あなた限定イージーモード!

初めてキスをしたあの日からそろそろ一ヶ月が経つのだけど、ここの所は部活が忙しいらしく一緒に帰れない日々が続いている。
たまに教室を覗けば眠たそうな顔でゲーム機に目を落としている孤爪くんがいて、私の熱い視線に一度はビクッと身体を震わせてから辺りを伺って、控えめに口の端を上げてくれる。

文句なんてあるわけない。limeだってしてるし電話で声だって聞ける。
え?本当にないのかって?ないない。
まあ、そんなに言うなら?敢えて?敢えて言うのであれば?


「キスされてえ……っ!!」
「それヒロインのセリフじゃないからね?」
「敢えて、っていうかもう強い願望」

ゆりぽんは雑誌をめくる手を止め、あっちゃんは呆れたようにジュースを吸った。
だって考えてもみてくださいよ!
付き合い始めて一体どれくらい経ったとお思いですか!?
半年もお預けをくらってた私ですが、一度ご褒美を与えられてしまうともう待てない性質なんですけれどもこんな私は異常ですか!?

あの柔らかさとか薄さとか、今までで一番近くに感じた孤爪くんの匂いだとか、忘れられるはずがない。
ずっと触れたかった温もりだ。夢に見ていた瞬間だ。

「どうすれば手っ取り早くちゅーができるんだろう」
「手っ取り早く」
「孤爪んとこ行ってキスしたいって言えばいいんじゃない?」
「あっちゃん大丈夫!?言えるわけないよね!?」
「公開告白したやつが何言ってんだか」
「そんなにしたいなら自分からすればいいじゃない」
「わかってるくせにそういうこと言うもんね!私は!されたいの!孤爪くんから!」

あ、と短くこぼしたゆりぽんは読んでいた雑誌をくるりとこちらへ向けた。

「いいのあんじゃん。見て名前」

ゆりぽんの指さす先には大きな字で『必読!奥手な彼氏でもキスしたくなっちゃうグロスTOP3!』と書かれていて思わず食いつくように手に取った。

「……あっちゃん。ゆりぽん。今日の放課後の予定は」
「部活」
「バイト」

一つだけ幸運なことは今日がお小遣い支給日で財布が十分に潤っていることである……!







「あっ。山田くんおはよう」

翌朝。階段の踊り場のところで朝練終わりの男バレが上ってくるのを待っていると山田くんが登校してきた。
おはよーと間延びした声が私を見るなりすっと消えた。

「……何だそりゃ」
「ん?」
「口のソレ、どうしたらそんなんなるんだよ。テッカテカだぞ」
「ふっふっふ……これは手っ取り早くちゅーができる魔法のアイテムなのです」
「はっ?」

昨日雑誌で見たTOP3の商品には手が届かなかったけど、その代わりにこれを見つけた途端コレだ!と思った。
真っ赤なグロス。散りばめられたラメ。キャッチフレーズは『これなら彼もあなたのトリコ』。そして極めつけはこの香り。はい百点満点。

「お前それで色仕掛けみたいなことしようとしてんのかよ。本当にそれに効果があると思ってるわけ?」
「どういう意味?」
「だから、男がそういうのに弱いって本気で思ってんのかって!」

タジタジな山田くんのその言葉の意味がさっぱり理解できず首を傾げるばかりだった。
雑誌だってお店のポップにだってそう書いてあったんだからそういうものでしょう?

「キスしたくならない?」
「……っ、な」

そう言えば山田くんはピシッと固まった。
どうやら本当にお好きじゃないらしい。まあ個人差があるんだろう。

ふと足音がして階段下を覗き込めばお待ちかねの孤爪くんがいた。
急いで駆け下りて「孤爪くんおはよう!」と声をかけると呆れたようにおはようと返された。

「あれ、朝練じゃなかったの?バレー部のみんなは?」
「日直だから早めに抜けてきた」
「そうなんだ。かえって都合が良いや」
「……都合って?」

階段を数段下りて孤爪くんの目の前に立つ。
じーっと見つめれば、一度左右に目を逸らしてから控えめに見つめ返してきた。

「……な、なに?」
「私を見つめて今!どんな気持ちですか!」
「え……何言ってるの」
「率直に!率直に言って!」
「……よくわかんなくて困ってる」

困られてる……!!
けっこうたっぷりめにグロスを付けてみたのにどうやら効果はないようだ……!
山田くんも孤爪くんも全然反応が良くないんだけどあのランキングは一体どんな根拠で作られたんだろう。グロス業界の策略??

一人で悶々としていると小さく笑う声が聞こえて顔を上げた。
孤爪くんの四本の指先が優しく頬に添えられたと思ったら、親指が私の唇を拭った。

「こ、づ……えっ」
「塗りすぎ」
「えっ。へえっ?」

ラメのついた指が離れていくのを見つめながら、体中がドッドッドッと激しい心音に包まれているのを感じた。
唇を触られた。孤爪くんに、触られた……!

「どうせ男はこういうのに弱いとかなんとかって言われたりしたんでしょ」
「な、んでわかっ……!?」
「……ほんと、単純だよね。けどおれはそんなに好きじゃないよ。ベタベタするし」
「ええ……そんな……」

せっかく孤爪くん好みと思われるものを探しに行ったのにそもそもグロスが好きじゃなかったなんて……。
肩を落としてため息を吐いていると、「そんなにしたかったの、キス」と問いかけられて息が止まるかと思った。

「こ、孤爪くんはしたくなかったの!?」
「前に自分が言ったんじゃん。好きな人とはしたくなるもんだって」
「の割には全然手出してこないじゃん!?」
「出して欲しかったの?」
「だから!出されたくない人なんているんですかね!?」

何が面白いのかクスクス笑う孤爪くんは私の髪を優しく梳いた。

「ギュとかチュとかがしたいんだっけ?あとは……『耳元で愛を囁かれたい』?」
「えっ……何でそれを……黒尾先輩めっ!!」
「ふふ」

孤爪くんがそっと近づいてきて、優しく押し付けられた人生二度目の唇は柔らかかった。
柔らかくて、あったかい。
そっと離れていった孤爪くんが自分の口に指を添えて「なんか甘い?」と呟いた。

「……リンゴ味なの。これ。どうせなら孤爪くんも美味しい方がいいかなって。へへへ」

目を見開いて固まった孤爪くんが力無く口角を上げたかと思えばもう一度唇をひと撫でされた。

「ほんと、簡単。単純」
「……っ」
「でも……好きなのはそういうところだよ」

孤爪くんはそう私の鼓膜をくすぐると背中にそっと腕を回した。
グロスはそんなに好きじゃないって言ってたのに重ねてくれた唇はさっきよりも熱い気がした。
ぼんやりと痺れる意識の中わかったことといえば、あのランキングは決してグロス業界の策略なんかじゃなかったということだ。


(あれ、研磨さん!日直だったんじゃないでんすか!)
(え?彼女さんですか!本物だ!おはざーす!)
(二人とも何で顔赤いんですか?風邪ですか?)
(あれ?研磨さんなんか口のとこすごいキラキラして)
(リエーフもう止めたげて……!)

end.
2018/10/17

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