということ……?

「めおと……?」と困惑する私の横で「婚……約……??」と五色工が同じようにハテナを飛ばしている。

「一生かけて幸せにします!みたいな事言ってただろさっき!」
「いやぁなんか俺感動したわ。公開告白の度に恥ずかしさで死にかけてたお前が遂に報われる日が──」
「ばっ、おま!」

すぐに五色工が制止したけどそれはしっかりと耳に届いてしまっている。
恥ずかしさで死にかけてた、とは?何かの間違いかと思い隣を見上げる。
「わざわざそんなん言わなくていい!」とクラスメートに噛みついている彼の首筋が赤い。私はさっぱり理解できなくなっていた。

数えきれないほどだ。好きだの、会いに来なきゃ会えない、毎時間でも会いに来るだのとたくさんの好意を浴びてきた。人目なんて気にもせずに何度も何度も。
幾度となく頭を抱えてきた。理解不能な彼に悩まされてきた。それが何だって?恥ずかしさで?死にかけていた?


「あっれれ〜?」

別の声が降ってきて振り向いた。全然知らない人だ。
目が合ったままで、しかもその目力の強さに逸らせないでいると、出てきたのは五色工の名前だった。呼ばれた方はギクリと体を強ばらせている。

「婚約って聞こえたから誰センセーのニュースかと思って来てみればなぁんだ〜。工じゃ〜ん」
「て、天童さん。ちわっす!」

ガバッと姿勢良く頭を下げる彼の髪をワシャワシャと撫でながら、「遂にウサギちゃんに振り向いてもらえたんだ?よかったね〜がんばったね〜」とその人も嬉しそうだ。

「俺があげたアレちゃんと使うんだよ?」

その言葉に五色工がバッと顔を上げ、「使いませんよ!」と赤いんだか青いんだかよくわからない顔をしている。
「いや使いなよ!?」とバレー部の人が慌てたかと思えば「……え、待って婚約ってそういう事?責任?とるの?」と同じような顔色で両手で口元を覆った。すぐに「何言ってるんですか!?」と五色工の声が響いた。何の話かはさっぱりわからない。

それより何より私は、きっと私の事を指しているであろう『ウサギちゃん』というワードが気になって気になって仕方がなかった。
誰がどう見てたって似ても似つかない。どういうことか確認しようとすると、バレー部の人が「ウサギちゃん」と声をかけてきた。「はい」と当たり前のように返事をしてしまった自分が心底恥ずかしかった。

「キミ、工を選ぶなんてわかってるじゃん。見る目あるネ」
「は、はい。どうも」

褒めてきたのはそっちのくせに、「ぶっ!」と吹き出された。
少しだけ面白くない顔をする私がどうやら面白いらしい。にっこりと笑いながら「逃げないであげてね?」と言われたので、「逃がさないって決めてるらしいので」と素っ気なく返した。その人は何故かとても満足そうだった。

五色工とクラスメイトたちがそろそろ食堂に行くとのことで私も戻ることにした。彼らと別れ、歩き慣れた廊下を進みながら息をつく。変わらないはずの景色がいつもと全然違って見える。窓から見える空なんてやたらとキラキラしているし、飛んでる鳥が気持ち良さそうとかそんな事、今まで考えたこともなかった。

今なら私でも飛べそうだな、なんて意味のわからない事を考え始めた頭をぶんぶんと振っていると、ちょうどトイレから出てきた女子生徒の後ろ姿を見て一瞬で冷静になる。
委員長だ。そうだ、委員長に頼まれていた伝言ので≠フ字も何もかも、今の今まで忘れていた。

何で私はこう、どうしようもないんだ。戒めてやりたい気持ちをグッと堪えて道を戻る。そもそも本人がさっさと返却していればこんなことには……!と階段の手摺に手をかけたとき、「あっ」と声がした。


パンをいくつか抱えた五色工が私を見上げて、「やっぱり一緒に食べませんか?」と照れ笑いを浮かべている。

きゅ、と胸をしめつけられながら頷く私にはもう、委員長の後ろ姿なんか残っちゃいなかった。



←prev next→

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -