バスを降りた頃には陽が傾きかけていた。
酷く息が乱れていたし、元々運動が得意じゃないせいもあって下半身は震えるほどの疲労を訴えている。

ようやく辿り着いた体育館の入口は全開だった。キュッキュッとシューズの擦れる音とボールの音、多分梟谷だと思われる見たことのない生徒がボールを繋いでいるのが何となく伺えた。
良かった。……間に合った。

「海!」
「オーライッ!」

今にも爆発しそうなこの鼓動はずっと走ってきたから、とか、そんな理由じゃない。
よくよく考えたらどんな顔で会ったらいいのかさっぱりわからなかった。ただ本能のままに突っ走ってきてしまったことを今更ながら心底反省している。

どうにかまず、呼吸だけでも落ち着かせなければ。
体育館の外壁に凭れ、胸に手を当てて深呼吸を繰り返していると、視界の端からぬっと人影が現れて驚きのあまり飛び上がりそうになった。

「こんにちはっ。何か用ですか?」

黒髪の、一年生だろうか。
センター分けのあまり背の高くないその子は、私と目が合うとハッとして「良かったら入ってください!」と明るく迎え入れてくれた。
心の準備が出来ていないからと断れるはずもなく、私は恐る恐る体育館に足を踏み入れていた。

なんとなく顔を上げづらくてゲーム中のコートの隅を邪魔にならないよう俯いて歩いていると、みんなの声に紛れて夜久のが聞き取れて心臓が暴れ出す。
チラッと目だけを向けた先の夜久……の奥、コートの外で腕を組んで仁王立ちしている黒尾としっかりと視線が交わってしまった。

黒尾はすぐにニヤリと笑みを浮かべ、人差し指を上へと向けた。
一年生にお礼を告げてステージ脇の階段を上り、言われた通りにギャラリーへ向かう。確かにここからだと余計な視線も浴びずに済みそうだしよく見渡せた。

いつもの夜久とは全然違う。
額の汗を拭って真剣な顔でボールを追う夜久は、誰よりも格好よくて、目が離せなくて、息が詰まるほどドキドキしてしまう。

得点板を見ると三セット目の二十二対二十一。
これはきっとどっちも一セットずつ取っていて、今は音駒が一点リードしているってこと、かな?

「っ!」

梟谷の人が打ったボールはとんでもなく大きな音を立て、夜久の腕を擦ると後ろへと飛んでいった。
わーっと盛り上がる梟谷のチームと悔しそうな夜久の顔。
海や他のみんなが声をかける中、唇を噛んだ夜久が前を見据えた。

がんばって。
夜久、がんばれ。

何度も飛び交うボールを追ってぎゅっと手を握る。
得点板はいつの間にか逆転していて、あと一点取られてしまうと相手の勝ちなんだと思う。

『お前が見に来てくれんのか……そっか、はは』

『かっこいいとこ見せてやっから、楽しみにしてろよ』

てのひらは力強く手すりを握り直していた。大きく息を吸い込んだのももう、衝動的だった。



「──負けるな!夜久っ!!」


周りの人たちがこっちを見上げた、けど。
気にならないとか、恥ずかしくないって言ったらもうそれは正真正銘大嘘でなんかもうダウト!って感じだけど!

驚いて固まっていた夜久が、握り拳を私へと向け、照れくさそうに笑ってくれたからそれだけでいい。
前に向き直った夜久の自信に満ちた顔からはもう、一時たりとも目が離せなかった。



《──ピッ》

テンテンテン、と音を立てて転がるボールはエンドラインのずっと奥で止まった。

続いて鳴り響いた試合終了の合図にドッと全身の力が抜けてしゃがみ込んだ。音駒の勝ちだ。
両チームがお互いに礼をして相手の監督のところへ集まる頃には冷静に自分の行動を恥じていた。

何が、負けるな夜久!だ。
練習試合を見に来てる生徒なんてどこにもいないし、ましてや公式試合でもないのにあんな大きな声を出して。
先生も相手チームの人もこっち見てたし、ていうか今もまだチラチラこっち見てる人居るしもうどんな穴でもいいからとりあえず入ってしまいたい。消えてなくなりたい。

