思えば一年の終わり頃から視線を感じるようになった。
顔を上げればバチッと目が合って反射的にこっちから逸らしてしまうんだけど、特に何かを言われるわけでもない。
それを一日に何度も繰り返していたらそりゃ、気にならないって方がおかしい……と思う。
『見てても飽きないもの』って言われればよくアリの行列を思い浮かべるけど、彼女のコロコロ変わる表情だってまぁ……嫌いじゃなかった。
中でも友だちにお菓子を貰って目を輝かせている姿は餌を与えられた犬みたいでちょっと面白い。
明るい彼女は誰にでも優しいからみんなが彼女をいい人だと思ってて、おれもその通りだと思ってる。
それはクラスの山田くんだって勿論例外じゃなく、特別な感情を持ってるんだってことはわりとすぐにわかった。
ケンカ友達ってポジションにいながらも「名前」って名前を呼ぶときに少し緊張したような顔をしてるから。
その名前は良いと思う。綺麗で、あの子らしい。
「……名前」
一人、部屋で無意識にそう呟く自分の声を聞いたときは卒倒するかと思った。
家に帰ってまであの子のこと考えてたのかとその時初めて気がついた。
……そして、二年になってしばらく経った今日。
クラスが離れてから久しぶりに俺の目の前に現れたかと思えば真っ赤な顔で「お昼休みに体育館裏に来てくださいっ!」と告げられ、返事をする間もなく逃げるように走り去られただ呆然としている。
頭の中を駆け巡るはてなマークが鬱陶しくて、別の階にいる幼馴染みに連絡をすれば秒で返事が来た。
『マジで!?ついに研磨にも春が!?』
(や、でも全然話したことないし……ありえないよ)
『ありえないとか言うなって。好きなやつ呼び出すのって結構勇気いるんだよ』
(もしそうだったらどうしたらいい?)
『どうもこうも……難しいこと考えねーで思ってること伝えればそれでいいんじゃね?』
『お前はどうしたいの?』
「……何でおれなの?」
気づけばそう口にしていた。
真っ赤な顔が少し傷ついたようにも見えたけどそう返すので精一杯だった。
君の周りにはたくさんの人がいて、愛されてて、楽しそうなのに……どうして?
視線を落とした名字さんは口をもごもごさせて小さく息を吐いた。
もう一度おれを見る目がじんわりと滲んでいて、こんな顔もできるんだってドキッとした。
「わ、笑えるって思わなかったの!」
「……え?」
聞き間違いかと思ったけどそうじゃなかったらしい。
さっきよりも顔を赤くして彼女は声を大きくした。
「孤爪くんいつも俯いて無表情で、一人だったから!笑い方を知らないんだって思ってたの!!」
「何言ってるの」
「だって教室ではいつもそうだったじゃん!けどバレーしてるところ見て、いつもと同じ孤爪くんなのにそうじゃないみたいで、私が知らない孤爪くんがたくさんいるんだって……もっと知りたいって、思ったの」
──好きなやつ呼び出すのって結構勇気いるんだよ
クロの言葉は嘘じゃなかったみたいだ。
泣き出しそうなほど情けない顔をした名字さんが口を結んでいる。
「おれそういう……好き、とかよくわかんないんだけど」
「………」
「名字さんに好きって言われて、知りたいって思われるのは……嫌じゃない、からその……よろしくお願いします……」
おれの言った意味がさっぱり伝わっていないのか、しばらくキョトンとしていた顔がみるみるうちに赤みを取り戻していく。
「そ、それってお、オーケーってこと?」
「うん……まあ」
「孤爪くんの彼女になってもいいってこと……?」
おれに聞いてるっていうよりも自分に確認してるみたいだった。
ようやく理解した名字さんは次第に顔を綻ばせ、照れくさそうに笑ってみせた。
ずっと見てきた笑顔なのに今までのどの笑顔よりも一番可愛いと思った。
きっと名字さんにもクラスの人とか山田くんとか、誰にも知られてないいろんな顔があって、それを隣で見られるんだと思ったら、これからはおれだけの女の子になるんだって思ったら胸が熱くなるほど嬉しくて。
(……そっか)
ずっとこうしたかったんだ。
名字さんの視線が嫌じゃなかったのも、見飽きなかったのも。
全然接点のない山田くんのことが苦手だったのも。
(好き……だったから、なんだ)
嬉しそうにしてる名字さんに勇気を出して、「今日一緒に帰る?」と言えば、おれの好きになった笑顔でにっこりと頷いてくれた。
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