シャーペンを手放してだらりと腕を投げ出した。
XやらYやらが頭の中でタコ踊りしてるのは間違いなく限界のサインだ。
私の深いため息を聞いた夜久がノートから視線を上げた。

「わかんねえとこあった?」
「脳が突然強制終了して……」
「どれ見せてみ」

ここはまず移項させてさっき求めたのを代入して……と丁寧に教えてくれているのに心ここに在らずで聞いていた。

夜久が私のノートを覗き込んだ拍子にふわりと香ったこの石鹸の香りは、いつもは体育の後とか部活の後にする香りだ。
今日はどっちもなかったのに、なんて思ってしまえばもうそれしか考えられなくなる。

この距離で接するのはきっと初めてじゃないのに、私たちの関係性に新しい名前がついてからはどうも戸惑うことが増えた気がする。
今までなんとも思っていなかった夜久の行動や仕草はどんなに細かなものでも私の心をくすぐったり熱くさせるものになった。

そしてふと思うことがある。
私は多分、私が思ってるずっと前から夜久にひどく愛されてたんだろうなって。


「こら。全然聞いてないだろ」

軽く頭を小突かれて我に返った。
大きな目にじいっと見つめられただけでこんなにドキドキするようになるなんて思ってもいなかった。

「ごめん……」
「もう五組代表の看板背負いたくないから付き合えって言ったのはお前だからな」
「そうだけど……そうだけど〜っ」
「ハイじゃあこれ解いて。見ててやるから」

夜久が指さしたのは私が躓いた問題のその次。同じ系統の問題だ。
勿論夜久の解説を全く聞いていなかった私にはさっぱりだ。
むむ……と難しい顔をする私を小さく笑った夜久はら「仕方ねえ奴」ともう一度問題に人差し指を滑らせてくれた。



「あ〜っ終わった〜!やっと終わった〜!」

問題集四ページ分。思っていたよりもものすごく時間がかかってしまったけどちゃんと理解しながら埋められたし、何より授業以上に集中した。
机にへたばる私の隣で夜久がノートや筆箱やらをさっさと片付けている音がする。
頭の向きを変えて夜久の方を見ればすぐに目が合った。

「ありがとね。絶対全部埋められないと思った」
「まあ俺も得意ってわけじゃないけどとりあえずよかったわ。お疲れさん」

ニッと歯を見せて笑いながら頭を撫でられた。
私、夜久と友だちしてるときからこうされるの好きだったんだよなあ。
友だち思いで、優しくて、心いっぱい満たされる。

「夜久はやっぱり優しいなぁ」

椅子が小さく音を立てた。
夜久はそっと私との距離を詰めると私の顔を見下ろすように頬杖をついた。

「どーせお前は俺が誰にでも優しいとかなんとか思ってんだろうけどさー」
「うん?」

「俺、ずっと前から好きな奴にしか優しくしてねーつもりなんだけど」


かあっと赤くなったのを絶対夜久は見逃さなかったと思う。
私の髪を梳いてくれる指は優しくて、見つめてくれる眼差しの柔らかさに耐えられず机に顔をうずめた。

「全然気づいてねえなあとは思ってたけども」
「夜久はもぉほんと……そういうことばっかり……」
「ははっ。やっぱお前ってニブチン」
「えっ」
「って黒尾が言ってた」
「黒尾め……」

机に垂れる髪の毛をそっと耳にかけてくれた夜久が顔を近づけてきたかと思えば、こめかみに押し当てられた柔らかい感触。

「っ!?」

慌てて顔を上げれば夜久がうっすら頬を赤くして笑っている。

「帰り何か食ってかね?」
「……え、あ、アイスがいいと思います……」
「おっ。俺もそう思ってたとこ」

早く行こ。と微笑んでくれる夜久が好きだ。
私が笑えばもっと笑みを深めてくれる夜久が好きだ。

「夜久」
「んー?」
「だいすき」

「……知ってる」

今日も私は、底知れぬ愛に満たされる。

end.
2019/06/25
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