こたえあわせ

今にも吸い込まれるんじゃないかと思った。
濁りひとつない五色工の真っ直ぐな瞳には私だけが映っている。目なんて何度も見てきたはずなのに、思わず呼吸するのも忘れて見入っていた。
握られた手に力を込められてハッとする。咄嗟に腕を引こうとするも、簡単に引き寄せられてしまって更に距離が近づいた。

「もっといい人≠チて誰ですか」

静かに問いかけてくる彼の眉間にシワがいくつも寄せられていることに今、やっと気がついた。
笑ったり、落ち込んだり、縋ったり。五色工は今までたくさんの表情を見せてくれたけれど、思えばこんな顔を見るのは初めてのように思う。
誰、と言われても何て答えたらいいのかわからなかった。いつかきっと出会う誰か。ただ、私じゃない、どこかの誰かだ。


「俺が好きなのは名字さんです」

心の声が漏れているのかとドキリとしてしまう。
私じゃ勿体ないから、と口を開きかけてまた気づく。五色工の後ろ、いや、私たちの周りにいる生徒たちが皆足を止め、このやり取りをまじまじと眺めていた。
かあっと顔が熱くなるのが自分でもわかる。「離して」と引き剥がそうとした手もぎゅうっと握られたものだから狼狽えてしまった。

「いや、ねえちょっと」
「離しません」
「いやいや」
「逃がさないって決めてます」

何それ、を喉の奥に押し戻した。
五色工に力強く見つめられると絡め取られたみたいに目が逸らせなくなって、動けなくなって、途端に言葉が出てこなくなってしまう。

「……もっと、なんてどこにも」と彼が小さく呟くのが聞こえた。
私に言っているのかよくわからなかったけれど、「いつかきっと出会うよ」と返せばキッと睨まれ、またしても怯んでしまう。

「俺のことそういう風に見られないって話なら、はっきりそう言ってください」
「え?」
「どうしても好きになれないって言うんなら、タイプじゃないとか、ウザいとか論外だって、ちゃんと俺が納得できる理由で断ってください」
「っ別にそうは思って──」
「本当に嫌で、俺を諦めさせたかったら!そんな適当な言葉じゃなくてもうちょっと、悩んで、もっと、考えてください」


今度は大きな声に一瞬怯んだけれど、こればっかりは黙っていられなかった。
私はずっと考えていた。文字通りにずっと。五色工の事を。
ろくに知りもしない相手につきまとったり、人前で好きだと言ったり、恐ろしく理解できない危険人物だと思っていた。

思い起こせば私に好きだと告げる彼はいつも赤らんでいて、決して軽々しく思いを口にしている様子ではなかった。いつもしっかり挨拶をして、頭を下げて帰っていくような。休み時間の度にどこにいても探し当てるクセに、放課後は私の存在にも気づかずしっかりと部の練習に参加するような。直球で、突拍子もなくて、まじめで、一生懸命な人。勉強しかなかった私の毎日を、彩り豊かなものにしてくれた人。
そんな彼に何かを返したいと思うことはおかしい事だろうか。私が声をかけたり、会いに来たりするだけで嬉しそうに瞳を揺らす彼に。私も同じ¢蛯ォさで返したいと思うことは、そんなに、おかしな事だろうか。

私は知らない。誰かを好きになる気持ちを経験したことがないから。これがそうなんだって思っても、本当にそう≠ネんだろうか?って疑ってしまうし、自信が無い。

もし、違ったとしたら?胸が鳴る感覚も、落ち着きが無くなるのも、あなたを思う度に身体の温度が高くなる症状も全部私の勘違いで、一時的なものだとしたら。思われているから思ってしまう、あなたの経験とリンクさせて、私もそうなんじゃないかと思い込んでしまっているだけだとしたら。
いつまでたっても『同じ気持ちになって』と苦しめてしまうのだとしたら。

嫌なんかじゃない。そんな事、これっぽっちも思わない。
真っ直ぐに思ってくれているあなたに生半可な気持ちで返す事は、あまりにも自分勝手で、失礼な事だと思うから。
あなたがいつも私に与えてくれる思いの見返りが、私なんかのこの感情ぽっちでは割に合わないと思ってしまうから。

あなたが私に向けてくれている抱えきれないほどの好意と、同様の、もしくはそれ以上のものをあなた自身も与えられるべきだと、思うから。



はあっ、と息を吐いた。
心の内を言葉にする事はこんなに大変なのかと痛感している。心臓が早鐘を打っている。全部、伝えてしまった。
考えた。考えたよ。考えた結果がこれだよ。だから、あなたの事を本当に好きになってくれる人を思った方がいいんだよ。そう改めて彼を見上げた。

「……は」

耳まで赤くした五色工が目を丸くして固まっていて、思わず声が漏れてしまった。

「いや、なんでそんな赤いの……」
「え、いや、えっ……」

逃がさないって決めている、とかなんとか言っていた手は片方だけ離れていって、彼の口元を覆った。
きょろきょろと忙しない視線を追う。足を止めていた生徒たちと目が合うと申し訳なさそうに背中を丸めてパタパタと通り過ぎて行った。

握られた手にぎゅうっと力が込められる。私を見下ろす瞳にはさっきまでのような怒りの色は見えなくて、というよりも、それよりも全然、目が合わない。

「どこ見てるの?」
「っどこも見てません!」
「?私が話してるんだけど。こっち見なよ」

二の腕の辺りを掴んで向き直らせるとまた睨まれた。いや違う、睨むというよりこれは、階段で距離が縮まった時のあの、泣きそうで、縋るような──。


「俺も好きです。大好きです」

たくさん伝えられてきた好き≠ナはあるけれど、今回ばかりは過去最大級に意味がわからなくて固まってしまった。
俺も?もって言った?も≠チて、何だ??

