「ねえ黒尾はさ、私が笑うと嬉しい?」

唐突に声をかけられた黒尾は頬杖をついたまま落っことしそうなくらい目をひん剥いて固まっている。
そのリアクションが特段失礼なものだとは思わないし、ぶっ飛んだことを聞いている自覚だってある。

「え、お前それなんて言ってほしいの?俺にナニを期待してんの??」
「いや大丈夫そういうんじゃない」
「あーデスヨネ」

黒尾の笑った顔なんてそれほど腐るほど見てきたけど、だからって何かを感じたことなんて一切ないと断言できる。
男子の笑顔を見て嬉しいと思うのは私にとっては大澤くんが初めてで、好きだなあって改めて感じて、つられて笑っちゃったりして。

……じゃあ、夜久は?
何を思ってあんなこと言ったんだろう。私が笑っていることで夜久は嬉しいと思えるの?
私が笑う度、私が大澤くんに感じているようなあの甘ったるい感情に支配されているの?
私を、どう思っているの?


「もしかして夜久にそう言われちゃったり?」
「……へ」

途端にぽっと赤くなる馬鹿正直な私の顔を心の底から呪ってやりたいと思う。
黒尾はニタリと上げた口角から面白くて仕方がないって感情を惜しげも無くこぼしながら体を寄せてきた。

「マジかよ、なんて?笑顔が可愛いって?」
「な、言われてない!夜久はそんなこと言わない!」
「言えちゃう男なんだなーそれが。なんてったってうちの部の男前代表ですから」
「男バレのママでしょ?」
「まあそうとも言う」
「ベクトル正反対じゃん」
「つーかさ」

より一層声を小さくして黒尾が言う。

「いつだか部活終わりに夜久に会いに来たじゃん。あの後二人で出かける約束とかしてたし、部員一同お前らの関係を疑ってるんだけど?」


関係を、疑っている……?

上手く脳まで運ばれてこなかったその言葉の意味を理解した途端、頭のてっぺんまでカッと熱くなって気づけばムキになりながら言い返していた。

「何もないしそもそも私好きな人いるから」
「え?」
「夜久は友だちだし疑われるようなことなんてないから。夜久だって応援してくれてるから」

だから、夜久のことを考える度こうやって胸がザワザワするのも全部気のせいなんだ。
もしかしたら夜久が私のことをだなんて思う度に甘く焦がれるこの感覚も、全て。

だって私が好きなのは……大澤くんなんだから。


「黒尾。次移動だろ。さっさと行くぞー」

その声は辺りに漂う妙な空気をとっぱらってくれるのには充分だった。
いつの間にか近くまで来ていた夜久は私たちを交互に見るなり怪訝そうに眉をひそめた。

「なに。何かあった?」
「なーんにも?てか夜っ久んどこ行ってたの」
「海に会ったからちょっと話してた。練習試合のこと」
「練習試合があるの?」
「週末な。梟谷とうちでやるんだよ」

ちなみに強豪ね、と黒尾が口を挟んでくる。
強豪校と練習試合なんてうちのバレー部もやるなあなんて
感心しているとそのまま「見に来る?」と続けられてびっくりした。

「え?」
「え?」

そして同じような音を発した夜久を見上げれば、これまた同じように目を丸くしていた。

「それって私が見に行っていいものなの?」
「あー全然オッケー。寧ろ応援来てくれた方が部員のモチベーションは右肩上がり。なあ夜久?」
「あ、ああ、うん」
「いつだっけ?」
「日曜の十時から」
「ふうん、用事もないし行ってみようかなぁ」
「マジで言ってる?」

こくりと頷いて「いいとこ見せてね」と意地悪く笑うと夜久は顔を綻ばせた。

「お前が見に来てくれんのか、そっか……はは。よしっ。かっこいいとこ見せてやっから、楽しみにしてろよ」


(……あ)

緩んでる夜久の頬がほんのりと赤くなってる。
そんなに嬉しそうな顔をされたらこちらとしてもありがたいといいますか、私が行くことにそんなにも価値があるのかなだとか自惚れたことを思っちゃうといいますか。
温かいココアを飲んだときみたいな、じんわりと熱が流れ込んできたような感覚がくすぐったい。

「……がんばってね」
「おう」

そんな焦れったい空気に割って入ったのは黒尾のわざとらしい咳払いだった。

「あー、んん゛っ。俺先行ってようか?」
「え、は?行くよ、待てよ」
「あっ、ちょっと待って!」

全然気づかなかったけど次の授業が始まるまであと五分程しかなかった。
教科書とノート、筆箱を取り出して慌てて椅子を引く。さっさと教室の外に出てしまっている二人を慌てて追いかけ廊下に出ようとした瞬間、つま先が勢い良く敷居に引っかかってカッと高い音が鳴った。

「わっ!」

それだけに留まらず、咄嗟に踏み出したもう片方の足首がぐにゃりと曲がってその拍子に体が思いきりバランスを崩した。
こんな状況で一つ一つ冷静に理解できるなんて普通は有り得ないんだけど、自分のことをどこか客観的に感じるほど一連の動作が全部スローモーションに思えた。

そして、バッと伸びてきたその腕も。


バサバサと教科書の落ちる音に周りの生徒が何人か振り向いている。
私はというとただ耳元で聞こえる吐息と私を包んでくれているがっしりとした腕や胸のことで頭がいっぱいだった。

「……足、やった?大丈夫?」
「だ、大丈夫だと思う、多分……あは、ナイスキャッチ」
「ナイスキャッチじゃねーよ。ちゃんと前見ろそそっかしいんだから」

背中に添えられた夜久の熱が夏服越しにじわりと伝わるのがたまらなく恥ずかしくて、何より息を吸うたびに夜久のものと思われる香りがして目眩がしそうだった。
夜久の胸に置いたままのてのひらがひどく熱い。
もう一度お礼を告げて上を向くと、目と鼻の先に同じように目と鼻と口までもがあって本当に息が止まってしまうんじゃないかと思った。

夜久も一瞬固まってから、次の瞬間には私の両肩を掴んで力いっぱい引き離していた。

「っ、授業、遅れるよな。歩ける?」
「っうん。歩ける」
「じゃあ行こ。急がねえと」

俯いたまま、少し怒ったような声で言った夜久がくるりと身を翻した。
一部始終を見ていたであろう黒尾が私と夜久を順に見、足早に歩いていってしまう背中を追いかけてそっと何かを耳打ちしたかと思えば、思いきりお尻を蹴られている。

その時にちらりと見えた耳はここからでも充分にわかるくらい──。


「ごめん二人とも!やっぱり足少し痛いから、保健室行ってくる」

もうほとんど反射的に出た言葉だった。
先生にそう言っておいて、と言うだけ言って返事も待たずに二人とは別の方向へ歩いた。
黒尾が後ろの方でついて行ってやろうかとか何だとか言ってるのが聞こえたけど、大丈夫とだけ返してひたすらに足を動かした。

足の痛みなんてほんのちょっとの程度のくせに。
そんなことよりも心臓の収縮の方が比べ物にならないくらい苦しくて。


(ダメだ……ダメだってば)

そっと触れた耳朶はひどく熱くなっている。
あのとき俯いた夜久の顔はきっと今の私と同じ顔をしていたんだろうと思ったら一際大きな音が鳴った。
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