熱をひとつ、置いてかれた

私が知っている、五色工。

男子バレーボール部に所属する一年。
口と口がぶつかってから行く先々に現れるようになる。
ずっと尻尾を振り続けている大型犬。

放課後は真面目に部活動に勤しんでいて、男子バレー部唯一の一年レギュラー。
期待の星、らしい。(主観が入っているような気もする)
牛島先輩を越えるエースになるのが当面の目標。

私の事を好きな、まじめで、真っ直ぐな男の子。


「寒くないですか?」
「寒いよ普通に」
「す、すみません」
「でもこれ貸してくれてるから、平気」

私の膝にかかっている大きなブレザーを目で指せば、彼の顔が柔らかいものになる。
こんな顔をするなんて知らなかった。スタメンなことも。彼にとって牛島先輩がライバルなことも。とても、バレーが好きだということも。
こんな風に誰かと話をしたことなんて、今までにともちゃん以外にないんじゃないかと思う。
誰かとお昼ご飯を食べることもほとんど初めてに等しかった。
どうやら私は、純粋に、この時間を楽しく思っているらしい。

「そっちこそ寒くないの?腕まくったままだけど」
「俺は全然気になりません!」
「さすが。若さかなぁ」
「一歳しか違わないのに」
「お昼焼きそばパンだけで足りるの?」
「カレーパンもありますよ!」

口を尖らせたと思えば、袋を掲げて笑ったり。
コロコロ表情が変わって、忙しなくて、大きな子どもを見ているようで笑ってしまいそうになる。

「りんご食べていいよ」
「っ、ありがとうございます!」

他愛のない話をしながら食べるお弁当はいつもと同じ味なのは勿論わかっているけれど、美味しかった。
会話が弾むと心も弾むものなのか。知らなかったなあ。
おかずをつつきながらそんなことを考えて、ふとこぼした。


「おみくじのさ、待ち人ってあるじゃない」

パンを口に含んだままの五色工から「ふぁい」と返される。

「あれ、自分の人生に大きな影響を与える人≠フことだって知ってた?」
「えっ?良い人と出会えるとか、付き合えるとかじゃなく」
「そう思うよね。私も今までどうせ恋愛絡みの項目でしょ、ってろくに見てこなかったんだけど、今となっては神様の言う通りだったんだなって」

大きな口で頬張りながら私の言葉を待つ彼に続けた。

「待ち人来る、驚くことあり≠チて今年のおみくじに書いてあって。実際あなたと出会ってから毎日驚かされてばっかりだし、あなたが最初に運命って言ってたのもあながち間違いじゃなかったんだなって、今は思うよ」

あ、今日の玉子焼きお砂糖多めにしてくれてる。
焼き目も綺麗だ。母親の力作をしっかり味わっていると、五色工がぽつりと呟いた。


「……それ、待ち人は俺のことだったって、意味で、言ってます?」
「?そうだけど」

眉を寄せ、ぎゅうっと目を閉ざし、どこからか吹く風で髪を靡かせ、くうっと何かかみしめているようだった。

「あ、あと友だちもできた」
「ともだち」
「そう。待ち人≠ェしつこく通ってくれたおかげで、クラスの人たちが話しかけてくれるようになったの。ありがとね」

瞳を揺らした五色工が唾を飲み込んだのがわかった。
ジリ、と距離を詰めてきたかと思えば何かを言いかけ、やめてしまう。
問いかけると、元の場所より離れて座り直した彼はどうしてか正座で、太ももに拳まで押しつけて今にも謝罪してきそうな雰囲気だ。

「な、なに。どうしたの」
「あっ、あんまり言ってしまうとまた、心の、負担に」
「……なんだ。また好きとかなんとか言おうとしたの?」

ギクリ、肩が揺れる。
わかりやすい子だなあ、と息を漏らすと目が合った。

「大勢の前で言われるのはそりゃ迷惑だけど」
「めっ……すっ、はい」
「多分私、実際はそんなに嫌じゃないんだと思う。あなたに好きって言われること」


鐘の音が辺りに反響した。

最後の一口を放ってお弁当箱の蓋を閉じる。小さなタッパにはりんごがまだ残っていて、あれ食べないの?と目をやった彼の手元にはまだ食べかけの焼きそばパンがあった。

「全然食べてないじゃん。食べないともたないよ。りんごいる?」
「ず……っ」
「ず?」
「……」
「ず?」
「……や、いえ……えええっ……」

片手で顔を覆って俯いてしまっている彼に爪楊枝にささったりんごを差し出すと、軽いひと睨みと共に受け取ってくれた。

「……甘くて美味しい……」
「そうでしょ。はいこれ、貸してくれてありがとう」

冷気が温まった足の上を通り過ぎていく。
やっぱりシャツだけじゃ寒かったんじゃないだろうか、と座ったままの彼を見下ろす。その顔には赤みがさしていた。これが一歳の差なのか、運動部との差なのか。

