嫌な気持ちのまんま帰ったら、いつまでも嫌なこと考えちゃうでしょ。


(だからせめて、アイス儲けた、ラッキー、な日に)


あの日の見知らぬあの人の言葉は、私の中ですっかりおまじないのようなものになっている。
大丈夫。今日も最低最悪な日にはならないように。
相変わらず夜久とは気まずいし、夜久の声を聞いたりするだけで胸が張り裂けそうになる、けど。

ほっぺたを叩いて鏡の中の自分を見つめた。
しけた顔した私へ、ニィッと笑みを送ってやる。
ほら、うん。大丈夫、大丈夫。今日もきっと、ラッキーな日に。


トイレの前で待っていてくれた友だちにお礼を言って、預けていた教科書類を受け取った。
次は移動教室で、階段を下りながら他愛のない話をしている最中、時折心配そうな視線を送ってくる友だちには気付かないふりをした。

彼女には夜久に告白したことも、その結果振られてしまったことも一切話していない。
今はまだ口に出そうとするだけで泣きじゃくってしまいそうになるからもう少し、傷が癒えた後でも遅くはないんじゃないかと思う。

すでに移動していたクラスメイトで賑やかな教室に足を踏み入れた時、耳に飛び込んできた会話に思わず立ち止まった。
後ろの席の近くに集まる男子たちから私の名前が呼ばれた気がした。その中いる夜久が少し、嫌な顔をしている。

「いや気になるでしょ普通、あんなに仲良かったのに全然一緒にいないじゃん」
「何で避けてんの?」
「……ちげえよ」

逃げたい。居なくなりたい。足、全然動かない。
バクバクと激しくなる心臓が苦しくて押さえつけた。友だちが大丈夫かと心配してくれている。


別れたとか?が、やけに鮮明に、聞こえた。


「俺らそういうんじゃないから」


怒ったような、夜久の声も。


「いや、付き合ってたっしょ?」
「え!?マジ!?」
「違うっつってんだろ。もうやめろほんと」
「や、だって名字さんアレ絶対夜久のこと」

気がついたら彼らのそばに向かっていた。


「好きじゃない」


隣で友だちが私の袖を引いている。
止まれなかった。カッとして、胸の辺りが熱い。


「私別に、夜久のこと好きじゃないから」

驚いた二人が気まずそうに視線を逸らした。
夜久がこっちを見ている。どんな顔をしているのかまで見たくなかったし、私のことも見てほしくなかった。

「勝手な勘違いしないで。夜久じゃない、優しくて、背、高くて、格好いい人、いるから。私好きなの、その人だから。夜久じゃないから」


適当なこと、言わないで。

チャイムの音と同時に先生が入ってきて、何事かとこちらを見ていたクラスメイトたちが自分の席に着き始める。
二人とも、戸惑いつつもモゴモゴ謝りながら戻っていった。
友だちはそっと背中を撫でてから通り過ぎて、夜久も黙ったまま離れていった。

「どした?」

今しがた来たのであろう息の荒い黒尾が私の顔を覗き込んでいる。
首を振って私も腰を下ろした。ぐちゃぐちゃな感情が今にも溢れ出てしまいそうで、教科書に並ぶ文字をジッと見つめながら唇を噛みしめた。






お弁当先に食べてて。
何か言いたげな友だちにそう言い残して足早に教室を出た。

普段使うことのない、人気のない階段まで歩いて長く息を吐く。
ひどい、本当に。なんなの、これ。
なんでこんな、こんな。


ノートがぐしゃりと音を立てる。


前に『振られた相手 気まずい』で検索してみたら、『避けるのは一番ダメです』って記事を見つけて、そんなこと私だってわかってるよとすぐさまスマホを放ったのを思い出した。

今日の私もきっと『一番ダメ』な選択をしたんだろう。
今日に限らず私はずっと、ダメを選び続けていて、だから、あの日も先のことなんて全く考えていなくて。こんな日々が待ってるなんてこれっぽっちも、思ってなくて。


上靴が擦れる音が近づいてきて私の後ろで止まった。
私の名前を呼ぶ声は私が一番好きで、ずっと一緒にいたくて、でも今一番、会いたくない人だ。

「……さっき、ごめん」
「何が?」
「いや、あいつらが。てか……」
「夜久が謝ることじゃなくない?」

振り向いた先の夜久は気まずそうに視線を落としていて、こんな顔をさせてしまっていることが申し訳なくて、酷く惨めに思った。

やっぱり伝えるべきじゃ、なかったんだ。


「夜久」

口の端をきゅっと上げた。


「私、本当に好きな人ができたの」


視線が交わって、逃げ出しそうになる足を必死に床に押し付けて。


「優しくて、たくさん話すうちになんかこう、いいなーって思うようになって。あっちも多分、同じように思ってくれてるっぽくて。あっ、だから夜久のことホントにもうそういう風に見てないから、安心してほしくて」

だから。

「気まずいの、なかったことにしよう」


ちゃんと友だちに、戻ろう。


大きな瞳で見つめられたらもうそれ以上、言葉が続けられなくなった。
静かに聞いていてくれた夜久は何か言いたそうに口を開いたけど、短く息をこぼしてからしっかりと頷いてくれた。

自分を守るためだった、それだけだった


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