四十分間の追試が終わり先生が赤ペンを滑らせている間、私たちは固唾を呑んで結果を待っている。
カチッとキャップを閉める音がして姿勢を正せば竹田先生は「二人とも合格」と弧を描いた。

「よくできてるよ。がんばったな」
「やったね名字さん」
「うわああ!大澤くんのおかげだよー!ありがとう!」
「いやいや俺にも感謝しろー」

返されたテストは96点で追試と言えど数学でこんな良い点数をとるなんて生まれて初めてだった。
この調子で普段からもがんばれよと道具をまとめた先生が「寄り道しないで帰れよー」なんて言って出ていくもんだからドキリとした。

……一緒にいられる理由のあった日々が今日で終わる。
明日からは挨拶だけの私たちになってるかもしれない。もしかしたら挨拶もなく、ただ通り過ぎだけの私たちに。

いつもより明るい外の世界。
そうだ、今日は昨日よりも少しだけ勇気を出して。
先生の足音が完全に聞こえなくなったのを見計らってバクバクの心臓にすうっと息を吸い込んだ。

「大澤くん、あの」

消しゴムなんかをしまいながら顔を上げた大澤くんは「なに?」と優しい顔をしている。

「今日はその、わ、私が──」

その言葉はパタパタとやって来た足音と「大澤!」と彼の名を呼ぶ女子の声にかき消された。


「終わった?追試!どうだった?」

多分大澤くんのクラスの子だ。緩く巻いた茶髪を揺らして、居るだけで場が明るくなるような華のある女の子。
大澤くんはニッと歯を見せてVサインを向けている。

「おかげさまで合格です〜」
「よかったじゃん!凡ミスで追試とかホント馬鹿なんだから。ねえ補習終わったなら今日こそカラオケ行こうよ、前から言ってたじゃん」
「あーっ、そうだっけ?」

みんなもう待ってるよ?とその子は私の顔を見た。
一瞬少しだけムッとしたような表情を浮かべたのだけどそれはほんの一瞬で、「ずっと楽しみにしてたんだけど」と口を尖らせている。
大澤くんはチラリと私を盗み見たかと思えば困ったように頭を掻いた。

「あー、わかった。オーケー。今行くからって佐々木たちにも言っといて」
「やった!正門のところで待ってるから!」

急いでよね!とパタパタいなくなるのをぼんやりと見つめて、私は思い出したように道具をまとめた。
すごく嬉しそうだった。あの子、仲良いんだな。……彼女、かな。
そうじゃなかったとしてもきっと私と同じ感情ではいると思う。
大澤くんはどうなんだろう。あの子が、好き?

(…………ダメだ)

私とは違う。大澤くんと私とじゃ何一つ交わらない。
どことなく気まずくなったように感じる空気をどうにかしたくて慌てて口を開いた。

「カラオケいいなぁ。楽しんできてね」
「んー、俺歌うの得意じゃないから正直あんま乗り気しないんだけどね」
「そう言っときながら上手いんでしょー。数学みたいに」
「違う違う、ホントに苦手なの」

道具をまとめ終わった大澤くんがガタリと席を立った。
ふわりと香った石鹸の香りに胸がきゅうっと締め付けられた。

「じゃあ……またね名字さん。三日間お疲れ様」


またね

またって、いつ?補習期間はもう終わりなのに。
一緒に帰れないのに。寄り道したり笑ったり。もう大澤くんとの接点なんてもう、一つもなくなっちゃうのに。


『モヤモヤ考えたところで答えなんて出ねーじゃん』

(……あ)

『──大事なのは』


背中を押されたような気がして立ち上がった。
鞄の中をあさって巾着袋の中に“ソレら”を詰めて苦しいくらい息を吸った。


「大澤くん、ちょっと待って!」
「ん?」
「勉強教えてくれたり一緒に帰ったり、奢ってくれたりすごく嬉しかった!今はこんなのしかないけど、う、受け取って!」
「え?……わっ」

山なりに放った巾着袋を慌てながらも大澤くんはなんとか受け取った。
いつもおにぎりを入れている袋にチョコなんかをできるだけ詰めたそれを見てキョトンとしている彼に、今できる精一杯の笑顔を。

「ちゃんとしたお礼は別のときにするから!……ま、またね!」

多分顔が真っ赤になってるだろうしめちゃくちゃ汗ばんでる。
しばらく目を丸くしていた大澤くんがふわりと優しく微笑んで言った。

「ありがとう。楽しみにしてる」

甘いの大好きだからすげー嬉しいっと巾着袋を掲げて手を振る大澤くんを笑顔で見送った。
目の前の黒髪じゃなく、私の頭の中で揺れる明るいベージュの髪がよくやったなと笑ってる気がした。





「あーっ外もあっちーな。帰りアイスでも食ってこーぜ」
「なになに夜っ久んの奢り??」
「後輩にならまだしも何でお前に奢るんだよ」

顔を上げると辺りは薄暗くなっていた。
部室からゾロゾロとバレー部が出てきて真っ先に視界に飛び込んできた彼の名前を呼ぶと、私に気がついた夜久が大きな目をさらに大きくして固まった。

「え、はっ?名字?何してんだよこんな……アイツは?」

夜久の後ろにいた後輩が黒尾に「誰ですか?夜久さんのこと待ってたっていうのはそういうことですか!?」だとか聞いているのが私の耳にもしっかり届く。
それを咎めることもなく慌てて駆け寄ってきた夜久は私の手首をとって不安そうに顔を覗き込んでくる。

「場所変えるか?」と小さく聞いてくれる夜久に胸がぎゅっと熱くなって、たまらずその手を握っていた。


「っ!おいっ」
「私ね、当たり前に一緒に帰れるって思ってたの。どこかで運命みたいに思ってて……でも違って。特別でも運命でも何でもなくて、私が@E気を出さなきゃダメだったんだよ。今日で終わりじゃないんだよ。夜久がいなかったらそんなことにも気づけなかったんだよ」

夜久の手にはまだほんのりと部活の熱が残っている。
気持ちだけが先走って上手く言葉にできないのだけど、急な出来事に戸惑っているのか視線の定まらない夜久へ、どうしても今日のうちに伝えたかった思いを込めて。

「夜久のおかげだよ、全部。夜久がいなきゃ全然ダメだったんだよ。本当にありがとう」


夜久の瞳が小さく揺れておもむろに伏せられる。


「……大袈裟だって言ってんじゃん」

独り言のようにこぼした夜久は今、確かに笑っているのに、泣いているように見えたのは何故なんだろう。
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