足りなかったものは一つだけ

生徒用玄関を目前とした柱の陰で一人、私は尋常じゃないほどに緊張していた。
この向こうには、スマホをいじいじしながら靴箱に凭れて私を待つ孤爪くんがいるのだけど、こうやって隠れているのには理由がありまして。


『魅力がないなんて思ったこと一度もないから』


そうです。これです。この言葉が全速力で駆け巡ってくれるおかげで、いつになくドキドキして苦しくなっちゃってるんです。
だってソレは、私を可愛いとかどうだとかいつも思っていてくれるってことでしょう?
……好きだって、思ってくれてるわけでしょう?

自分に喝を入れてそっと一歩を踏み出してみる。
妙に上擦ってるのを悟られないよう、いつも通りを装って「孤爪くん!」と声をかけた。

「あ……お待たせ」

(わっ!?)

一瞬、私を視界に捉えた途端にその猫目が柔らかく細められ、唇の端が優しく上がったのを見て自分の顔が赤くなるのを感じた。
……私が気づいていなかっただけでいつもあんな顔してくれてたのかと思ったらなんとも照れくさくて、くすぐったい。

(……お待たせって言われたけど寧ろ待たせたのはこっちですごめんなさい……!)

勿論そんな事知らない孤爪くんは、見たところ私みたいに緊張している素振りもなく「行こっか」と歩き出した。
意外にも、その手にあったスマホをポケットにしまって。

「……何?」
「え!?いや、ううん帰ろう!?」

……ど、どうしよう。願ってもないことのにいざチャンスを目の前にチラつかせられると怖気づいてしまう。
落ち着け、と言い聞かせれば言い聞かせるほど指先が馬鹿みたいに震える。
胸が熱くて、言葉に詰まって、隣を歩いているだけなのに心臓が爆発するんじゃないかってくらいバクバクしてい──。

「髪、直したの?」
「うえっ!?」

急に声をかけられて飛び上がるくらいびっくりした。

「……大丈夫?考え事?」
「ごめんごめん!大丈夫!あ、髪?そう直したの!」

今日のためにヘアアイロンを持ってきてくれていたゆりぽんに頼んでゆるふわを元に戻してもらったのが少し前のこと。
理由は一つで今朝方の『微妙』発言を思った以上に気にしていたからだ。

すっかり元に戻ったストレート髪を手で揺らしたけどまだ少し心配そうだ。

「似合わないカッコはするもんじゃないねー。ごめんねー」と大袈裟に笑って見せれば、孤爪くんはポツリとこぼした。

「……似合わなかったわけじゃないよ」

それはもう、なんとも決まりの悪そうなか細い声で。

「でも微妙って言った」
「あれはクロが」
「黒尾先輩?」
「……やっぱいい」
「良くない良くない!気になるってば!」

これっぽっちも引かずにグイグイこられて観念したみたいだ。
忙しなく視線を泳がせて、言葉を探しながらそっと空気を吸った。

「……ああいうのはおれの前だけにして……ほしい」

ぽかんとだらしなく口を開けたまま私はその場で立ち止まった。
私がカチコチに固まっているのに気がついた数歩先の孤爪くんが振り向いて続ける。

「あと、みんなの前で好き、とかも……おれにだけ聞かせてくれればそれでいいから。……ほら行くよ」

……こ、これがいわゆる盆と正月が一緒にきたってやつですね!?違う!?何でもいいけどね!?
困惑とドキドキとで目が回っている私の手を思いのほか強引に引く彼の手はビックリするくらい冷たくて、チラリと見えた耳は燃えるほど赤くなっていた。

孤爪くんが緊張してる。多分私と同じくらいに。
嬉しくて仕方ないのは確かなのにあんなに待ち侘びていたハズの甘い空気がどうもこそばゆく、その上何故か苦しく感じた。

何でだろう?
落ち着かなくてムズムズして、私も孤爪くんも全然知らない人みたいで少し、怖い。

「や、やっと孤爪くんと手が繋げて嬉しいなぁー!」

雰囲気にそぐわないわざとらしい声をあげてしっかり繋がれた手をぶんぶん振ってみる。

「私たち付き合って半年経ったけど全然恋人らしくなかったじゃん!?一緒に歩いたり帰ったりするのも久しぶりだし、なんか落ち着かないね!?」

「そうそう、私の友だちのゆりぽんとあっちゃんが普通半年も付き合ってたらもっとチューとかハグとかそれ以上とかがあるものだって言っててさ!」

「孤爪くんて結構草食系っぽいし、もしかしたらそういうの全部興味ないんじゃないかなーって思って、それなら私がその気にさせればいいんじゃないかってなって、それで今朝」


こちらを振り返って何度もパチクリしている猫目を見て私はやっと口を閉ざした。



──大失態だ。


汗をダラダラ流してどうやって誤魔化そうとばかり考えたけど、どうやったってもう手遅れだ。
ガツガツしてはしたない子だと思われていたら?チューしたがってるとか、気持ち悪いとか、うざいとか思われていたら?

