補習は毎日お昼過ぎには終わる。
その後は帰宅するも良し、夕方までそのまま自習室として使うのも良し、と初日に説明を受けた。
担任によって半強制的にこの場に参加させられている私はというと、欠かさず昼食を持参しては大いに真面目に過ごしていた。補習のプリントとはまた別に出されている夏休みの課題に取り組む姿は、初めは信じられないものを見るような目つきだった担任に「まあ俺は初めからお前はやるって信じてた」とまで言わしめるほどだった。

勉強というものは素晴らしい。目の前の問いに向き合っているだけで余計な事を考えずにすむ。……なんてのは大袈裟だけど、そう自分に言い聞かせるには十分だ。私は毎日騙し騙し問題を解き続けている。

午後まで残って勉強していく生徒はそう多くなかった。みんなそれぞれ事情はあるんだろうけど、理由のひとつはこの暑さのせいじゃないかと思う。
真夏の日差しが無遠慮に教室を襲う。窓からは時折柔らかな風が吹き込んでくるものの、じっとりとかいた汗を乾かしてくれるほど気の利いたものではない。

「ここより近くの図書館の方がいいよ、涼しいし。名字さんも行かない?」

一度、クラスの子たちが気を使って誘ってくれたけど丁寧に断りを入れている。
なにも私は好きで課題を進めているわけでもなければ、嫌々この場にいるというわけでもない。

ただ、窓の外から聞こえてくる声の中から一人を探すのをやめられない。



──ピッ、ガタン

落ちてきたペットボトルを手に取ってその場で蓋を開けた。
キンキンに冷えたお茶が喉を通って、体の隅々まで冷やしてくれている。美味しい。そして何より暑い。何だこれあっっつい。

わざわざ体育館の近くまでやってきたけれど、ラケットの音と女子たちの声が聞こえてくるだけで肩を落とした。黒尾の奴、夏休みは部活尽くしだなんて言っていたくせに全然見かけないじゃんか、と心の中で文句を垂れる。

……待て待て違う。私がここにいるのは勉強をするためであって、未練がましく会えたらなとか思ってるわけじゃなくて。


『夏休み?毎日部活!合宿もあるしまあまあ忙しくする予定!』


どこどこに行ってあそこの学校のやつらと〜、と明るく話す夜久を見たのが随分昔のことみたいだ。
楽しそうにバレーの話をする夜久が好きだった。すげースパイク打つ奴がいてさ、まあ俺はどんなボールも拾うけど!と自信満々に胸を張る姿にきゅんとなったっけ。

高校生活最後の夏休み。忘れられない思い出を作りたかった。一緒に遊びたかった。二人きりじゃなくたってよかった。
友だちとしてだって、よかったのに。

鼻の奥がツーンとしてきて現実に引き戻された。
大丈夫、大丈夫。こういう気持ちになったときの自分の励まし方を私は知っている。
記憶の中の灰羽くんが笑っている。


「……『お弁当のおかずが唐揚げで、ラッキーな日』」
「唐揚げ?」
「ひぃっ?!」

ひっくり返るかと思った。心臓がドッドッドッと壊れそうなくらい音を立てているし、思い返したくないくらい変な声も出た。
声をかけてきた本人も驚いたらしい。ズレた眼鏡を直しながら足立くんが言った。

「わざわざ口に出すほど嬉しかったの?唐揚げが?」
「う、や、違う、やめよう。何でもない。ていうかどうしたの?こんなところまで」

自販機ならこんな外れまで来なくたってあるし、そもそも足立くんはいつも補習が終わったらさっさと帰る組の人じゃなかったっけ?
あ、もしや邪魔かな?と少し横にズレはしたけどなかなか飲み物を買おうとしない。絶対聞こえてるくせに返事もないし、どうも居心地が悪くて「それじゃあ」と教室に戻ろうとした。がしかし、呼び止められてしまった。

「……夏祭りあるじゃん」
「え?うん」
「伊藤が池田さんを誘いたいんだけど断られるんじゃないかって怖気付いてるんだよね。先約入ってたりしそう?」

部活の友だちと約束してたりするのかな。うーん、ちょっとわからない。正直にそう伝えたら「そっか」とあっさり返ってきた。
彼女を誘うのにも不安そうな伊藤くんを想像するだけで気の毒に思えてしまう。
それにしても足立くんは案外友だち思いなんだなあ、と見直したような気持ちになった。友だちに幸せになってもらいたいと思うのは誰だって同じなんだ。

「いくら恥ずかしがり屋ないっちゃんでも、さすがに断ったりはしないんじゃないかなぁ」

年に一度の大きなお祭りだし、そもそも彼氏がいるのに他の人と約束なんてしないんじゃなかろうか。

「だから大丈夫だよ。勇気出して誘ってみてって伝えて!」

そう言ってから、いやいや付き合ってるのに勇気出すって何だよって話だよね〜と自分で突っ込んだ。けど。足立くんは全然聞いていない気がする。
考え事でもしているのか、伏せがちだった目がこちらを向いて「名字さんは?」と問いかけられた。

「ん?」
「誰かと行ったりとか」
「……しないよ」

もしもあの日、私が気持ちを伝えるんじゃなく、お祭りに二人で行こうと誘っていたらどうなっていただろう。おっ、いいぞ!って笑ってくれたかな。部活を理由に断られてたかな。二人はさすがに、って結局気まずくなってたのかも。
今さら何を思ったところで無意味なんだよなぁ。そう勝手に傷つく自分にうんざりした。

「じゃあ行く?」

考え込んでいたせいで、投げかけられた言葉のボールが足元に転がる。それを拾い上げ、ゆっくりと咀嚼した。


「……なんてっ??」

できなかった。えっ、お祭りに?行くの?私たちが??
強い日差しのせいで頭が壊れかけているのかと思った。何度も瞬きを繰り返す私を見て、足立くんはあからさまに眉を寄せている。

「聞こえなかった?」
「……聞こえたけど……」

どうしたものかとただ戸惑うことしかできなかった。俯いた足立くんが指の関節で眼鏡を押し上げた。

「名字さんがいた方が……ほら、オーケーしてくれそうかなって」
「……?あっ、あー、いっちゃんがね?」

なるほど。うんうん。意味がわかって肩から力が抜けていく。
悪くないアイディアだと思う。もちろん一番は二人が二人だけの夏祭りを楽しめる事だけど、そりゃ私だって高校生活最後の夏の一大イベントでちょっとの間でも素敵な思い出を作りたい。

「わかった。いいよ。一緒に行こ」

もしも、万が一、いっちゃんが伊藤くんの誘いに難色を示したら≠サの時は私たちも一緒に行く。
何だか変な約束になってしまったけどまあいい。
ポケットから携帯を取り出した足立くんが「今スマホ持ってる?」と聞いてきた。

「あ、うん。持ってる」
「連絡先交換しておかない?」
「そうだね」

簡単な操作の後、画面に足立くんの名前を確認する。できたよと声をかけたら「こっちも」と短く言う。

「じゃあ、詳しいことは近くなってから決めよう」

それじゃあ、と戻ろうとするその背中に思わず「えっ」と声が漏れた。

「……いっちゃんが二人で行くのを渋ったら、だよね?」

振り向いた足立くんが目を丸くして固まっている。
何度か視線をさまよわせたかと思えば軽く睨まれ、「そーですねっ」と何故か敬語で返された。

その赤ら顔じゃ別に怖くもなんとも


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