「差があるの、当たり前です。俺の方が先に名字さんを好きになったんだから」
「は、はあ……」
「あの日からずっと、あなただけなんですから」

思わずどきりとしてしまったのが、五色工に筒抜けなような気がしてしまう。
俯いた拍子に髪の毛がぱらりと落ちてきて、そっと耳にかける。靴の先がこちらを向いている。大きくて、私のとは違う。
すらっと長いスラックス。私のよりずっと大きなブレザー。足元に掛けた時、ふわっと微かにいい香りがした。嗅ぎ間違いじゃないか本当は確かめてみたかった。意外と骨ばった手はいつの間にか、当たり前に私の手をとるようになった。腕は細いかと思っていたけど、捲った袖から見えたのは引き締まっていたし、うろ覚えな背中はガッシリとしていて逞しかった。と思う。
触れたであろうに触れた記憶のないそこは、男子のものでも柔らかいのだろうか。

視線が交わる。本当はその目に見つめられる度にひっそりと胸の音を鳴らせている事、彼は気づいているのだろうか。


「俺は、名字さんが何をそんなに難しく考えてるのかよく、わからないんですが」

未だ赤い顔のまま五色工が小さくこぼす。

「一時的だとかそうじゃないとか、そういうのって誰が判断できるんですか」
「だ、れが、って……」

答えが出せない。わからない。
そんな私を察したらしい五色工がそのまま続ける。

「わからないじゃないですか。本当とか勘違いとか、その時は誰も。名字さんだって俺の気持ち初めは勘違いだろって言ってましたし……けど、大事なのはそこじゃない、っていうか」
「…………」

「大事なのは今、自分が、どう思っているかじゃないでしょうか」

今、自分がどう思っているのか。
ゆっくり瞬きをして繰り返した。自分が、どう思っているか。


「勘違いだった事は後からわかったとしても、もしそれが実は名字さんの言う本物≠セった場合は?それにはいつ気づけるんですか?気づかれなかった本物はどうなるんですか?わからないうちに手放すの、もったいなくないですか?」
「……ずいぶん食い下がってくるね」

全てが正論に聞こえてしまい、妙な敗北感に肩を落としながらじとりと見上げると、五色工は「当たり前です」とシワを寄せた。


「だって名字さん、俺のことが好きって言ってるのに、このまま諦めるの……嫌です」


目、を、落っことしてしまうかと思った。
それくらい本当に、本当に、耳を疑った。


「言ってない言ってない。私は諦めてほしいって──」
「自信無くてもいいです、俺が持たせます!」
「何が!?」
「俺と一緒にいるの嫌ですか?」
「なんでそういう話になるの!?」

くん、と優しく手が引かれて口を噤んだ。
「嫌ですか?」と繰り返されてしまえば、悔しいけど首を横に振るしかなくて。

「どこにいるのかも、本当にいるのかさえわからないいい人≠ネんかのために、名字さんを諦められるわけないです。名字さんは全然わかってないみたいなので何度でも言いますけど、俺はあなたが好きです。あなたの事が、好きなんです」



 ──ドアを無理やりにこじ開けて、そのままズカズカと入ってきてしまうような、そんな人だ。



「本物とか勘違いとか、わかんなくていいです。そんなのどうでもいいです。よくわかんないですけど、恋に正解も何もないと思うし、みんな違ってみんないい、みたいな、なんていうか……えっと」



当然、と言わんばかりにそこに居て、当たり前に熱を置いていく。
勝手に掻き乱して、ぐちゃぐちゃにして、私の気持ちなんて二の次で。周りの目なんて、お構いなしで。



「名字さんが自分の気持ちに自信が無いのなら、どうしても勘違いじゃないか気にしてしまうなら、これから確かめていきませんか。一時的なものかどうか、ゆっくり、二人で」



なのにどうして私は。




「それで俺は本当にあなたが好きだって事、一生かけて、証明していきます」



私は、居座るあなたを、追い出せないんだろう。





力強い眼差しに圧倒されて、ふは、と息がこぼれた。

「一生って、何それ」

一生一緒にいるの?と笑ってやる。ずいぶんと立派な台詞だった。でも、そんな未来を簡単に想像できてしまうような、胸の痺れる台詞だった。


「……参りました」

へ、と情けない声が降ってくる。
戸惑う五色工を見上げて「もう降参です」と肩を竦めた。

「それは、俺の気持ちが一時的なものではないという……?」
「そんなのはもうわかりきったことでしょ?」

いよいよ訳がわからないって様子で助けを求める視線を向けられ、笑ってしまう。
冷静になってみればすぐにわかるような問題だった。問題だけど、テストみたいに何か一つの正しい答えがあるわけじゃなくて。全部正しくて、全部ちゃんと、恋なんだ。

「もう逃がしてくれないみたいだし。多分もう、逃げられないだろうし」

この胸の温かさが勘違いなわけない。一時的でもなんでもいい。勘違いな訳がない。
ただ一つ、たった一つ、この気持ちがあればいい。


「私も、あなたの事が好きだよ」


呼吸も瞬きの仕方も、何もかも忘れていそうな五色工が静かに私を見下ろしている。
きゅう、と握られた手に力がこもる。指先を握り返せば、これ以上の幸せなんてどこ探したってない≠チてくらいのくしゃくしゃな笑顔が私を待っていた。


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