階段のところでそのまま五色工とは別れた。
一段一段上る足は軽い。次の授業は何だったかと記憶を辿る。
現文か、となったところでハッとした。
今朝机の中に入っていた現文の課題を昼休み中に終わらせようと思っていたのに、それどころじゃなくてすっかり忘れていた。
小走りで駆け上がろうとしたその手が突然、力強く掴まれた。


「!?びっ、えっ、ごし、」
「好きです」
「はっ!?」

「好きです。名字さんが好きです」


いつの間にか後ろにいた五色工は真剣で、どこか切羽詰まったようにぎゅう、と握る力が増した。
距離が近づく。耳のすぐそばで「だから」と掠れた声がする。



「……早く、俺とおなじ気持ちになって」



二度目の鐘が鳴っている。

手が離れると五色工は目を落としたまま小さく頭を下げ、来た道を戻って行った。
その背中をぼうっと眺めてから思い出したように私も階段を上った。

教室に入ると、教科書から顔を上げた先生が「始まってるぞ」と怖い声で言う。
消え入りそうな「すみません」を昨日の今日ということもあってか体調不良と判断され、保健室に行くことを打診されたけど、首を横に振ってから自分の席についた。

手足が震えていることに気がついた。
平常心平常心と何度も呪文のように唱えてみるも、効果は一向に現れやしない。
鼓動があんまり激しいものだからすぐ隣の席まで聞こえてるんじゃないかとも思う。というより、耳?耳が脈を打っているのかこれは。

早く、俺と

周りに不審がられない程度に深く息を吐き出した。
小野田さんが「本当に大丈夫?」と心配してくれていて、私からの頷きを明らかな嘘だとわかっていながらも何も聞かず前を向いてくれた。

最近の私はおかしい。
五色工にそれらしいことを言われたからと、思考を奪われるような私ではなかったはずだ。
運命だの、付き合いたいだの、突拍子もないことを言われてずっと混乱はしていた。だけどそんな、眠れなくなるほどとか勉強が手につかなくなるほどとか、そんな私じゃなかった、はずだ。

教科書類を取り出し、黒板に書かれているページを開いた。
もらったルーズリーフの分を書き写すスペースを空けて、ノートも開く。シャーペンの芯を短く出してまず今日の日付を書いた。

ジリジリと疼く耳にはまだ彼の声が残っている。
真剣な目が焼き付いている。縋るような、今にも泣き出してしまいそうな。そんな、熱を帯びた、あの目を。


『あの日からずっと名字さんのことばかり考えてるんです』

パキッと芯が折れてしまった。
カチカチと蓋の部分を押して適度にまた出す。
先生、頼むから負けないでください、と責任転嫁した。もっと声を張ってください。じゃないと私は何度も何度も考えてしまうから。


『頭の中が名字さんのことでいっぱいなんです。ここもめちゃくちゃドキドキしてるし』


やめてくれと思った。
勝手に、ショッピングモールの音楽みたいに、有無を言わさず頭の中を流れていく声を聞きながら、胸の辺りをぎゅうっと掴んだ。
誰かがこうなっているのを前にも、見たことがあるような気がした。



『こうなるのは、俺が、名字さんのことを』



ガタガタッと大きな音を立ててしまった。
黒板にチョークを滑らせていた先生が振り向き、周りも驚いた顔で私を見上げている。

「やっぱり保健室に行ってもいいですか」

そう絞り出した私の声は自分で思った以上にか細くて、私がクラスメイトだったら仮病なんてまず疑わなかったと思う。
付き添いは、と保健委員を名指ししようとしているのをお断りして、誰もいない廊下に出た。

教室を通り過ぎる度に、しっかり閉まった部屋の中で色々な授業が行われているのが聞こえた。
数学、倫理、化学。どうだっていい。全部、どうだっていい。


階段の手すりを掴んでしゃがみこんだ。
息を吸って、吐く。吸って、吐く。目を閉じて浮かぶ顔に、胸が震える。
知らなかった。違う、気がつかなかった。これがそうなんだ。
こうなるのは全部。


「私が五色工を、好きだから、なんだ」


こぼしてしまった独り言は辺りが静かなせいもあってか自分でもよく聞こえた。
耳に残る熱がじわり、広がっていくのがわかった。

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