翌朝。朝練を終えたらしい夜久と教室の前で鉢合わせた。
どうしよう、と咄嗟に足元を見てしまった私に少しだけぎこちない「おはよう」が降ってきた。

もう久しく聞けていなかった夜久からの挨拶はカラカラになった体に染み渡り、みるみるうちに心が満ちていくのがわかる。この喜びは私の、恋心の犠牲の上に成り立っている。
夜久と気まずいままでいることよりも怖いものなんて、今は思い当たらない。

何も無かったみたいに接してくれる夜久の優しさに、胸の底の底にしまいこんだモノがガタガタ音を立てているのがわかった。
間違っても悟られないように。
余すことなく詰め込んで、しっかりと鍵をかけて、誰の目にも触れられない深いところに隠しておくんだ。

そして、そこにあったことも忘れるくらいの時間をかけて、ゆっくり、ゆっくりと、思い出に。


私も同じ言葉を返した。自分でも下手くそだなと思う挨拶だった。
いつもこの後どうやって会話を続けてたんだっけ、と考えるよりも早く、友人に腕を引かれた。

おはよう、やった?数学の宿題。私よくわからなかったんだけどさ。

私よりもずっと数学が得意な彼女が昨日、放課後に見せてくれた涙を思い出す。
がんばったねえ、辛かったねえ。何でも力になるからね。と力いっぱい抱きしめてくれたから、私もおいおい泣いてしまった。





午前の授業を終えてお弁当の準備をしているところに、友人が申し訳なさそうにやってきた。

「名前ごめん、急に部活のミーティング入って、お昼そこで食べることになっちゃって」
「そっかそっか。全然オッケー、行ってらっしゃい」

友人を見送ってから手元のお弁当に目を落とす。
窓の外はいい天気だし、たまには中庭で食べてみようか。
教室を出る間際に昨日の男子のうちの一人と目が合ってすぐに逸らした。何度かこうやって視線を感じるから教室に居たくなかったっていうのが正直なところだ。


そして私は、外の世界に踏み出した今、とても後悔している。

いい天気とかのレベルではない。暑い。
戻ろうか?でも教室にはあの男子もいるし、夜久だって、いるし。

日当たりの良いあのベンチに座る勇気はなくて仕方なくウロウロと日陰を探した。ここに通い始めて三年目になるものの穴場だとかの知識は皆無だ。
裏の辺りまで来てみれば、体育館の開いたドアの奥からボールをつく音とシューズの擦れる音がする。制服のまま男子がバスケをしているのがちらりと見えた。

あ、大きな木がある。ここは風通りもいいしあの下、いいかもしれない。


中の人たちに見られるのはちょっと嫌で、上手いこと死角になってくれそうな位置に腰かけた。
お弁当を膝の上に広げてお母さんのいつもの味を口の中に放った。
青い空に白い雲がゆっくりと流れている。長く息を吐いた。

夜久、普通に接してくれようとしてるなぁ。
私の嘘、信じてくれてるんだなぁ。


昨日あまり眠れなかったせいで瞼が重い。
ボーッと空を見ていたら本格的に眠くなってきて、大きめの一口を次々に入れていく。ちょっと眠る余裕はあるかな。

いや熟睡でもしちゃったら最悪だ。次確か倫理だし。先生怖いし。

ていうか五限目の倫理とか地獄すぎない……?呪文じゃん……?



「えっ、寝てる?」
「っ!寝てない!」

びくりと顔を上げた。うそ、寝てた??
口元を拭って見上げた先にはバスケットボールを持った男の子がいる。

背が高くて、鼻筋が通っていて猫みたいなつり目の、外国、人。


「あれ!?ガリガリ!?」
「えっガリガリ??」
「や、ごめんなさ、じゃなくて。ガリガリくん、くれた人?ですか?」

自分の体を見てショックを受けた様子の彼が改めて私を見た。
あれ、あの時の人?って。やっぱりそうだ、間違いない。
慌てて立ち上がったから箸が転がった。お弁当を持ったまま勢いよく頭を下げた。

「あの、この間はありがとうございました。あの時はお礼言えなくて、すみませんでした」
「全然ですっ!元気出ました?」
「おかげさまで」
「良かったー」

つり目がふにゃりと柔らかくなる。
何年生だろう。あの、と続けようとしたけど体育館から彼を呼ぶ声が聞こえた。

「灰羽!どこまでボール取りに行ってんだよー!」
「あー悪い!今行くー!」


あ、行っちゃう。

咄嗟に呼び止め、振り向いてくれた彼に口が勝手に動いていた。

「名前、教えてほしくて」

少しびっくりした顔で彼が「灰羽リエーフ。いちねん!」と続けた。

「私、名字名前です。三年。灰羽くんあの、今度お礼するね」
「おれい?」
「ガリガリくんのお礼」
「えっ、いいですよ。いらない!」
「でも」

さすがにそういう訳には。
食い下がる私に灰羽くんが少し困ってしまっている。
貰いっぱなしは私が困るしどうしたものかと悩んでいると、灰羽くんが「じゃあ」と私の手元を指さした。

「え?」
「それください。それがいいです」

食べかけのお弁当箱の中のお稲荷さん。
え、食べかけだよ、いや、これはかじってないけど。戸惑いを隠せない私の元へ灰羽くんが詰め寄ってくる。

「ダメですか?」
「ダメじゃないけど……」
「やった!じゃあいただきます!」

ひょい、ぱく。

モグモグと大事に大事に咀嚼した灰羽くん。ごくん、喉が上下してキラキラの笑顔を向けてくれた。

「うんっまい!」
「それは良かった。お母さん喜ぶよ」
「ありがとうございます!今日はお稲荷さんわけてもらえてラッキーな日!」


目がチカチカして言葉に詰まってしまった。

二度目の催促の声がする。灰羽くんがごちそうさまでしたとご丁寧に頭を下げてくれた。
こちらこそあの日、ラッキーな日にしてくれてどうもありがとう。私の言葉を受け取ると彼ははにかみ、またねと手を振ってくれた。

お弁当の残りをつまんで口に放る。
転がった箸もきちんとしまってお弁当箱を片付ける。
お稲荷さんもらえてラッキー、だって。あんなに大きいのに可愛い人だなと笑みがこぼれた。

自然と軽くなった足取りのまま校内に戻り、階段を上る。
教室に向かう途中の廊下に昨日の£j子がいて、おずおずと声をかけられた。けど私の方はさっきほど気まずいとは思わなかった。


「昨日、ごめん」


僅かばかりの力が抜ける。なんだ。目が合っていたのは私に謝りたかったからだったんだ。
別にいいよ、と返そうとしたのをふと呑み込む。その代わりに。

「明日、購買の限定プリン一つ」
「え」
「約束ね」


それ、ダッシュしねえと買えねーやつじゃん、と、クラスメイトは力なく笑った。

きっと明日もラッキーな日に


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