スマホのカレンダーを見てため息が出そうになった。来週の水曜日、八月八日。夜久の誕生日。
何を渡したらいいか前からずっと悩んで悩んで、選びきれないうちに結局渡す権利を無くしてしまった。

芝生に足を投げ出してぼんやりと空を見上げた。補習中ずっと聞こえていた吹奏楽の音や、どこかの運動部の掛け声なんかは今は聞こえてこない。みんなお昼休憩をとっているんだろう。時々運動着の生徒たちが中庭を歩いていくのを眺めながら、みんなよくがんばるなぁと感心していた。
いや私だってこんな暑い中机に向かってよくやっている。間違いなく偉い。帰りにアイスなんかを買って帰ったってバチは当たらない。

深く吐いたため息が人知れず消えていく。せめておめでとう≠ュらい言いたい。limeとかじゃなくて、面と向かって。友だちとして。


「名字さん、なんか元気ない?」

ぬっと視界に突然顔が現れて飛び上がるほどに驚いた。

「び……っは、灰羽くっ……!」
「ちわッス!ずっと声かけてたんですけど名字さん全然反応してくれなくて」
「そうだったんだ。ごめん、ぼーっとしてた」

「夏バテですか?」と灰羽くんが隣に座った。座るんだ、と少しびっくりしつつ「そんなんじゃないよ」と首を横に振った。その表情から結構心配してくれていることが伝わる。

「……大したことじゃないんだけど」
「はい」

言うつもりはなかったのに、気づけばぽろりとこぼしていた。


「振られた相手に、誕生日おめでとうって言いたくて」


ほんとに全然、大したことじゃないんだけどさ……ともごもご言いながら顔を覆った。恥ずかしすぎる。そんでもって諦めが悪いと思われたかもしれない。悪あがきがすぎるとか、一回振られてんだから話しかけてんじゃねえよとか。
恐る恐る灰羽くんの反応を伺うと、目を丸くして「うわぁ……」と息を漏らしている。


「これがいわゆる……レンアイソウダン……」


よかった。ドン引きではなく感嘆の方だった。


「灰羽くんはどう思う?振った相手に言われるの気まずくない?」
「うーん、よくわかんないですけど……名字さんにお祝いされんのは嬉しいと思う」

漫画だったら今、絶対頭にコツンと星が降ってきた思う。
大きな目でじっと見つめられたままそんな事を言われ、わかりやすく狼狽えてしまっている。「待って待って、一旦落ち着こ」と一番落ち着かなきゃいけない私が両手で静止のポーズを取った。灰羽くんは至って大人しく私の話を聞いている。

「あのね、例えばね、例えばだけど。私が灰羽くんを好きで、でも灰羽くんは私の事を振っていて、なのに私がお誕生日おめでとうって言ってくるの。しつこい!とか俺のことはもうほっといてくれよ!とか思わない?迷惑じゃない?」

んーと顎に手を添えて難しい顔をしている。彼にとってはどうでもいい事なのに考え込ませてしまった。申し訳なさで溺れそうになったところで灰羽くんが元気よく言った。

「名字さんに好きって言われんの、多分俺嬉しいです!」


敗北。完敗。白旗。
日差しの強さが三割は増した気がして目を細めた。

「……ごめんね変な質問して……」
「いいえ!」

なんでも聞いてください!と言わんばかりで曖昧に笑うしかなかった。

本当はわかってる。夜久はそんな風には思わないし、きっと笑顔を返してくれる。わかってるのにグズグズと動けないでいたのはただ、大丈夫だよって、自分以外の誰かに背中を押してほしかっただけだ。

……いつになったら私は、あの日をなかったことにできるんだろう。
隣に灰羽くんがいることを忘れて大きなため息を吐いてしまった。これじゃあ励ましてほしいとでも言っているようなもんだ。なんだかもう、全てが恥ずかしかった。


「名字さんの好きな人ってどんな人なんですか?」
「え?……うーん、そうだなぁ」

灰羽くんのそんな問いかけに、今度は私が顎に手を添える番だった。


「芯があって、いつも堂々としている人……かな」

ソワソワっとした様子で「カッコイイ……!」と言うから少し笑ってしまう。

周りをよく見ていて何にでも気がつける人だ。燻っている私の背中をバシッと叩いて『しゃんとしろ!』って言ってくれるような人。
隣にいてくれるだけで胸を張って歩けるような、心が強くて、心強い人。