今日はこれで終わりらしくて、部員の人たちは各々片付けを始めたようだった。
今のうちにさっさと体育館を出てしまおう、と逃げるように階段を下りたその先に、ちょうど夜久が走ってきて私の前で足を止めた。

「……何で来たんだ」

戸惑いと少しの不安が入り交じったような声で夜久が言う。

「帰ってくるにはまだ早いだろ。大澤は?お前、思ってること気づかないうちに口に出してるとこあるから心配だったんだけど……もしかしてまた何かやらかした?」

ちゃんと伝えたくてここに来たのに、いざ夜久を前にすると私の口は何の言葉も紡げない。
足元を見るばかりの私の頭に添えられた手は少し荒っぽく髪の毛を乱した。

「そんな顔すんな。大丈夫だから。……少し待ってられる?あいつらジロジロ見てくっからちょっと嫌かもしんねえけど、どっか目立たないところで」

夜久が踵を返そうとしたところで、咄嗟に指先を掴んでしまった。その熱さに胸がぎゅうっとした。

「……大澤くんが」
「うん」
「大澤くんが可愛いって言ってくれたの。今日の格好。けど……私が一番可愛いと思ってるのはね、夜久と出かけたときに着てた服だったって、気づいたの」
「……え?」

本当にわけがわからないという顔で夜久が固まっている。
ぎゅ、と力を込めると私に掴まれた夜久の手がぴくりと動いた。


「夜久は私の格好なんて全然気にしてなかっただろうけど、あの日は一番のお気に入りの服を着て、何度も何度も鏡見て、変なところはないかなって確認して行ったんだよ。大澤くんに褒めてもらったのに私、そんなこと思い出してたんだよ」

一言口にしてしまえば、湧き水のように次々と気持ちが溢れ出てきてもう止められない。
思いきって顔を上げると夜久の瞳が揺れていて、私の言葉に戸惑っているのがわかった。


「一緒にホットドッグ食べたこととか、話したこととか笑った顔とか、今日一日ずっと夜久のことばっかり考えてた。何で来たのって言ったけどさ……夜久に喜んで欲しかったからだよ」

夜久が言ったんだよ。笑っててって。
だから私はここに来たんだよ。


「やっと気づいたの。私が好きなのは、笑っててほしいって思うのは……他の誰でもなくて、夜久なんだって」


夜久は何も言わなかった。
丸い目がずっと私を見ていて、思い出したようにひとつ、ふたつ、瞬きをした。


「……んだよそれ」

やっと聞けた夜久の声は少し震えていた。怒っているみたいだ。
ほんと、何言ってるんだろうね。でも、全然、後悔してない。


「ちょっと意味……は?だってお前……なんで……」

最後の方はよく聞こえなかった。
夜久は力無くその場にしゃがみこんだ。片手で顔を覆って俯いた。

「や、夜久?えっだいじょ──」
「……き、だ」
「え?」

「好きだよ」

きゅうっと優しく手を握り返されて息が詰まる。
夜久の声は僅かに震えていて、それは繋がれた手からも伝わってくるようだった。

「何が……今日一日俺のこと考えてただよ。こっちはお前が大澤を好きになるずっと前からもう、お前のことばっかだよ」
「夜久」
「……好きじゃなかったら二人で出かけたりしないし、あんなに世話なんか焼いたりしない。……気づけよ」

この位置からじゃよく見えないけど、多分口を尖らせてる夜久を想像したら胸がきゅっとなった。
膝を抱えて覗き込むと真っ赤な顔で睨まれて、その口元に思わずニヤリとしてしまったのを夜久は見逃さなかったようだ。

「何笑ってんだ」
「ごめんなんか、嬉しすぎて」
「……ばーか」

俺もだよ。
そう言って笑った夜久の顔は私が一番見たかった笑顔だと嬉しく思っていると、「それ。その顔が一番好き」と夜久が笑みを深めるから、たまらなくなって胸に飛び込んだ。


(やっ、夜っ久んが女子とハグしてる!どうしよう赤葦!声かけてみる!?)
(それは絶対にやめてください。)

end
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