「ごめん忘れて!何でもないから!」

俯き、距離を置こうと一歩下がったものの繋がれた手が離れることはなくしっかり握られたままだった。
孤爪くんがどんな顔してるか見たくなくて足元ばっかり見てたけど、「やっぱりそうだったんだ」と呟くのが聞こえてビクリと体が強ばった。

「朝雰囲気が違ったのは、おれをその気にさせたかったから?」
「そう、です。ちょっと可愛くなればチューしてくれるかなと思いました」
「名字さんはそういうことしたかったの?」
「寧ろ好きな人とそういうことしたくない人なんているんですかねッ!??」

恥ずかしさがピークに達して気づけばそう叫んでいた。
顔が燃えるように熱くて、恥ずかしくてここから消えてしまいたい。
クスりと小さく笑うのが聞こえてじろりと睨んだけど、それでも孤爪くんの口角は上がったままだった。

「なんで笑ってるの」
「……馬鹿だなって思って」
「ばっ……んんん゛っ!どうせ馬鹿ですよもーっ!」

勝手に気持ちを暴露して、勝手に声を荒らげたりして本当に、馬鹿だ。
返す言葉もなく空いた方の手で顔を隠したら、孤爪くんが近づいてきてその手までも優しく包まれた。

私の目の前で孤爪くんが私を見つめている。その顔はやっぱり少し赤くて、その目はじんわりと熱を帯びていて。
でもどこか嬉しそうに「やっとだ」と小さく言った。

「やっとって何?何で嬉しそうなの?」
「名字さんがやっとおれを意識してるから」
「いし、き……え、意識?」
「今まで全然してなかったよね。いつも平気な顔で……挨拶みたいに好きって言ってみたり。知らなかったと思うけど……おれはいつもドキドキしてたよ」

──『名前にとって孤爪ってアイドルか何かなの』
ゆりぽんに言われた言葉がフラッシュバックする。
そんなわけないのに、ちゃんと好きなのに。普段通りに言おうとした言葉が何故か上手く出てこなかった。
たった二文字を口にするだけなのにやけに心臓が騒がしい。
私の反応を伺っているのか両の手を握る力がぎこちなく強められた。

「……私今こう見えてショート寸前でして」
「見てたらわかる」
「孤爪くんの言う通り今までこんなにドキドキしたことないと思う……んだけど。でも今まで孤爪くんを好きって言ったその気持ちが嘘だったことは一度もない……デス」

多分。いやきっと、今の私はグツグツのお湯の中で茹で上がったタコみたいななんとも可愛くない顔をしているんだろうけど。

目の前にいる好きな人の目を見て、震えつつもしっかりと息を吸った。


「孤爪くん。好きだよ」

猫目が丸くなって、揺れた。
いくらかの間のあと、一歩踏み出した孤爪くんとの距離がゼロになって肩に乗せられた吐息の熱さに身震いした。

「知ってるよ。……おれも、すき」

繋いでいた手は自然とほどけていて、そっと背中に回せば同じように返してくれた。
「初めて言ってくれたね」って言ったら「そうだっけ」とすっとぼけられて小さく笑った。
今日一日ずっとそばにあった孤爪くんの匂いにふわりと包まれ気づけば口元が緩んでいる。

さっきまで居心地の悪さを感じていた甘い空気が、胃の上の辺りをぎゅーっと締め付けられる感覚が、早鐘を打つ落ち着きのない心音が今は嘘みたいに心地良くて。
孤爪くんへの好きが募って私の中じゃ抑えきれずに湧き水みたいに溢れていく。

やっとホンモノの恋人になれたんだな、なんてぼんやりと感じた。


「ねえもう名前呼びタイムって終わり?ヤキモチ妬いたときだけ?」
「そっちこそいつまで名字で呼ぶつもりなの」
「呼んでいいの?」
「寧ろ好きな人に呼ばれて嬉しくない人なんているの?」
「……イジワル」
「ふふ、今までのお返し。……あ、そうだ」

孤爪くんの腕が何か言いたげに緩んだので私もそうすれば目が合って。

「勘違いしてるようだから言っておくけど……名前が言うほどおれ、草食系じゃないと思うよ」

口元にそっと指先が伸びてきて固まった。
優しい手つきで唇に触れたかと思えばそこからするりと髪が抜かれて、孤爪くんは意地悪く口角を上げた。

おや?
……おやおやっ??

(……いつの間にか『その気』にさせられてるのって……?)

多分、そう遠くない未来に私たちの関係はしっかりと前に進んでいくんだろうなって。
頬に手を添えられゆっくり瞼を閉じる中、そう思った。


(あ、lime。名前から?)
(……『孤爪くんに攻略されそう』)
(…………)
(…………あ、もしもしあっちゃん?)

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