「……なんか、本当に好きなんですね」

静かに耳を傾けてくれていた灰羽くんにそう言われ、照れくさくなりながら「そうなの」と笑った。

「まだ全っ然諦められないくらい、大好き」

大きな手で顔を覆い、うわぁあと弱々しい声と共に灰羽くんはそのまま背中から芝生に倒れ込んでしまった。
心配で覗き込んだら両手をばたっと広げて、満足そうに長く息を吐いた彼が言った。


「恋、すげえ。めっちゃキラキラしてる」


なんでもうんうんと聞いてくれるのが嬉しくて、私はたくさん夜久の話をした。どんなに素敵な人なのかを誰かに聞いてもらえるのが嬉しかった。

振られちゃったうえに、もう吹っ切れたよ、他に好きな人もできたんだよなんて余計な嘘をついていることを灰羽くんは知らない。そういう相手だからこそ夜久への思いが止まらなかった。
出し切ってしまえたらと思うのに、言ったら言っただけ湧き水みたいにどんどん溢れ出てくるのが少し苦しくて少し、幸せだった。

「……水曜日、会えたらいいなぁ」

こぼれ出てしまったそんな独り言に、今までにこやかに話を聞いてくれていた灰羽くんが「ん?」とおかしな顔をした。

「水曜日?って、八日ですか?」
「そうだよ」
「うちの先輩も誕生日ですよ!八月八日」

ん?と私も変な顔になる。

「そうなんだ……?え待って、灰羽くんって何部だっけ?」

胸がざわざわし始めている。そんなはずはない、違うと言って、と心の中で懇願する私をよそに、灰羽くんは元気に「バレー部です!」と胸を張った。
ガツンと後ろから殴られたような衝撃を受けた。

「ば、バスケ部じゃなかったの?前にお昼休みにさ……」
「ああ、あの日はバスケ部の奴と遊んでて……って、え?もしかして名字さんの好きな人って……」

待って待って、言わないで……!
慌てて本日二度目の静止のポーズをとったけど、もちろん灰羽くんの口は止まらなかった。


「夜久さん?」


ああ、なんてこと。言葉にならない。
限界まで体を丸めてその中に顔もしまった。消えたい。『もしかして夜久さん?』じゃない。私は夜久の後輩に、夜久をよく知る人物に、如何に夜久が素晴らしい人間かどうかを熱弁した??は???

よく見てみれば彼が履いているその赤い半ズボンを夜久や黒尾が履いているのを見たことがある。そうか、バレー部か。へえ……そうかぁ……。

「マジですか……っ!夜久さ……うわぁ!」

灰羽くんのテンションの上がり幅がすごい。弾んだ声で「堂々としてて、心強くて、」なんて指を折り始めたからさすがに止めた。具合が悪くなってきた。

「ちなみに水曜日は部活あります!」
「そうなんだ……ありがとう……」
「今も体育館にいますよ!昼練見ていきますかっ?」
「いいえ……」

遠くから灰羽くんを呼ぶ声が聞こえる。
「やべ、休憩終わりだ」と慌てて立ち上がりお尻の葉っぱを払っている。

「俺応援してます!がんばってください!」
「残念だけどもう振られてるんで……」
「こんなに思ってくれてるのに断るとか、意味わかんないです。何ならちょっと俺一言──」
「言わないでね??」

ほら早く行きなよ!怒られるよ!と私に急かされた灰羽くんは「また話しましょう!」と明るく手を振り走っていった。
一人になって深く深く息を吐いた。どっと疲れが出てしまった。

……灰羽くん。夜久はね、私のことをそういうふうに思ったことがないんだって。
それはね、今後も私を見る目は変わらないって意味なんだよ。がんばったところで無駄なんだよ。

ゆっくりと立ち上がってスカートを直す。

いっそのこと私、灰羽くんのこと好きになれないかなぁ。
いいじゃん可愛げがあって。懐っこい犬みたいで。あんな事言ってたくらいだから対象外ではないんだろうし、告白したら案外上手くいったりして。


「……嫌だなぁ」


無意識のうちに呟いていたそれは、いつまでも耳の奥に残っていた。

まだ、消せない


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